第3話 わたしのトモダチ
次の日。
使い魔を召喚する授業から一晩経って私が目を覚ますと、窓の外からこちらを覗き込んでいた金色のたてがみをしたライオンの目が光った。
ここが学生寮の一階にある角部屋で、一人部屋で本当に良かった。
そうじゃなければ今頃は悲鳴が上がっていただろう。
『おはよう。マスター』
「…………」
心地のいい低い男性の声をしたメタリックなライオンが話しかけてくる。
これはきっと夢。そうだ、わたしはまだ夢の中にいるんだ。
あまりに現実味がない光景から全力で目を背けて二度寝の体勢に入る。
あぁ、お布団が気持ちいい。
そもそも喋る使い魔なんて前例がないし、アレは本当に使い魔なの?
『二度寝は睡眠のリズムを崩しやすくなり、自律神経を狂わせる原因にもなってしまうからオススメはしないぞ。今朝は気温、湿度ともに気持ちのいい朝なので陽の光を浴びるといいだろう。脳が活性化されて勉強に集中できるようになるぞ!』
いや、やっぱりあり得ない。
使い魔と主人は時間をかけて信頼関係を築くことで簡単なコミュニケーションをとったり、意思の疎通が出来るようになるとは聞いたことがあるけれど、こんな風に話しかけてきてなおかつ適切なアドバイスをしてくれる使い魔なんて知らない。
「本当にあなたは何者なの?」
気になって二度寝の気分じゃなくなった私は起き上がってベッドから降り、窓を開けて質問をしてみる。
『ワタシのことか? ワタシの名前はブレイヴレオンだ!』
ダメだ。全然答えになっていない。
「お名前はよくわかりました。では、ブレイヴレオンさん。あなたはわたしの使い魔ということでよろしいんですよね?」
『そうだ。ワタシはキミの呼びかけに応じて参上した。キミを守るのがワタシの使命だ』
彼? の言ってることは使い魔の原則に合っているのでまず間違いないだろう。
使い魔は対価を貰う代わりに契約によって主人を守ろうとする。そこはおかしくない。
問題はどうしてわたしの使い魔が彼になっているのかだ。
身内の中に彼のような特殊な使い魔と契約している者はいないのに。
「えーっと、ブレイヴレオンはライオン……の使い魔でよろしいのですか?」
わたしの知ってるライオンとは何もかもが違うけれど、見た目は似ている。
全く動かずに喋らなければどこぞの芸術家が制作したオブジェにしか見えない。
美術館を探したら似たような像がどこかにあるのでは?
ただ、ガシャンガシャンと音を立てながら動いて人語でお喋りするのは唯一無二だと思うけれど。
『いいや、それは違う。ワタシのモチーフになったのは確かにライオンではあるのだが、ワタシの真の……ワタシの……ワタワタワタ……』
「無理に答えなくていいですよ!!」
突然、同じ言葉を繰り返しながらプシューっと頭から煙が出始めたので、慌てて質問を取り下げて回答を諦める。
下手をしたら爆発してしまう危険がありそうな混乱の仕方だった。
『すまないマスター。どうやら召喚された際にワタシのメモリー領域に何かしらのトラブルが発生してしまったようで、どうも過去のデータに破損が生じていて読み込めない……』
しょんぼりと項垂れるブレイヴレオン。
見た目は威圧感があるのにその姿はまるで落ち込んでいる猫みたいだ。
金属で作られたオブジェみたいで無機質な印象があるのにかなり感情表現が豊かだなと感じた。
「えーと、よくはわかりませんが記憶喪失ということですか?」
『記憶喪失。確かに、それが現在のワタシに一番合っている状態だな』
そもそも使い魔に召喚前の記憶があるのかと問いたいが、こうして喋ることが出来る使い魔の前例はない。
突然喋ったブレイヴレオンのせいで昨日の授業は大騒ぎになってしまい担任をはじめとした学園の教師陣が会議をする事態になった。
会議の結果が出るまで時間があるのでその間に彼について調べようとしたけれど、記憶喪失の状態では大した話も聞き出せず、調査するのは難しいだろう。
「自分の名前以外は何も思い出せないと……」
『あぁ。しかし、ワタシにはキミを守らなくてならないという使命がある。それだけは確かなんだ』
キミを守る。
使い魔として契約した以上は主人の味方だということでいいのだろうか。
わたしが一番信頼していたお爺さまが亡くなり、学園に入学してからは家のために気を張ることが多く、他の貴族の子達から嘲笑されたり疎まれる対象になっていることにも気づていた。
公爵家の令嬢であり王子の婚約者であるという立場でありながら落ちこぼれな自分に自信が持てず、中々クラスメイトに話しかける勇気が出せなかった。
学園で友達と呼べる存在がまだいない中でブレイヴレオンの言葉は自分に味方が出来たようで頼もしく感じられた。
「でも、もう少し可愛い方がよかったな……」
それはそれとして、巨大な肉食獣のライオンなのは年頃の乙女的にマイナスポイントだ。
もっとモフモフな毛並みをしていたり、小さくて膝の上に乗せられるようなものを想像していただけに衝撃は大きかった。
『カ、カワイイか……。ワタシのデータによればカワイイとは小さくて愛らしいものを指す。カワイイになるには……肉体を削り落としてパージするしかないな』
「ごめんなさい! 嘘です。使い魔として出てきてくれただけで嬉しいです!」
自分の鋭い爪と睨めっこしながら分解や切り離しといった物騒な言葉を口にするブレイヴレオン。
うっかり思っていたことを口にしてしまったが、わたしなんかの召喚に応じてくれただけでも感謝しなないとね。
大きくて強そうなブレイヴレオンなら失敗ばかりのわたしに代わって大活躍してくれるかもしれない。
使い魔との連携も魔法使いにとって重要な要素だ。
「えっと、お互いにまだ状況が飲み込めてないかもしれないけど、改めてよろしくねブレイヴレオン」
『こちらこそよろしく頼む。マスター』
彼は器用に前足を上げると窓の縁へと伸ばした。
すぐ目の前に金属質な足があって、何のつもりなのか少し悩んでいるとブレイヴレオンが口を開いた。
『人間は友好関係を結ぶ証に手を結ぶとデータにある』
握手をしようってこと?
わたしは使い魔のライオンなのに人間臭さを見せるブレイヴレオンの姿に思わず笑ってしまう。
「ふふっ。あなたの手って温かいのね」
ゆっくりと触れてみると、カチカチで冷たそうな印象だった手はほんのりと温かい。
太陽の光を浴びていたからなのか、わたしと仲良くなりたいと言ってくれた彼の心の温かさなのかはわからない。
「ねぇ、ブレイヴレオン。わたしのことはマスターじゃなくて名前で呼んでくれない? その方が友達っぽいでしょ?」
『了解した。ワタシの友人、ルミナよ』
学園で初めて出来た友達は使い魔で、とても普通の生き物とは思えない体の感触だったけれど、わたしは彼と確かに友情を結んだのだった。
♦︎
わたしが授業に顔を出したのは昼食を終えた午後のことだった。
昨日の体調不良も一晩ぐっすり休んだことで完全に治っていたが、召喚されたブレイヴレオンをどう扱うかについて教師陣による熱い会議などもあったので午前中は寮の自室で大人しく待機するように命じられた。
そして、担任から呼び出しと説明を受けて授業に参加する流れになった。
「今日はみんながそれぞれ呼び出した使い魔との連携をチェックする。とはいえ、たった一日じゃ何にもわからないだろうからあくまで今回は使い魔が何を出来るかの把握にしておこう」
昨日と同じ屋外にある演習場に集まったクラスメイトはそれぞれの使い魔を連れている。
中にはペットのように名前をつけている人もいて、それぞれ自分の使い魔に愛着を持っているようだった。
「あー、ルミナ・セラフィーは特にしっかりと把握しておいてくれ」
「はい、先生」
担任のひと言で全員の視線がわたしの、正確にはわたしの隣に大人しくお座りしているブレイヴレオンへと向けられた。
「なぁ、アレってやっぱり……」
「使い魔でいいのかアレ?」
「うちの実家にあのくらいのデカさの銅像立ってるんだけど誰か今度見にこない?」
「いいな。俺なんてハムスターだぞ……」
ヒソヒソと困惑と好奇心が混じった言葉が聞こえてくる。
みんな、珍妙なライオンについて気になっているようだ。
それはあの二人にとっても例外ではない。
「ふんっ、どうせ何かしらのインチキでもやったんでしょ? お金持ちのお貴族様なら魔法具や古代遺物でも用意して誤魔化せるものね」
「セリーナ、それは言い過ぎじゃないのかい?」
数百年に一度しか呼び出せなかった伝説級の聖獣ユニコーンを従えているセリーナ。
隣に立っているのは歴代の王族が召喚した希少な不死鳥を呼び出したエドワード。
神秘的な使い魔と容姿の整った男女二人が並んで歩くだけで人混みが自然と割れて道ができた。
「だって、よく見て見なさいよ。とてもまともな生き物の形をしていないわ。いくら調べても使い魔の教科書や資料にも載っていないし、実は着ぐるみで中に人が入って操っているんじゃないでしょうね」
エドワードにブレイヴレオンがいかにおかしいかを説明し、続けてセリーナがわたしに鋭い目を向ける。
「ほら、さっさとインチキしましたって認めた方が後から苦しまずに済むわよ」
彼女は周りに聞こえるようにわざと大きな声を出して言った。
「インチキだってさ」
「まぁ、そんな気はしてたよな」
周りにいたクラスメイト達はセリーナの意見に流されていく。
一番頭のいい彼女の言葉と落ちこぼれのわたしを比べて前者を信じた。
そんな周囲の反応に満足したのか彼女はわたしのすぐ側まで近づいて耳元で小さくこう言った。
「いくら勝負に負けたくないからってこんなことしたらエドワードに嫌われるわよ」
なんて意地悪な人なのだろうと思った。
どうしてわたしがここまで悪者扱いされなくてはならないのか。
セリーナがエドワードのことを好きだから?
婚約者のわたしの存在が邪魔だから?
ペンダントをギュッと握り締めながらわたしはセリーナは目を真っ直ぐ見る。
「インチキなんかじゃありません。ブレイヴレオンはわたしの大事な友達です」
いつものわたしならここで周りの目に耐え切れずに何も言えないか背中を見せて逃げるしかなかった。
でも、今はわたしの味方をしてくれる頼もしい友達がいる。
『そうだ。ワタシはルミナの友であり、彼女の使い魔だ。文句があるというのならワタシが引き受けようじゃないか』
ズドン! とブレイヴレオンが地面を強く踏みつけて一歩前へと出た。
そして彼はグルルル……と喉を鳴らす。
すると、自分よりも大きなライオンの威嚇に驚いたユニコーンが声高く鳴いて逃げ出した。
「はぁ!? ちょっと待ちなさいよ!」
突然の使い魔の裏切りに驚いたセリーナは慌てて後を追いかけようとする。
しかし、人間の足で馬に追いつけるわけもなくユニコーンはあっという間に姿が見えなくなった。
「よくもやってくれたわね。覚えておきなさい!」
顔を赤くして悔しそうに言葉を吐き捨てたセリーナの姿が遠ざかって……あっ、コケた。
顔と制服に土をつけたまま走り去り、セリーナの姿も見えなくなった。
この授業が終わるまでにユニコーンを捕まえられるのかな?
「ありがとう」
『別に礼を言われるようなことはしていないぞ』
とぼけたフリをしながらも尻尾がブンブン揺れているブレイヴレオン。
あんな彼女の顔を見るのは初めてだった。
慌てふためく姿を見れてちょっとだけスッキリしたような気がする。
『だが、少しでもキミの役に立てたのなら嬉しいな』
なんて頼もしい使い魔なのだろう。
見た目はちょっと可愛くないけれど頼り甲斐がある。
それに優しい声で気遣ってもくれて、わたしには勿体無いくらいよくできた性格をしている。
「えー、それじゃあ各自で使い魔との連携の練習を始めてくれ」
約一名がトラブルで不在のまま、授業が始まった。授業の具体的な内容としては生徒が使い魔に指示を出して何ができるのかを探り、教師が見回りをしながらアドバイスをしていくというものだ。
演習場はかなり広いので思いっきり使い魔達を動かすことが出来る。
「ほら、ボールとってこい!」
「バウッ!」
「はぁはぁ、猫ちゃん……やっば、いい匂い」
「ニ、ニャ〜〜〜」
「ねぇ、誰か俺のハム吉知らない!? さっきからどこにもいないんだけど!?」
「お前の頭の上でひまわりの種食べてるぞ」
「ナマケモノの使い魔って何を観察すればいいんですか?」
「わからないが、とりあえず居眠りしてサボろうとするな」
「オレサマ、チョウイケメーン!」
「誰かオウムの鳴き止ませ方知らない!?」
「キャー、ステキ! オヨメサンニシテー」
「お前は何を教え込んでるんだよ……」
まだ初回ということもあり、大半の生徒はペットと遊んでいるだけに見える。
中には自分の使い魔にデレデレになっている人やどうコミュニケーションを取ればいいのかわからずに悩んでいる人もいた。
それと一部騒がしい使い魔と喧嘩してる人もいる。
「よし。次はあの木を旋回して来るんだ」
「キィー!」
やはりと言うべきか当然というべきか、使い魔への指示や連携にいち早く馴染んでいるのはエドワードだった。
フェニックスは彼の指示通りに動き、たった一日で熟練の鳥使いのようなコンビネーションを見せている。
「流石ですエドワード様」
「やっぱり王子には敵わないな」
火を纏う鳥と赤い髪の少年の息の合った姿はまるで美しい絵画のようで、クラスの視線を釘付けにする。
『我々も負けていられないぞルミナ』
「が、頑張ろうね!」
いつまでもボーっと見惚れている場合ではない。
わたしもブレイヴレオンが何をできるのか把握しておかないといけない。
授業前にブレイヴレオンについてのデータを教師陣に提出するようにと指示を受けている。
教師であり、学者でもある彼らは未知の使い魔に興味津々なのだ。
「まずはあなたがどれくらい動けるかわたしに見せてくれない?」
『了解だ。ワタシの力をキミに示そう』
とりあえずみんながやっていることを真似しながらブレイヴレオンに何が出来るか探っていこう。
「ボールよ!」
パーンッ!!
「演習場を一周して」
ズドドドドドッーー!!
「あの木を」
ガブッ! バキッ!!
「い、岩を……」
ドンガラガッシャーーン!
「あー、ルミナ・セラフィー。君の使い魔の実力は充分に理解したので演習場の隅で大人しくしているように。これ以上暴れられて更地にされても困るからな」
担任の教師が遠い目をしながら指示してきた。
仕方がないのでわたし達は授業が終わるのまで隅っこで地面に座って待つことになった。
『性能テストは終了ということだろうか』
「ウン。ソウダネー」
ブレイヴレオンのスペックはわたしの想像以上に凄かった。
ボールは耐久力不足で叩くだけで破裂した。
本気で走ると地面が抉れて土煙を巻き上げる。その走るスピードは馬の全速力より速い。
鋭い牙による噛みつきは木を根本から噛み砕き、鋭い爪は硬くて大きな岩に傷つけるどころか粉砕してしまった。
まるで全身が兵器のような強さをしているブレイヴレオンはまだまだ物足りなさそうな雰囲気を出しているが、先生の言う通りこれ以上は施設が持たないので何もしないのが一番だ。
「ルミナ……」
渡された報告書に嘘みたいなブレイヴレオンの情報をまとめていると、誰かに見られているような気がしたので周囲を見渡すが、誰かはわからなかった。
ただ、エドワードの元気がさっきよりも無くなっているように見えたのはわたしの気のせいだろうか?