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心の灯を彗星に  作者: 酉村ヒヨ子
第一章
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プロローグ

 傲慢な人間が嫌いだ。

 高圧的で自分勝手。斜に構えて初対面から既に見下している奴もいる。

 勝手に寄ってきては、期待に叶わなかっただけで理不尽な物言いで突き放す。自覚がないとよりタチが悪い。

 ……表に出したり、他人に当たり散らすかどうかは人によるけど。

 人に腫れ物みたいに扱われて、勘違いしてより鼻を高くするような人間が嫌いだ。


 6月が嫌いだ。

 新生活に慣れ始めて誰も彼もの気が緩み出す。すると、越えるべきではない一線を超える輩が現れ出すのだ。

 おまけにこの時期は梅雨がある。

 気圧が下がり湿気に覆われ、体調不良に襲われる人間が増え始める。

 季節によるストレスは人間個人ではどうしようもないから、苛立ちは常に解消されないまま内に溜め込まれる。

 そして蝕まれた情緒は一時的とはいえ、その人の人間性すら変えてしまうこともある。


 そんな人間達に、俺は数年前から感覚を侵されて続けている。



 最寄のバス停が近づいたことを告げる声に、拓人(たくと)は目蓋を開いた。

 別に寝ていたわけではない。

 外を見れば、自転車での登下校を躊躇うくらいには大粒の雨が降っている。雨音が煩すぎてろくに眠れやしなかった。

 つい溢れそうになるため息をすんでのところで堪え、座席を立つ。バスの出入り口が開くと、雨粒が地面に叩きつけられる音がよりクリアになった。


(……うわ)


 心なしか、先ほどよりも雨脚が強くなっている気がする。

 開き直って課題以外は置き勉してきて正解だったかもしれない。下手したら、この雨でスクールバックの中身が全て悲惨なことになってしまうだろう。

 濡れてしまわぬよう、拓人はよりバッグを抱え込んで傘を開く。

 降りたバスを見送ることもせず、バスが来た道の逆方向へ足を進めた。その歩幅はいつもより通常よりも広く、足取りも早い。

 この辺りは治安が悪いのだ。

 別に不審者が多いという訳ではない。ただ、このぐらいの時間から深夜にかけてヤンキーかぶれの中高生が活発に動き出す。雨だろうと関係なしにだ。


「────てん…か!?」


 不意に、がなるような声が雨音を縫って耳に届いた。

 噂をすればというやつだ。

 深く下げていた傘を少しあげて声を視線だけで辿ると、公園の公衆トイレに人影が3……いや、4人いる。派手な髪色をしている集団は、これまた派手な髪色をした1人の女子生徒を囲んでいた。

 ああ、面倒くさいを通り越して恥ずかしい。たった1人の女子に寄ってたかって何を考えてるんだか。

 ……などと、脳裏でごちるが助けにいくつもりなど拓人には毛頭なかった。あんな絡まれ方をするなど、あの女子高生も余程のことをしたのだろう。

 せめて通報だけはしてやろうと、制服のポケットの中にあるスマートフォンに手を伸ばす。人物の特徴を抑える為に、公園のフェンス越しに不良たちを一瞥した。

 その瞬間、面倒くさそうに男子高校生からそらされた、桃色の髪の隙間から覗く(みどり)色と視線がかち合った。


(────あ、こいつ)


 途端、周囲の空気が破裂寸前の風船のように張り詰めた。

 泥に沈んだかのように自由の効かなくなった身体。張り巡らされた敵意は剣山のよう。

 得体の知れない恐怖に肌は粟立ち、嫌な汗がにじみ出る。

 目を見開いて固まることしかできない拓人に対し、女子高生も瞬いた。


 彼らは今、互いという『未知』を知覚した。


 全身を支配するのは畏怖だろうか?

 刺すような威圧に息は苦しくて、肌は焼けたようにヒリつくせいか頬に痛みが走る。

 少なくとも、ただの女子高生にしか見えない少女が拓人にはこの世で最も恐ろしいモノとしか思えなかった。


(人じゃない、ナニカだ)


 少女が不良達に向かって右手を挙げたのを合図に、張り詰めていた風船が割れた。

 「逃げろ」と脳裏で叫ぶ自分の声に従い、拓人は走り出す。

 なんだアレは?

 わからない。

 アレが何かも、なんであんなモノがここにいるのかも。

 見てくれは普通の女子高生だというのに、彼女の発した気配が拓人にはどうしても同じ人間だとは考えられなかった。

 ただ理解できるのは、アレは人が関わってはいけないものだということだ。

 風が引っかかり邪魔になった傘は放り捨てる。全身が雨に濡れるのも、少しすり減った靴に泥が跳ねるのも、鞄の中身の安否すら気に掛ける余裕はない。

 拓人の頭の中はあの少女から逃げることで一杯だった。


(家まで間に合うか!?いや、アレが家に侵入してきたらどうする!?でも、一旦巻くにしても何処で……)


 浮かんでは消える逃走経路を算段付けていたが、拓人とは別の水を踏む音が背後から迫っていることに気がついた。

 あの女子高生だ。

 背後に気を取られた時、見誤って足を突っ込んだ水溜りの深さに足を取られてしまう。


「やば……!」


 背後の存在に追いつかれる恐怖と、転倒によって襲われるであろう痛みに拓人は目を閉じる。

 しかし、一際大きな水音と共に襲ってきたのは、予想よりも随分と柔らかい壁。転倒しそうになった勢いを弾き返された拓人は、足を取られた水溜りに尻からダイブした。

 傘を放り捨てた時点で今更だが、拓人はすっかりずぶ濡れだ。共に水溜りに沈んだバッグの中身達はもうまともな役割を果たしてはくれないだろう。

 荒い息を整えながらも、頭は一周回って冷静だった。正しく言い換えるならば諦めの境地だ。

 背後にいた筈の少女が目の前に立っている。

 目を伏せていても変わらぬ、肌を焼く存在感が拓人に居場所を教えた。


「ねぇ」


 少女の声が雨の音に混じって耳に届く。

 恐る恐る目を開けば、クラクションを鳴らしながら横断するタクシーを背後にあの女子高生が立っている。

 濡れた前髪が邪魔でよく見えないが、笑っていることだけは雰囲気で分かった。

 この場で殺されるのか、はたまた連れ帰られ餌にでもされてしまうのか。

 嫌な想像ばかりが、拓人の頭によぎる。


「アナタ、本当の私に気づいたでしょ?」

「……なんの話」

「へぇ、とぼけるんだ?」


 苦し紛れに誤魔化してみたが少女はクスクスと笑うのみ。まるで面白いものを観察するような反応に、拓人は一層心臓が縮みあがる思いだ。

 すると、躊躇いもなく距離を詰めた少女が腰を曲げ、手を伸ばし、拓人の頬に触れた。

 突然の行動に拓人が動く暇はなく、少女の指先が触れた途端にピリリと走った痛みに肩を跳ねさせることしかできない。

 完全に、少女に場を支配されている。


「"ただの"人間が私に気づいたのは初めて」


 感情に浸るように呟く少女は、まるで宝物を愛でるように拓人の頬を片手で包む。そして親指の腹で1度だけ頬を撫でると、名残惜し気に手は離れた。

 その手の親指には血が付着していた。

 雨に混ざって薄くなったそれは拓人のものだ。どうやら、いつの間にか本当に頬を怪我していたらしい。アドレナリンが出ていたのもあり、ずっと気づかなかった。


「……うん、決めた!」


 呆然と座り込んでいた拓人の前髪が少女の右手によってかき上げられる。突然クリアになった視界には、細められた翡翠色。

 拓人に負けず劣らずの濡れ鼠であるにも関わらず、悪戯でも思いついたような笑顔で少女が見下ろしていた。

 それはまるで、悪魔のような笑みだった。



「アナタ、私の番になって!」



 汗か雨かもわからない水滴が髪を、顎を伝って滴り落ちる。

 時が止まった感覚とはまさにこの事だろう。少女の言葉に、ついに拓人は思考を放棄した。


「………………は?」


 拓人が最も嫌う、傲慢の頂点のような存在との出会い。

 それはとある6月の頭、梅雨入りをしたばかりの出来事だった。


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