4話 4つ目の食材は肴じゃなくて、魚
「無い……無い……無いッ!」
俺の名前は山形次郎、41歳。至って思い込みの激しい人間だ。いや、人間だった。
-・-・-・-・-・-・-
「おいおいおい、何の冗談だ?」
俺はそれしか言えなかった。そりゃそうだ、なんせこの身体の母親は豚だったんだから。い……いや……それだとなんか違う。日本でよく見掛ける……かどうかは知らねぇが、あの豚小屋にいる豚から人が産まれて来たように感じるモンな?
‒‒だから補足させてくれ。
目の前にいるのは、顔立ちはそこそこ美人な豚だ。でも、俺に豚の顔立ちは敢えて聞かないでくれ。どうしても聞きたけりゃ、そりゃ養豚場のスタッフにでも聞いてくれると助かるぜ。
ちなみにこの豚なんだが、目なんかクリっとしてて愛らしいと言えば実に愛らしい。体格はややほっそりとした感じに見えなくもないが、服を着ているので分からない。「脱いだら凄いんですッ」みたいなギャップがあったとしても、脱がしたいとは思わないってのが本音だな。
だがな……服から伸びる脚は豚足だ。
しかし、問題はそこじゃない。俺の知ってる限りでは、豚は四本足で歩くと思ってたんだが、目の前にいる母豚は二本足で歩いている。
更に言えば、前脚は手だ。前脚が手で、後脚が豚足なんだ。そして、この母豚は言葉を話している。
前に聞いた誰かが言ってたっていうセリフで、「飛べない豚はただの豚だ」とか言うのが、なんかあった気がするんだが……。
でもな、今……俺の目の前にいる豚はそのセリフを信じれば、ただの豚になる……のか?コイツを家畜としての豚と同じで、「ただの豚」と言っていいか悩ましいよな?
いや、これで空を飛んだら「ただの豚」じゃない気はするが、二本足で立って……前脚が手で……言葉も話す豚を「ただの豚」で終わらせたら駄目だろ?それとも本当に飛べたりするの……か?
ま、要するにそんな豚なんだが、コレが俺が使わせてもらってるこの身体の母親らしい。
「泣くと鳴くを掛けた事を冗談と言って、誤魔化そうとしてはなりませんよ、クレアリス!そんな事よりも、今までどこに行ってたの?昨日の朝、フラッと家を飛び出したかと思えば、お昼にも帰って来る気配はないし……ぐちぐちネチネチちまちま……」
「なぁ、おっ……パパさん。俺の母親って、本当にこの豚なのか?こしょこしょ」
母豚の小言が終わらなそうなので俺は、隣で困った顔をしているおっさんに話し掛ける事にした。俺の直感はこの手の小言が始まると、二時間は終わらないと告げていたからだ。
ま、会社の元上司がこんな感じだったからそう思っただけなんだけど、普通ならどこもそうなんだろ?
「クレア、その「ブッタ」と言うのはなんだ?我々は「ハーフオーク」だ。お前だって母さんのお腹から産まれて来たんだから、ちゃんと母さんとパパの血を受け継いでいるんだぞ?」
「へ?だって、お……パパさん、人間にしか見えないだろ?」
「パパは少し人間の血が濃いだけだ。まぁ、クレアもパパの血が濃かったのかもしれないな。どちらかと言えば人間よりの可愛らしい顔立ちだからな」
「ちょっと、そこッ!ちゃんと話しを聞いてますかッ!もうッ!一人だけ除け者にされると泣いちゃいますよ?ぶひッ」
そんなこんなで本当に解放されるまで二時間掛かりそうだったのを助けてくれたのは、俺の腹の虫だった。
俺は空気を読めるが、空気の読めないコイツのお陰で助かったって訳だ。空気が読めなくても、いい事があるって思い知らされたよ。
でも、俺は元々出来る子だから、空気が読めない腹も俺の一部だから出来る子って事だよな?あれ?そうなると……まぁ、いっか!
ちなみに隣のおっさんも話題をすり替えるネタが思いもよらない場所から降って来て、どこかホッとしてる様子だった。
そして次の日の俺は、昨日おっさんに言われた街に行ってみる事にした。
それは、俺が考えていた究極のコラーゲンラーメンスープを諦める決意をしたからだ。だって、考えてもみてみ?ツバメの巣は無いし、おっさんには「豚ってなんだ?」って言われただろ?って事は豚もいないんじゃないかって思ったのさ。
まぁ、ブッタがいないんじゃ、神も仏もいねぇんじゃないかって……って、あぁこれは意味が違うな。
まぁ、下らねぇ話しは置いといてだな……植物のコラーゲンも動物のコラーゲンも両方無いなら、究極のコラーゲンラーメンスープの“コラーゲン”の部分が失くなる事になる。そしたら究極のラーメンスープって事になっちまうだろ?
それだったら、コラーゲンに拘る必要はないって結論になる。当然の結末ってヤツだ。
だから俺は一晩中考えていた。
ラーメンスープは出汁、タレ、油だって「世界一旨いラーメンを作ろう企画」で言ってた……気がする。それにラーメンって、大っきく分けると四種類しかないんだろ?塩・醤油・味噌……そして豚骨だ。
そう言えば豚骨だけ調味料じゃなくて食材だよな?それについても番組でなんか言ってた気がするけど、まぁいいや忘れたし。
でも、最近はトリパイタンラーメンだとか、ギョカイケイニボシラーメンだとかもあるから、総合的に判断して俺は究極のラーメンスープ第二弾を模索したんだ。
結果、そこで俺が次に考え出したのは、究極の出汁スープだった。
「日本人の心は出汁にあり」って前に誰かが言ってたのを俺は覚えている。俺は日本人の心を持ってるからな、この世界に住む豚……いや、ハーフオークに日本人の心を知ってもらおうと思った訳さ。
まぁ、ラーメンの発祥が日本じゃない事も知ってる……が、そうしたら出汁スープはもう日本食って事だよな?だから俺は、ザ・日本発祥日本食ラーメンを日本を知らないハーフオーク達に思い知らせる事にしたんだ。
でも、ちゃんとした豚がいるなら豚骨スープも試したいのは事実だったし、それもあって街に出る事にした。
まぁ実際、母豚を目にしてしまった手前、豚骨スープを作ったら共食いになってしまいそうでイヤな感じしかしないんだけど……まぁ、それはそれ、これはこれだ。
なるようになれ、考えるな感じろってヤツだな。
「無い……無い……無いッ!なんで無いんだーーーッ」
街に木霊する俺の声、周りを行き交う人達は俺の声に驚いている様子だった。なんでかって?出来る子の俺が空気を読んで、心の赴くままに絶叫したからさ。
突然可愛い女の子のが叫び出したら、びっくりするのは当然だ!これがむっさいおっさんだったら、罵声と共にゴミとか空き缶とか飛んで来そうだから、そう考えると可愛い女の子って得だよな!
おっさんは昨日言ってた。この国は美食の国・ウィスタデヴォンだとかなんとか……。だが美食の国と言っておきながら、街にある、どの店にもソレはなかった。
ソレとはそう……「魚」だ。
日本人の心の出汁は、いくつかあるのを俺は知ってる。そしてそれは、カツオ、サバ、ニボシ、アゴ……顎?顎出汁ってなんだよッ!
それにそうなると日本人の心がいくつもあるみてぇじゃんか!そして、顎……奥が深いと言うか、意味が分からねぇな。
まぁいいや、どっちみち、魚がなければ旨い出汁が取れない。昆布出汁って手も考えたが、それすらも見付けられなかったし昆布出汁だけじゃインパクトが薄いから、やっぱりそれだけじゃ究極の出汁スープにはならないだろう。
と、言う訳で俺は必死になって店という店を探していった。この街の店にあるのは、見た事もない肉と、触った事もない果実、食べたこともない野菜に、見たくもないゲテモノだけだった。
因って俺は、途方に暮れながら家に帰る事にした。だが、このまま帰ってもやっぱり部屋で途方に暮れる事になるから、わざわざ街の外に出て、途方に暮れてから帰る事にしたんだ。
そうすりゃ、家で途方に暮れる可能性は失くなるだろ?な?俺ってば頭いいッ!自分で自分を褒めてやりたくなる発想の転換だよな!
「お、おいおい、豚……いるじゃん!」
それは街の外で見付けた1匹の子豚だった。子豚は俺を見ると、尻尾をフリフリしつつお腹を鳴らしながら近寄って来たのさ。
ぐぎゅうるるるるる〜
「なんだ?腹減ってんのか?分かる分かるぜその辛さ。俺もそれで昨日、死にかけたしな。そういや、家からくすねてきた干し肉があったな。どうだ、食うか?ま、俺も半分食うから半分コな?」
ぴぐっ
俺は優しい事に子豚に干し肉を与えてみた。なんの干し肉かは知らないが、この世界に豚はいないらしいから、共食いにはならないだろうと考えた。
だがその前に俺は、この豚を見た時に閃いちまったのさ。魚が手に入らず、究極の出汁スープが作れない時の保険に、この豚にあるだろう骨を先ず、確保しておく事を……だ。
その為には前もって手懐けて飼い慣らしておけば、わざわざ探して捕まえる手間も省けるから、一石二鳥作戦ってヤツだよな!
「懐かれちまった。ってか、こうして見ると可愛いんだな、お前。どうだ?うちのコになるか?」
ぷぎぷぎッ
こうして俺の作戦は功を奏して、見事に子豚をゲット出来た。だが子豚じゃ取れる骨は少ない。それだと豚骨スープを作るのに試行錯誤出来る回数が少ないって事だ。だから俺はこの子豚を大きく育てて、立派な豚骨スープに仕上げる事に決めたのさ。
だけどその一方で、魚が手に入るかどうかも聞いてみる事にしたんだ。え?そりゃもちろん、おっさんにだよ?
「クレア、本当に……いいのかい?挿れるよ?今ならまだ引き返せるよ?」
「あぁ、う……うん。お…パパさんの好きなように……して。お願いだから……ひと思いに貫いて……」
おいおい、勘違いすんなよ?これはおっさんに頼んで仕入れてもらった魚に、包丁を挿入してもらってるところだぜ?
-・-・-・-・-・-・-
子豚を連れて家に帰ると、ちょうどおっさんも仕事から帰って来た所だった。それだから、懐いて後ろを付いて来た子豚を見せたんだが、この子豚……実は豚じゃなかったんだ!
なんか最近、驚いてばっかりだよ……。
でもな……知ってるか?この子豚、オークって言うらしいぜ?俺達はハーフオークらしいから、この子豚、ハーフじゃないただのオークって事になるよな?凄くない?え?凄くないの?
でもそうしたら、オークはハーフオークの親戚みてぇなモンって事だよな?俺達は人間型なのに、オークになると豚になるってのは、どうなってんだろうな?
あ、でも、母豚はオークの血が濃いって言ってたから、この子豚も大きくなったら、あんな感じになっちまうのかな?でもそうなったら、豚骨スープに出来るか悩ましくなっちまうな……。
おっさんは最初、このオークを見た途端「森に返して来なさい」って言ったけど、拾っちまった以上、捨てに行くのもどうなのよ?って感じだった。
だから俺はガラにもなく、可愛らしくキャピキャピ感を出してお願いしたら、急におっさんがデレ始めてあっさりOKしやがった。まぁチョロいね。
でもな……俺がどんな風に言ったかなんて、絶対に言わねぇよ?企業秘密ってヤツだし、守秘義務は絶対に守らねぇとな!
そんな感じで豚骨スープは育てなきゃいけなくなった。繰り返すが、育つ前に豚骨スープにしたら豚骨が少な過ぎて美味しいスープにならないから仕方ねぇだろ?
でも大きくなったら、母豚のように二足歩行になると思うと……まぁ、見極めが肝心ってヤツだ。
で、その件は置いといて、魚の事を聞いたんだが……おっさんは正直なところ驚いていた。「本当に食べたいの?」って顔に書いてある気がした。
実際書いてあったら変なおっさん過ぎて指差して笑ってたと思うけど……。
まぁ、それが白塗りの変なおっさんなら最高かもしれんが……って、はぁ……。不謹慎な事は言うモンじゃないね。
「クレアーーッ!急いで買いに行って来たぞッ!」
「えっ……そ、それが……魚?」
おっさんが買って来た魚は見るも無残な悍ましさで、正直食欲も失せるくらいにグロテスクだった。
前にテレビで、深海魚が浜辺に打ち上げられて爆発していたのを見た事があるんけど、それを10倍くらい悍ましくした感じだったね。‒‒本当にこれ食べれるの?ってレベル。
俺が日本人だった頃は、テレビで見たゲテモノ食いに、ほんのちょっと興味があったけど……。でも、実物を見ると食べる気も失せるし、こんなのがテレビに映ってたらクレーム電話がたくさん鳴っちゃうんじゃないかって感じだったぜ。
みんなに見せられないのが残念だ。あぁ、残念だぜ。本当だからな?
でもまぁ、買って来てもらった以上、流石に「いらない」って言うのは、おっさんが可哀想過ぎるし、「狩り取った生命は有効活用しなければならない」ってどっかでそんなセリフを聞いたから、食べてみる事にしたのさ。
でもそれは凄く勇気が必要で、そんな事を考えて言っちまった俺を褒めてあげたいと思うって、自画自賛してやるよ。
でもその一方で、おっさんは俺に包丁を持たせようとしてたけど、さすがに得体の知れないモノを調理する気も方法も分からなかったから、おっさんに頼んだ訳なんだけどな。
「うげぇぇぇぇ、不味い。魚ってこんなに不味いの?鼻から抜ける泥臭さと、ヌチョヌチョしてる食感……そして、強烈に硬い骨のアクセント……」
「魚は沼にしか棲息してないからね。泥臭いが、慣れれば病み付きになる旨さがあるよ?だが……クレアにはやっぱりまだ早かったようだね。これが酒によく合うんだ。ところでクレアはもう食べないのかい?それなら母さんが帰って来たら酒の肴にするから貰ってもいいかな?」
「あぁ、俺はもう食べたくない……。ところで魚は沼?魚と言えば海だろ?」
「ウミ?ウミってなんだい?クレアは時折変な言葉を言い出すね」
「えっ?海を知らない……?まさか、この世界には海がない……のか?」