第91話 瘴気の悪化と、
王宮西にある宮殿“夕星の宮”で、隣国・エネループ王国の視察団をもてなすための歓迎の宴が催されている頃、エリック・スタインは眉間にシワを寄せながら各地から届く報告書に目を通していた。
夕食時も遠に過ぎた時刻は。空は紺碧色にとっぷりと暮れ、新月の今日はいつもより星も多く見えている。
「ここしばらくは落ち着いていたというのに…いつかまた来るとは思っていたが…早かったな」
つい、愚痴ともつかない言葉が口からこぼれてしまう。
瘴気が落ち着いていたとはいえ原因も不明、解決のめども立っていなかったため、特務室では引き続き業務の遂行中だ。国内の瘴気濃度の状況把握に努めていたエリック・スタインの元には、ここしばらく落ち着きを見せていた各地からの測定値変化の情報が、再び届き始めていたのだ。
特務室に貼られた地図は、今日1日であっという間に濃度3〜5を示す青色に埋め尽くされている。再び、濃度6〜8を示す緑色に変わる日も遠くない…望まないけれども容易く想像できるそれに頭が痛くなる。
おまけに、さらにエリックの頭を悩ませるのは、ついに、各地からこの状況を訝しむ声が特務室まで届き始めたことだ。
それも仕方がないだろう。再び数値が上がったという各地からの報告には、「原因不明の体調不良を訴える住民が続出」という文が添えられていたのだから。
やはり、これまでの報告と同様に、皆一様に腕や足の所々に黒い痣のようなものが出始め、体全体に倦怠感が出ているという。
当初の調査では、『気候変動と流行病、作物の成育状況などについての調査』という名目で瘴気の測定と報告を依頼していた。しかし、そろそろその名目も限界だろう。
各地域だって領地間での交流や人の行き来はある。人が動けば情報も動く。原因不明の体調不良者が出て、どうやらそれが、自分たちが住む領地だけでなく他の地域でも発生していて、その症状が似ているとくれば、情報収集もするだろう。
その中で、測定値の数値の変動もあれば、それが原因なのではないかとその可能性を考えるのも自然なことだ。
各地の報告書には、測定器の数値は何を示すのか、体調不良の原因は数値に関係があるのか、どうすれば回復するのか、一体何がどうなっているのかなど、各地からの問い合わせや不安の声が綴られていた。
エリックは各地へ配布するポーションの手配をし、王城で手配したポーションを送る旨を各地へ連絡した。しかし、ポーションでは病状の回復は難しいため、応急処置的なものになることも伝えておく。
「これはさすがに、そろそろ情報を伏せ続けるのは無理かもしれないな…ひとまず、宰相閣下に報告してご判断を仰ぐか…」
そう言いながら立ち上がったところで、今夜は隣国の歓迎の宴が開かれていたことを思い出した。
「…せっかく落ち着いていた瘴気がまた増え始めたこの状況で隣国の視察など…全く厄介な…」
いずれにしても、ひとまず“夕星の宮 "へ向かうことにしたエリックは特務室を後にした。
一方、王城の一角に建つ王立魔術研究所では、今夜も3名の男たちが研究室に詰めていた。
なんとか、瘴気を浄化することができないか、浄化できなくてもせめて中和することだけでもできないかと、中和装置の開発に心血を注ぐものたちだ。
以前改良した中和装置には、中和の効果の拡大を図るため、増幅と相乗を狙うための魔法陣を組み込んだ。
確かに、効果は上がったが、増え続ける瘴気を前にしては小手先のごくわずかな効果にしかならない。今は、さらに中和効果を上げるための試行錯誤中である。同時に、浄化装置の開発も目指しているが、こちらは前途多難だ。
「なあ、中和装置の改良って、もうほぼほぼ限界じゃないか?」
「…ああ…頷きたくないところだが、概ね同感だ。…しかし、だからと言って瘴気が発生すれば、そうも言っていられない…」
「そうだよなあ…。増幅も相乗も反映されて効果は最大限にはなったけど、聖石の曇りを取るほどの浄化はできないしな…そうなると、やっぱり何としてでも浄化装置を開発しないといけないだろ。はっきり言って、前途多難だな…」
所員の一人はそう言うと、大きく背伸びをして、傍に置いてあった魔石を手に取り弄り始めた。
瘴気の調査隊が北部の調査の際、討伐された魔物から持ち帰った魔石だ。数日間かけて散々調べたが何も出なかったので、何かの装置の動力に使うかもしれないと研究室にそのまま置いてある。
魔石は、魔道具の動力に使える。中の魔力が空になれば、再び魔力を注入すれば再利用も可能なのだ。
「おいお前、それ落とすなよ? 割れたら動力に使えなくなるぞ?」
考え事をするときに、手元にあるペンやら何やら、小さなものを手遊びのように弄るのはこの男の癖だ。
研究には何かとお金がかかる。ある程度の予算は支給されている研究所だが元は税金なのだ。使えるものは無駄にせず、有効に使わなくてはならない。
「わかってるよ。そうだよなあ…この陣に聖属性を組み込んで発動できればな…」
「理論上は、そうだな」
「それができれば、すべての問題が綺麗に解決するな」
聖属性の魔方陣は特殊だ。王立魔術研究所では、聖属性に…聖女に関する書物を最も多く保管している治癒薬院に協力を求め、聖属性の魔法陣の記載された書物から、浄化装置につかえそうな幾つかの陣を書き写した。
そして、書き写しながらわかったことは、この陣はただ書くだけでは使えないということだった。
「聖属性か…」
聖属性の魔法陣は、聖女が書かなければならいのか、聖属性の魔力が必要なのか、よく分からないものの、研究所の誰が書いて魔力を通しても、どうやっても発動しないようだった。陣があっても、それを装置に組み込むことができても、肝心の発動ができなければ、ただの置物である。
「聖女様に頼めないのか?」
「要望は出してるって所長が言ってたぞ。でも、難しいんだろ…」
「難しいって、何が?」
「ああ…だが、聖女様は慰問活動も全くしないらしいし、治癒魔法などを施されることもないらしいからな」
「聖女サマのお仕事は、社交らしいぞ? 高位貴族の独身男性の集まるところには積極的にお出かけになるらしいからな。ドレスや宝石を買い漁り、連日社交に勤しんでいるらしい」
「国の危機だろ!?」
「そうなんだが…なんというか、聖女様には治外法権的なところがあるらしいからな…」
「今夜は隣国の視察団の歓迎の宴だったか? 確か王族の一人が使節団長だったらしいぞ。きっと聖女様もお仕事だろ…」
「まったく…一体、何のための聖女だよ!? 聖女の責任を果たせって! 金ばっかり使って遊び呆けてないで、」
「「おい!!!」」
手で魔石をいじりながらそう愚痴をこぼすと、話をしていた2人の所員が声をあげた。
「なんだ? 本当のことを言って何が悪い?」
「そうじゃない! 魔石から手を離せ!」
「え?」
二人の鋭い声に手元を見ると、自分の手の中で弄っていた魔石に陣が浮かびあがり、薄く赤く光っている。
「え??」
驚いてよく見ようと、手に魔石を乗せたまま顔に近づけているうちに、陣は消え、それに合わせて魔石の光も消えた。
「なっ……」
一瞬あっけにとられた3人だったが、すぐに我に帰る。
「今のは、なんだ?」
「魔石は、異常がなかっただろう?」
「ああ、徹底的に調べた」
「でも、今のは、明らかに魔法陣だったな」
「ああ、間違いない。覚えてるか? 書き出すぞ!」
王立魔術研究所の長い夜は始まったばかりだった。
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