第60話 やどり木亭の危機2
カリフィールド侯爵がゆっくり首を横に振りながら、セルジュへ告げた。
「…聖女……それだよ、セルジュ。我々が今日ここに来た理由は」
衝撃の一言である。
メイド服の不敬ではなかったようだが、なんなら不敬度はもっと増すではないか。
(ひえええっ。どっちにしても、やっぱり不敬罪ーーーーー??!!)
これは紛れもなく、マリーとやどり木亭に、かつてない危機の到来だ。
「「なんですって?!」」
しかし、ここにもう一つ、驚きの声が響いた。紺色の髪の青年と赤毛の騎士からだ。何故ゆえ?
「アーロン殿、ワーグナー小隊長殿…ああ、これは失礼、ご紹介がまだだったね。 アーロン殿、ワーグナー小隊長殿、こちらがこの宿の当主のセルジュ殿でご息女のマリー嬢だ。
セルジュ、マリー嬢、こちらのお二人は王都から来られた王城の政務官殿と第十騎士団の小隊長殿だよ」
「初めまして、王城の特務室所属の政務官アーロン・スタインです」
「第十騎士団の第五小隊のミカエル・ワーグナーと申します」
「やどり木亭当主のセルジュです。この子は娘のマリーです。そして、こちらは宿の支配人のオリバー・グレンジです」
「ご挨拶が遅れて大変失礼いたしました。オリバー・グレンジと申します」
「ああ、君があのグレンジ商会のご子息か。お父君にはいつもよくしてもらっているよ」
「過分なお言葉を恐れ入ります」
オリバー支配人が侯爵へ答える。さすが、大商会で鍛えられてきただけあり、流れるような礼と挨拶でそつがない。
「あの閣下、それでこちらのご息女が聖女というのはどういうことですか?」
紺色の髪の優しげな顔立ちの青年…アーロン政務官が侯爵に尋ねる。
「ええ、私も今伺い大変驚きました。聖女様とは、一体…?」
赤髪のワーグナー小隊長も同様だ。
「王都の聖女様とは別に、ローべには聖女様がおられるのですか?」
再びアーロン政務官が尋ねると、侯爵は驚いたような表情でアーロンとワーグナーを交互に見つめている。
その場をしばし沈黙が支配した。
そしてその後、その場に響いたのは、
「……なんですと?」
カリフィールド侯爵の驚きに満ちた声だった。
「わっはっはっはっは! 」
再びの沈黙を破ったのはカリフィールド侯爵の笑い声だった。
「いやはや、これは大変失礼! 王都から、政務官様と騎士様がお越しになるなど何用かと思っておりましてな。やどり木亭へ行くとおっしゃるものですから、もしやこれはと勝手に勘違いをしてしまったようですな。いや、これは誠に面目ない」
「察し」「婉曲」「あいまいな表現」…主語や目的語なしの会話。あるいは、肝心な部分を濁して伝える、言質を取られないためのそう言った意思疎通が生んだ貴族の社交の習慣が招いた弊害だろうか。
前世平凡な日本のOLだったマリーもしっかり揉まれたその風習は、日本の会社社会と通じるものがあるのではなかろうか。
数分前、アーロン政務官とワーグナー小隊長に尋ねられたカリフィールド侯爵は、ようやく、己の勘違いに気づいたのだった。
「や? や? 聖女の名を騙った罪で王都へ連行されるのではない…?」
「…ええ。そのお話は先ほど初めて伺いましたので」
「そのために、調査目的も伏せ、内々に政務官殿と騎士殿が派遣されたのでは、ない…?」
「ええ。我々がこの度ローベを訪れた目的は、それではありません」
それを聞いた侯爵は、一瞬理解できないように固まった次の瞬間、大きな声で笑い出したのだった。
人格者でやり手で切れ者だと思っていた侯爵だったが、案外おっちょこちょいな一面もあったようである。
しかし、アーロンたちの訪問の目的は伏せられている。それが誤解を生むことになってしまった経緯でもあり、申し訳なさを感じるアーロンだった。
「いやいやいやいや、それを聞いて安心したよ。いやね、セルジュは私にとっては息子みたいなものでね。話したようにあの子の両親が急遽なくなり、画家になる道を諦めて帰郷して、色々あった末に宿を継いだものですから、どうも気になりましてなあ」
「そうでしたか。…それで、先ほどおっしゃっていた聖女とは、一体…?」
「ええ…それは、このセルジュがですね、『僕のマリーは世界一可愛い天使で聖女だ』とあちこちで言い回っているものですから…いえ、細君とこちらのご息女には止められているそうなのですがな。
しかも、マリー嬢は宿の立て直しに大変大きく貢献しただけでなく、まだ幼いにもかかわらず、孤児院や孤児たちにも手を差し伸べているのです。
それに、この宿に泊まるとなんでも大変に疲れが取れるような気がすると評判でしてな。 まあ、そんなこともありまして、おかげで、今では商工会関係者の間では“やどり木亭の聖女”などの呼称で呼ぶものもおりましてな…」
なんと、マリーに再びの衝撃である。
「いや、マリーちゃん自身は、まだ12歳にも関わらず『聖女様を騙ったと言われて不敬罪になるかもしれないから、せめて外で“聖女”っていうのはやめてほしい』とセルジュは言われていたそうなのですがな」
「…なるほど。こちらのご当主があちこちで娘自慢をし、行動もそれに見合ったと思われる実績もあったためローベの街でそう呼ぶ者が増え、それを聞きつけた我々がここへ来たと思われたというわけですね?」
「おっしゃる通りです」
「よく分かりました。まあしかし、ご心配されるまでのことはないでしょう。実際に聖女様の名を騙った訳ではないのですよね?
例えば、聖女様の名前を騙って何か悪質なことをするとか、聖女様のお名前を何かに利用するとかそういったことでもあれば、やはり不敬罪やそれ以上の罪に問われることはあるでしょうが。
後はそうですね…例えば、聖女様を騙って民衆を扇動するとかですが、そういったことをしなければ罰せられることはありません」
「それを聞いて安心しましたな」
(よ…よくない…安心しない!! な、なんで私が商工会関連の人たちにも「聖女」って呼ばれてるの?! パパに、あれほど外で聖女とか言わないでって言ってたのに!!! おかげでこんな騒ぎになって!!!!)
マリーがおこである。
キッとセルジュを睨みつけると、セルジュは気まずそうに目をそらした。
(うぬぬぬ…許すまじ……)
「マリーちゃんに初めて会ったのはまだ3つの頃でね。それ以降は全く会わせてもらえませんでなあ。今日ようやく再会を果たせたというわけです」
「それはおじさまが、うちのマリーをおじさまの孫と結婚させるなどと言うからでしょう!」
セルジュが侯爵に噛み付いている。
「はははははは。そのうち誰かと結婚するのなら、私の孫でもいいではないか。うちなどしがない侯爵家に過ぎないからな」
「とんでもない!侯爵家に嫁いで、マリーが貴族社会で辛い目にでもあったらどうするのです?
それに私は、マリーには、生きたいように生きて欲しいと思っていますから、政略結婚などもっての他ですので!」
「しかし、利発で商売にも才があり、慈愛の心もあるとなれば、ローベを治める我が家にピッタリだろう? まあ、当人同士がその気になればよいことなのだ。そのうち、私の孫たちを紹介させてもらうよ。
マリーちゃん、私の孫と友達になってもらえるかな? 老い先短い年寄りの願いを、ぜひ聞いてもらえると嬉しいのだが…」
最後の、そのちょっと寂しげな顔でマリーを見るのは反則だと思う。情に訴えられると、マリーは弱いのだ。
「は…はひ…!」
この話はここで終わりだとばかりにセルジュが政務官へ尋ねる。
「それで、政務官殿と騎士殿は、どのようなご用件でこちらへ?」
「ああ、実は、我々がこちらにお伺いしようと思っていましたのは、今度の祭りに向けて新しく販売された薬草を使った商品についてなのです。 どうやら素晴らしい効能があるようで」
(え?情報早くない?!)
なんと、王都からのお客様の本来の訪問目的はラベンダー関連だったようだ。
しかし、ラベンダー水と美容液は昨日販売を始めたばかりである。にもかかわらず、昨日の今日のことを、王都の役人と騎士に尋ねられるなんて、とあまりの情報の早さに恐ろしさを感じるマリーだった。




