第59話 やどり木亭の危機
「はえ…?」
間が抜けたような声がマリーの方からこぼれ落ちるのとほぼ同時に、マリーの耳にオリバー支配人の小さな声が聞こえた。
「…あのお方は、カリフィールド侯爵?」
(ええっ?こここ、こ、侯爵? 侯爵って言った?)
マリーは驚きのあまり、目も口も大きく見開いたままオリバー支配人を見る。
無念にも支配人から戻ってきたのは、小さな頷きだった。
(こ、侯爵って本当にいるんだ…! いや、知ってたよ? 知識としては、知ってたよ?)
やどり木亭を利用するお客様は貴族でも男爵家、もしくは稀に子爵家までだ。しかも彼らは家業が商家などで、ここを訪れる時もその商家の仕事などのことが多く、ここで過ごす時は服装も言動も商人に寄せているのだ。まだ子供のマリーに気を使ってくれているのかもしれないが。
そのため、マリーにとって目の前の侯爵は、初めての貴族然とした生高位貴族だったのだ。
が、今マリーが気にするのはそこではないはずである。
しかし、マリーは小さな頭をフル回転させ、自らの乏しい知識を検索していた。
カリフィールド侯爵とはローべのこの地を治める領主様ではなかったか?
しかも数代前には、王家から王女が降嫁したこともあったと言う由緒正しい名門貴族ではなかったか?
(そんな侯爵様が、何故やどり木亭に?しかもこんなに物々しく騎士まで連れて…?)
ようやく、本来気にするべきポイントに戻ったマリーである。
(はっっっ!!!!ま、まさか、メイド服…っ!!!)
マリーの脳裏に浮かんできたのは、食堂の制服にしたメイド服だった。
(あんなにフィーバーしたんだもん。そりゃ、侯爵様の耳にも入るよね…。ひええっ!も、もしかして、ふ、不敬罪?!)
さぁぁぁぁっと血の気が引くのを感じながら、なんとかその場に立っているマリーだった。
「ご当主はいるかね?」
「はい。ただ今呼んで参ります」
そう答えたオリバー支配人がセルジュを呼びに執務室へ向かった。
「ほう、君がマリーちゃんかな。大きくなったね。今いくつだね?」
(え?侯爵様が私のことを知ってるの?)
「じゅ、12歳でしゅ…」
噛んだ。マリー、痛恨のミステイクである。
しかしカリフィールド侯爵は、何事もなかったかのように微笑んで会話を続ける。
「そうか、今年が洗礼式だったのだね。それはおめでとう。実は私には孫がいてね、君と同じ12歳と、少し下の7歳と5歳にーーー」
「カリフィールドのおじさま?!」
侯爵の声を遮るようにバタン!と執務室の扉が勢いよく開き、セルジュが飛び出して来た。
(え? パパ、侯爵様とお知り合いなの??)
「一体、何故ここに? おじさまには、ここには来ないでくださいと言っているではありませんか!」
「パ、パパ?!」
(ち、ちょっとパパってば、さすがにその態度は不敬なのでは?!)
メイド服の不敬罪にセルジュの不敬罪がさらに加わっては…と、マリーの小さな心臓はドキドキし通しだ。
「セルジュ…そうも言っていられない事態なのだ」
大きくため息をつく侯爵。
「ああ!それに勝手にマリーと話しましたね?近づかないと言う約束でしょう!!」
「…いや…セルジュ、だからそうも言っていられない事態でね…」
「マリー!さあ、マリアンヌのところに行っておいで」
「いや、待ちなさい。ご息女にも関わりのある話だ」
(ひえええっ!! や、やっぱりメイド服ですかね…?! )
「マリーにですか?」
納得ならないと、セルジュが侯爵をキッと睨みつける。
「いえ、マリーは関係ないでしょう!マリー、さあ、ママのところへ行っていなさい」
しかし、メイド服が不敬罪になるならば、その張本人はマリーなのだ。
それにこの場で最も高位である侯爵にここにいるようにと言われているのである。勝手に立ち去る訳にはいかないだろう。
「ご当主、ひとまずあちらのお部屋にご案内しては…ここでは人目もありますので」
「うむ。そうさせてもらおう」
見かねたオリバー支配人の言葉に侯爵も頷くと、マリーも不満気なセルジュを引き連れて今日整えたばかりの貸し部屋ヘ向かう。
ソファには、侯爵と紺色の髪の青年、赤毛の騎士、セルジュとマリーだ。
従者とそのほかの騎士たち、オリバー支配人はお互いの椅子の後ろに控える。
「おや、この部屋は客室ではないのだね」
「ええ、この部屋は宿にお泊りのお客様の商談などに貸し出しているお部屋です。マリーの提案で時間貸しを始めたのですがお客様に大変好評で、ここも元々は客室でしたが模様替えして貸し部屋にすることにしたのです。マリーの提案で。僕のマリーは天才ですからね」
(パ、パパ!やめてぇぇぇぇぇぇぇ!!)
こんな時でもセルジュのマリー自慢は止められないらしい。ちょっとは空気を読んで欲しいと、心の中でマリーは叫んだ。
「ああ、セルジュ。君のご息女の話は何度も聞かせてもらったよ。やどり木亭の賑わいを取り戻すために、奮闘しているのだろう?
「ええ、お客様に喜んでもらうことを目標に掲げ、お客様の痒い所に手が届くような取り組みを行うことで、宿は少しずつ賑わいを取り戻しています。内職の仕事などを好条件で孤児院の子供達に依頼したり、孤児達を雇い入れたりというのもマリーの提案です」
「ああ、どの取り組みについても君から聞いていたし、実際に利用者した者達にも非常に好評だそうだね。今やすっかりやどり木亭は大変居心地の良い宿として評判になっているとも報告を受けている」
「ええ、すべては私のマリーのおかげなんですよ。私のマリーは天使で、なんといっても聖女ですからね!」
「「せ、聖女?」」
その言葉を聞いた瞬間、青年と騎士がそう声を揃えて目を瞠る。
マリーは侯爵様…領主様に向かっての、セルジュのまさかの「聖女」発言に大慌てだ。
(パパっ!! あれだけ外では言わないでって言ってたのに!!!)
すると、カリフィールド侯爵がゆっくり首を横に振りながら、セルジュへ告げた。
「…聖女……それだよ、セルジュ。我々が今日ここに来た理由は」
衝撃の一言である。
メイド服による不敬罪ではないようだが、なんなら不敬度はもっと増すではないか。
(ひえええっ。どっちにしても、やっぱり不敬罪ーーーーー??!!)
マリーとやどり木亭に、かつてない危機の到来である。




