第111話 レオンの心の平穏
「トーマス!これを食堂で使ってくれないか?」
俺の働く宿の食堂に、この宿の主であるセルジュさんが、顔を綻ばせながらやって来た。
「やあ、セルジュ。アプロンにオレジンにモモリンじゃないか!こんな季節に珍しい。 それに、こんなに沢山。もしかして領主様からの差し入れかい?」
「いや、僕のマリーの薬草園にね、実が成ってたらしいんだ!」
「へえ!! それはすごいな!!」
「ふふふ。僕のマリーは天才だからね!」
「それにしても、ベリーだけじゃなくてこんな果実まで植えてたのかい? しかもこんなに立派に育てるなんて、マリーちゃん、すごいじゃないか! 手入れも大変だっただろうに」
「いや、特に植えてはいなかったみたいだよ。植わってることも知らなかったらしい。今朝、いつものように水やりに行ったら成ってらしいんだ」
「え? そんなことがあるのか?」
「そうなんだ。昨日の夕方に水遣りした時にはなかったらしいよ」
「一晩で? それはすごい。何か特別な品種かな?」
「ああ、レオンさん! 見てください! 僕のマリーの薬草園で採れた果実なんですよ!」
いやいや、待ってくれ。
俺は、目の前で繰り広げられる会話を理解するのにたっぷり数秒はかかった。
「お!これはホロロンだ! マスカッティンもあるな! しかもどれも色艶もいい! これはどれも品質が高いな」
「マロロンもあるんだよ。 なんでも、普通のマロロンと違って“イガ”がないらしい」
「へえ、そんな品種があるんだな?」
「ああ。マリーが言うには、なんでもあの薬草園に植わっている薬草たちは特別仕様らしいんだ。それで、なんでもこれは、“ばーじょんあっぷ”っていうやつだろうって話だ」
「へえ〜〜、マリーちゃんはすごいな!」
「ふふふ。僕のマリーは天使で聖女だからね!」
いやいやいやいや、無いからそんなこと!
あり得ないだろう!普通に考えたら!
どうしたら、そんな、さも当たり前のように言えるんだ?
いや、そうだった………。この職場の人たちは、いつもこうだった。
俺が働いているやどり木亭の雇い主である、セルジュさんと、その妻であるマリアンヌさんは平民であれば当たり前に知っているはずの常識というか、知識というか、に少し偏りが見られるらしい。
それなりに繁盛した宿だったやどり木亭の息子だったセルジュさんは、子供の頃から絵を描くことが好きで、絵しか描いていなかったらしい。画家としての腕前はそれなりにいいと思うが、本当に絵しか描いていなかったが為に、それ以外の常識に弱いらしい。本当に、先代が急になくなって宿に呼び戻されるまでは、食事も忘れてひたすら絵を描くような生活をしていたらしいからな。
マリアンヌさんにしても、平民ながらもかなりの箱入り娘だったようで、淑女のたしなみはしっかり備わっているのに、それとは対照的に一般的な常識に偏りがあるらしいのだ。
おまけに二人とも、商売人に向いていなかったようで、先代がが亡くなった後、当時の従業員が金を持ち逃げしたり、その他にも騙されたり、料金を踏み倒されたりとなんだかんだで、この宿ももう少しで潰れるところだったんだとか。
俺がこの宿の食堂で雇われることになったのは、そんな瀕死の状態に陥ったこの宿の立て直しを図る、という時だった。
面接時、待合所になっていた宿の食堂で話しかけてきた少年がマリーちゃんだったと後で知った時には驚いた。
なんでも、マリーちゃんのアイデアで、宿の宿泊客の子供を装い少年の格好をしたマリーちゃんが、抜き打ちで面接受験者に話しかけてその対応をチェックしていたというのだ。
一通り受験者に話しかけた後、少し離れたところに立ったマリーちゃんが、「子供を侮る人って、どこの世界にもいるんだね。そういう人って雰囲気も良くないし、できれば一緒に働きたくないよ。私は今、子どもだし」とボソリと呟いていたのが忘れられない。
他の人に聞こえないような小さな声だったが、俺は人より耳がいいんだ。冒険者時代はその耳の良さで、いくつも危険を回避してきたからな。
だから、意図せず聞こえてしまったその小さな呟きにはぎょっとしてしまった。
思い返せば、そんな最初の出会いの時から、マリーちゃんは普通の子供とは少し違ったように思う。
瀕死の状態だったやどり木亭は、今やすっかり人気の宿だ。もちろん、食堂も。
荷馬車の幌に大きな絵を描くというアイデアで注目を集めたかと思うと、その荷馬車を使って、宿から運河港までの無料送迎を始めた。
宿泊客の靴のお手入れや洋服の修繕というサービスを始めたり、靴のお手入れ中に履ける室内履きを考案して、使用した室内履きは自由に持ち帰れるようにしたり。
宿泊部屋には一輪挿しをおいて花を生けたり、「ようこそ!」という気持ちを込めたメッセージカードを置くようになったり、というのも、実は全部マリーちゃんが考えたのだと聞いた。
マリーちゃんは、「えへへ。レオンさん、ありがとうございます! でもですね、あれはみんなで考えたんですよ〜!」と言っていたが、その“みんな”がマリーちゃんのアイデアだと言っていたからな。
食堂だってそうだ。
朝晩のみだった営業時間を見直して、朝から夜までの終日営業にしたり、早朝や深夜で食堂が利用できない客にお弁当を提供することを考えたり、効率よく且つ客に喜んでもらえるようなメニューを考案したり、新商品を開発したり、お仕着せの制服を作ったり、マリーちゃんがこの宿に与えている影響は計り知れない。
それぞれのアイデアや、やっていること自体は、何か物凄く特別なことじゃないし驚くようなことでも、突飛なことでもない。しかし、宿のサービスにはそれらがピタリとはまって、実際、客の評判は右肩上がりだった。
いや、お仕着せ制服を作ったのは画期的だったか。
あれは、何というか、すごいアイデアだ。
とにかく言えるのは、とてもじゃないが、洗礼を終えたばかりの12歳とは思えない少女だということだ。
普通ならまだ「見習い」で、一人前の仕事なんて十分にこなせなくても当たり前の年齢だからな。
それが、マリーちゃんは次から次に大人顔負けのアイデアや行動力であっという間にやどり木亭を人気の宿に押し上げたのだ。
それに、俺が密かに不思議に思っていることがある。
そもそも、マリーちゃんは平民の子供だ。それなのに読み書きや計算も難なくこなす。
最初は、セルジュさんとマリアンヌさんの実の子供ではなく、どこかの貴族の庶子だったり、何か訳ありの貴族の子供を引きとたりしたのかとか思ったりもした。けれども、二人とマリーちゃんが親子というのはどうやら間違いがないようだったのだ。
ローベでは、平民は教会の教室で地域の子供達に基本的な読み書きや計算を教えていて、マリーちゃんもそこに勉強をしに行ったらしいが…正直、あれはそんなもんじゃない。
俺は冒険者時代、国内のあちこちに行ったし、護衛の仕事なんかで沢山の貴族や商人とも接する機会があったからわかる。マリーちゃんは計算は暗算で大人の商人並みだし、礼儀だってそこいらの大人顔負けだ。貴族の対応だって問題なくできるほど言葉遣いも洗練されている。そんなの、教会でなんて決して教えてもらえないからな。
じゃあ、マリーちゃんは一体どうやって覚えたんだ?
あの様々なアイデアだって、知識があるからこそできることだ。一体どこで学んだんだ?
「僕のマリーは天才だからね!」とセルジュさんは言っていたけれど…まあ、そういうことなんだろうか。確かに、俗に言う「神童」って言葉は、マリーちゃんみたいな子供のことを言うのかもな。
そんなマリーちゃんのことを、俺の考える“普通の子供”と一線を画した存在だと思ったのは、マリーちゃんが薬草園を作った頃だったか。
ある時マリーちゃんが、食堂に薬草を持って来た。
俺は料理人になる前の冒険者時代、駆け出しの頃は薬草採取の仕事も請け負ったし、たまに希少な薬草採取の依頼もあったから知っている。それに討伐に出かけた先で怪我をした時にも、薬草の知識があれば役に立つからな。
だからわかる。あれは、その辺の森では決して採取できないような貴重な薬草ばかりだった。その珍しさに驚いたほどだ。
マリーちゃんが持って来た薬草は、どの薬草も、普段なら平民が見る機会も少ないような貴重で高価なものばかりだった。
まあ、持って来ただけなら、まだ百歩譲って理解できるとしよう。
ところが、マリーちゃんはその薬草を庭に植えて、栽培することに成功したんだよな。
確かに、最初に聞いた時は俺も貴重な薬草を前に興奮していたから、単純に「おお〜!!」と驚いたけど、しばらくしてから冷静に考えてみて、それがどれほど「普通ではない」ということに気づいた時は、ちょっと気が遠くなるような気がしたね。
支配人をしてるオリバーは、でかい商会の息子だったからそれなりに博識だし薬草の知識もあり、あの薬草園の特異性にも気づいているらしい。
元、王都の研究員だったっていうジェニーも薬草については詳しいから、当然あの薬草園が普通じゃないことにも気づいてるようだ。
二人とも、あまり明確に言葉にしないのは、何か思うところがあるんだろう。
ああ、そういえば、マリーちゃんの薬草園での水やりも、あれも普通に考えればちょっとおかしいしな。
だって、あり得ないだろう!金色の光が出るってなんだよ?!
平民だぞ? 平民には魔法は使えないんだぞ?
魔道具か何かかと思ったが、どうやら違うらしいしな。
おまけに、マリーちゃんの薬草園で取れた薬草を使った商品の効能が高すぎて、オリバーとジェニーが頭を抱えていたこともあったからな。
そういえば、あの時のマリーちゃんはただただ頑なに、『これは、えーっと、“ぱわすぽ”の効果っていうか…! ちょっと特別なところで育った薬草の特別仕様っていうか…!』ってよく分からない説明をしてたな…。
ああ…それに、この間のローベの祭りじゃ、“事故にあった侯爵夫人の命を救ったのがやどりぎ亭の娘だった”だの、“やどり木亭のラベンダーのアイテムが奇跡を起こした”だのって噂が密かに広って、“ピンクの聖女の奇跡”、“ピンクちゃんの奇跡”とか言われてたな…。本人はそんな噂になってるって知らないらしいが、今やすっかり“ローベの聖女”とか“やどりぎ亭の聖女”とか言われてるからな。
こんなに普通ではありえない、いわゆる非常識なことが立て続けに起こるなんて、勤め始めた頃には思いもしなかったよ。
最近じゃ、1本の木に数種類のベリー系の実が成るという“不思議なベリーの木”に驚かさればかりだったが、ここにきて、“一晩で薬草園に果樹園ができてた”だと……? しかも、植えてないのに果樹が育って実ってだと……?
うん、もういっそ、本当に聖女とか何かだったって言われた方が、素直に納得できる気もするな。
……いや、そうだった…。
俺は少し前から、もう何があっても「これは、こういうことなんだ」「それは、そういうものなんだ」って受け入れることにしたんだったな。ついつい忘れちまってたよ。
と、色んなアレコレを思い出してちょっと気持ちが遠くに飛びかけていた俺に、セルジュさんとトーマス料理長が声をかけてくれる。
「よければ今から皆で試食しましょう!」
「そうですね! レオン? ほら、皆で試食しよう」
「…はい、ありがとうございます!」
「おーーーーい!ニコルたちもこっちへ! マリーちゃんの薬草園で採れた果実だよ!」
「おーーー!マジっすか! 果実なんて高級品じゃないっすか! おいみんな、あっち行こうぜ!」
平和だな。なんだかちょっと、単純なニコルが羨ましい気がするな。
「さあみんな、遠慮なく試食してね。どれも、僕のマリーの薬草園で採れたんだ!美味しそうでしょう?」
「ありがとうございます!」
「はい! 美味しそうです!!」
「マロロンはこのままじゃ食べれないから、試食は今度だな」
トーマス料理長と俺がアプロンとオレジン、モモリンをカットして皿に並べる。
それぞれの果実の香りがすごい。それに、どれもジューシーで切っているとジュワッと果汁が溢れ出てくる。
ニコルがほくほくと嬉しそうな表情で、ホロロンとマスカッティンを一房ずつボウルに入れて洗って皿に並べた。
普段なかなか食べられない高級な果実を前に、元見習いくんたちの顔も輝いているな。
「うわっ!このオレジンめっちゃジューシーっすね!!」
「モモリンのこの香り…たまりません」
「んんっ!アプロンってこんなに甘いんですね…!」
試食したどの果実も、見た目だけでなく、香りも、味も、これまでに味わったことのないような最高の美味しさだったことは言うまでもない。
「マリーさんの薬草園って、本当にすごいですね!!」
「薬草も貴重なものがたくさんあるって聞いていましたが、果実まで採れるなんて最高です!」
「僕、果実の木って一晩で採れるなんて知りませんでした。やっぱり普段食べるような野菜とかとは違うんですね。 こんなに美味しいものが一晩でできるなんて信じられないくらいです!」
「やっぱり、そんな特別な木だから、果実は高級品なんですね〜!」
「おう! マリーちゃんの薬草園はすげえからな!!」
「ふふふ。僕のマリーは天使で聖女だからね!」
……うん、そうだよな。“そういうもの”だよな。
ここで、『そうじゃないぞ、普通、果樹っていうものは〜〜』なんてここで説明を入れる方が間違ってるような気がするもんな。
そして、俺は改めて「これは、こういうものなんだ」と受け入れることにした。
それが一番、俺の心にとっても優しいて思ったからな。
やどり木亭のマリーの薬草園に、果樹園ができた日。
それは、レオンの思考がまた一つ柔軟になり、心に平穏を得た日でもあった。
本編にはあまり登場する機会がありませんが、やどり木亭ていの食堂で働く元冒険者レオンと、マリーの薬草園にできた果実の回でした。
アプロンーりんご
オレジンーオレンジ
モモリンー桃
マロロンー栗
ホロロンー巨峰
マスカッティンーマスカット
***
読んでいただき、ありがとうございます!
誤字脱字報告も、大変ありがとうございます!
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