第9話 夢見る少女じゃいられない
(とりぷ?何?それ)
(えーっと、トリップ夢っていうのは……)
ああ、ここにスマホとネット環境があればなあ。
(夢主が現実とは違う別世界に飛ばされて、その世界の人と恋愛するお話……って感じかな?)
嘆いてもスマホはない。だから、トリップ夢の定義が合ってるかは分からない。
(え?この状況、まるっきりそれじゃない?)
(そう……といえばそうだけど、恋愛しないから)
(なんで?)
(だって、当方、人妻子持ちアラサーだよ!?ハタチなるかならないかの男の子と恋愛できないよ!)
(あの子、推しなんでしょう?)
(二次元だから推しなの!!)
(二次元って何?)
(二次元っていうのは、紙の上のお話だよ。机上の空論ってこと!)
ちょっと違う気もするが、例えとしてはまあいいだろう。
(でも、あなたは今ここにいるじゃない)
(えっ?)
(現実っていうのはここでしょ。ここは、紙の上のお話の世界じゃなくて、切ったら血が出る生身の世界でしょ、今のあなたにとって)
確かに。ここが今の私の現実だ。
(そしてあなたの身体は、陽国の身内から殺されかけて正体を隠してこの国に潜伏している、憑座の十七歳の女の子よ)
いや、そうかもしれないけど。でも。
(こっちで恋愛するってことは、あっちに戻るのを諦めるってことじゃないの?)
だって、もしまた帰れるなら家族を大事にしたい。
(そう簡単に諦められないよ)
そう言葉にすると、急に悲しくなってきた。
(本当に帰れないの?もう戻れないの?家族に会えないの?なんで、なんで)
口に出してしまいそうになって、ぐっと奥歯を噛み締めて耐える。口内でチーズの味と涙の塩辛さが混じる。
(なんで、今、わたしなのよぉ……)
なんで、ひとりぼっちで苦しくて消えてしまいたかったあの頃じゃなくて、頑張って頑張って家族を手に入れて、仕事でも信用を得て、全部ぜんぶ大切な、今なの。
ていうか、異世界転移とかトリップって、しがらみのない人がするもんじゃないの。
仕事も恋愛も上手くいかなくて、親戚縁者も少なくて、元の世界に未練がない人が、悪役令嬢とかチートな勇者とか王族とかに転移して、こっちで気分一新、頑張るぜ!ってやるやつじゃないの。
なんでワンオブザモーストしがらみある人な私が転移してるんだ。おかしいでしょ。
半泣きになった私に、どう思ったのかディージェは沈黙する。