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【9】夜の声、鉄の祈り

 日が暮れると、騎士団の本営は、まるで別の建物のように静かになる。

 白昼の喧騒が嘘のように消え、廊下には整然とした足音と、わずかな紙の擦れる音だけが響く。


 俺はその静寂の中を歩いていた。

 行き先は書記局。あの“聴取”以来、妙に気になることがあった。


 ――俺の報告書が、原文のまま記録されているのか。


 教会監察局は、事実を選ぶ。

 記録の上では「語られたこと」より、「語らなかったこと」の方が重要になる。


 だからこそ、報告書は“現場の記録”であると同時に、“沈黙の証明”でもあるのだ。


 それを査問局、ひいては教会の都合のいいように解釈し、注釈や加筆を行って本人の意図とは異なる認識を相手に与えることは1番短絡的だが効果的と言えるだろう。

 


 書記局の奥、閲覧室の扉をノックすると、中から控えめな声がした。


 「どうぞ、開いています」


 入室すると、文官の制服をまとった少女が一人、机に向かっていた。

 年は俺たちとそう変わらない。柔らかな栗色の髪、整った身なり。控えめな眼鏡が目元の印象を引き締めている。


 「……あなたが噂の、シルヴァン・ランベール・ラフォン殿ですね」


 「そうだが……文官とはいえ騎士団員なのに、俺を2つ名で呼ばないんだな?」


 「ばかばかしい」


 彼女は一礼し、名を名乗った。


 「……失礼、私はマリナ・エストレル、記録局所属。現在、査問局にて記録補佐官として兼任任務中です」


 淡々とした自己紹介。だが、その目は静かにこちらを観察していた。


 「ご自身の報告書を確認されたいと伺っています。机上に原本と写しを用意しました。照合の上、訂正希望があれば申請を」


 俺は頷き、机の上の紙束に目を通した。

 字面は、確かに自分が記した内容と変わりなかった。だが――


 「……該当者との関係性については、明言を避けた?」


 原文には書いていなかった文言だった。

 それはつまり、“関係性があることを前提として記録されている”ということを意味する。


 「これを加筆したのは、査問局か?」


 マリナはうなずいた。


 「はい。確認のうえ、署名なしで修正されたと伺っています。……ご記憶に相違は?」


 俺は息を吐く。


 「相違しかない。俺の書いた報告書とは別のものになっていると言ってもいい。だが、“否定するほどの根拠”は、こちらにもない。事実任務中で遭遇した対象が見知らぬ人物か知り合いかすら分からないからな」


 彼女は黙って記録に目を落とした。

 そのまなざしに、感情はなかった。ただ、記録官としての誠実さだけがあった。


 「記録は、言葉を信じるものではありません。沈黙と空白を照らすために、誰かが“そうであって欲しいと解釈する”ものですから」


 そう言った彼女の声は、まるで誰かの真似のように正確だった。


「“解釈する”……か」


 俺はその言葉を反芻した。

 記録が真実を写すものではないことは分かっていた。

 だが、“解釈”が誰の都合で行われるか――それによって、沈黙は裏切りにも、忠誠にも化ける。


 「なら、俺の沈黙も“解釈”されるのか?」


 マリナは顔を上げて、真っ直ぐに俺を見た。


 「はい。なぜなら、あなたは“語らなかった”のではなく、“語ることを選ばなかった”からです」


 その口調に、糾弾の色はなかった。

 だが、それゆえに胸を打った。

 言葉よりも、明確な線がそこにあった。


 「すまない、色々面倒かけた」

 

 「仕事ですので、それに……」


 「なんだ」


 「……余白、いえ、沈黙を選択したあなたは、一体どう言うことを語りたかったのかと想像してしまうのです」






 部屋を出ると、夜の回廊に風が流れ込んできた。


 誰もいない石の廊下は、どこまでも冷たく、どこまでも静かだった。


 


 部屋に戻ると、クロエが剣を研いでいた。

 無言のまま、石に刃を滑らせる音が空気を満たしていた。


 俺が扉を閉めた音に気づいたのか、彼女は目だけこちらに向けた。


 「……どうだった?」


 「記録の“解釈”が進んでいたよ。俺の沈黙も、文脈に組み込まれていた」


 「それって……」


 「つまり、“黙っていた”ということが、“知っていることを伏せた”ことに書き換えられたということさ」


 クロエは手を止めた。

 しばらくのあいだ、何も言わなかった。


 やがて、ぽつりと呟く。


 「私は、あなたの言葉を信じてる。でも、その信頼は記録には残らないのよね」


 「残らないな。信頼も、選択も、言葉にしなければ誰にも理解されない。だが――言葉にしなくても伝わるものは間違いなく存在する」


 クロエは、静かに頷いた。


 「……私もね、今日少しだけ分かったの。私は神を信じてる。教義も尊いと思ってる。でも、教会が“すべて正しい”とは、もう思えないかもしれない」


 「クロエ……お前……」


 それは、彼女にとって相当の“告白”だった。


 「あなたのことを信じたからじゃない。あなたを信じた後でも、私はまだ、神に祈ってる。だから私は、どちらも捨てない」


 俺は息をのんだ。


 彼女は、俺よりも強いのかもしれない。

 信仰と信頼を天秤にかけるのではなく、両方を同時に抱き続ける強さを彼女は持っているのだから。


 「……なあ、クロエ」


 「なに?」


 「俺が、もしもすべてを語ったとしたら――それでも、剣を抜いてくれるか?」


 彼女は即答した。


 「“あなた”のためなら、何度でも」


 その言葉を聞いて、俺はようやく、夜の冷たさを忘れることができた。

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