【7】報告と沈黙の壁
任務の翌朝、俺たちは《報告室》に呼び出された。
王立騎士団本営の一角、書記局の奥に設けられたその部屋は、質素だが異様に静かだった。
内装は無地の石壁に木製の書棚が並び、部屋の中央には長机が一つ。
端に並ぶ椅子に、新兵の俺たちは順に座らされていた。
「まず、ブレスト中隊長からの任務報告は受理されている」
そう言ったのは、部隊付きの文官官吏――だが、その声色や目つきは、ただの書記とは思えなかった。
言葉の選び方ひとつに、詮索と査問の匂いが混じっていた。
「補助随行である君たちからも、個別の補足を提出してもらう。内容に齟齬があれば、それも確認する」
クロエが、わずかに眉をひそめるのが見えた。
俺も無表情を保ちながら頷くだけにとどめる。
用意された用紙と筆が一人ずつ手元に置かれた。
内容は自由記述だが、事実を過不足なく記せというのが暗黙の要請らしい。
――俺は、筆を動かしながら、昨日の女の言葉を思い返していた。
“語る者”
“継がれる語り”
“光なき預言者”の名
あの場にいた誰もが、それが偶然ではないことに気づいていたはずだ。
そして、その女が俺に向けた言葉が、俺だけの過去に繋がっていることも――
「書き終えた者から、退出してよい」
文官が告げると、何人かの新兵が素早く立ち上がった。
だが、クロエは机に手を置いたまま、こちらをちらりと見た。
「……まだ?」
小声でそう言う。
その声音には焦りではなく、“確認”の色があった。俺が何を書くか、ではなく、“どこまで書くか”。
「あと少しだ」
俺はそう返し、記述欄の末尾に数行を追加する。
――対象は“反教会的”思想を持っていたと推測できる。それに加え個人に対し明確な言及があった。
――思想的影響の有無は不明。要観察。
あくまで客観的に、主観を排した表現。
けれど、これは確かに俺の立場を一歩“外”に置く文面だった。
筆を置き、クロエと共に立ち上がる。
廊下に出ると、沈黙が戻ってきた。
中庭を見下ろす長い回廊を歩きながら、クロエはぽつりと口を開いた。
「……何を書いたの?」
「最低限のことだけだよ。問題のない範囲で」
「そう。なら、いいのだけれど」
彼女の声には、疑いではなく――確かめるような、あるいは安堵しようとするような揺れがあった。
俺たちは黙ったまま階段を降りた。
話すべき言葉はあった。けれど、それが口を出た瞬間、何かを壊してしまいそうだった。
クロエが、そっと足を止める。
「ねえ、シルヴァン。……私、信じていいのよね?」
その言葉は、あまりに唐突だった。
けれど、それはきっと、昨日からずっと喉元で転がっていた問いなのだろう。
俺は一瞬だけ、目を逸らしそうになった。だが、それを飲み込んでから、ゆっくりと頷いた。
「……もちろんだよ」
それが真実かどうかは、俺自身にも分からなかった。
だが、いまは“そう答えること”が唯一できることだった。
午後、ブレスト中隊長に呼び出された。
「よくやったな」
そう言って手渡されたのは、任務完了の証明書と、騎士団内での功績点の加算通知だった。
けれど、彼の声はどこか硬かった。
「それだけじゃないですよね、話は」
俺がそう切り出すと、中隊長は微かに目を細めた。
「お前がどんな過去を持っていようと、俺には関係ない。だがな――」
言葉を区切り、彼は背後の扉を閉めた。
「……“査問局”が動いている」
その言葉は、予想していたよりも早くに現実になった。
「教会直属の監察部隊が、例の礼拝堂での件についての報告書を見たらしく、お前についての内部照会を始めてる。名指しはされていないが……ともかく、お前は狙われている」
俺は、何も言わなかった。
中隊長はため息をつき、声を落とす。
「何か言いたくなったら、俺には話していい。だが、黙ると決めたのなら――徹底しろ。どっちつかずが一番まずい」
その言葉には、経験に裏打ちされた重さがあった。
俺は小さく礼をして、部屋を出た。
その夜、部屋に戻るとクロエが机に向かって書きものをしていた。
報告の追記だろうか。それとも、日誌か。
彼女は俺に気づいても振り返らず、ただ静かに言った。
「中隊長に呼ばれてたの?」
「ああ。任務の功績の件と、少しだけ話を」
「……聞いたわ。“査問局”が動いてるって」
「やっぱり、もう伝わってるんだな」
クロエはそのとき、初めて俺を見た。
その瞳には、怒りも疑いもなかった。けれど、恐れがあった。
「私は、あなたが“何を信じているか”を知ってるつもり。でも、それを他人がどう受け取るかまでは分からない」
「……ああ。俺も同じさ」
クロエは小さく頷き、それから言った。
「私は騎士だから、命令には従う。でも……あなたを裏切ることは、できないわ」
その言葉は、静かで、けれど、誓いのように重かった。
「ありがとう、クロエ」
そう言うと、彼女はほんの少しだけ頬を赤らめて、机に視線を戻した。
外では風が吹いていた。
沈黙は、もう優しさではなく、ひとつの試練になりつつあった。