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【6】祈らぬ剣

 あれから報告書が受理されるまで3日たっただろうか。

 朝靄の残る中庭を抜け、俺たちは演習棟の前に立っていた。

 そこにはすでに、同じ新兵たちが整列していた。誰もが緊張した面持ちで、無言のまま装備を整えている。


 「来たか。最後だな」


 声をかけてきたのは、この前と同じ中隊長――ガラン・ブレストだった。無精ひげと傷痕のせいで近寄りがたいが、言葉に余計なものが混じらないのはむしろ好ましかった。


 「今日の任務は、あの件を受けての続行だ。旧教会区の奥、廃礼拝堂跡地の調査に向かう。お前たち新兵は補助として随行するが、もしもの場合には戦闘許可も下りる。……気を引き締めろよ」


 頷くと同時に、クロエと目が合った。

 言葉はなかったが、その表情はすでに“覚悟”の色をしていた。


 


 廃礼拝堂は、王都の記録では百年以上前に建てられたものだった。

 教義の改定によって“旧式の礼拝構造”と見なされ、以後封鎖された区域だ。


 正規の地図にも名前は載っていない。だが、それだけに――“何かを隠す”にはうってつけの場所でもあった。


 石段の前に立ったとき、俺はふと空気の異変に気づいた。


 「……結界の痕跡がある」


 「えっ?」


 クロエはすぐに剣の柄に手をかけたが、魔術の反応までは読めない。

 彼女に術的感覚はない。けれど、それを補って余りあるほど、勘と即応力に優れていた。


 「大丈夫。俺が見る。お前は警戒を頼む」


 「わかった」


 素早く頷くと、彼女は剣を半ば抜きかけの状態で、扉の両脇に立った。

 その所作に一切の無駄がなかったのは、戦士としての彼女の本質が、すでに滲み出ているからだ。


 「全員、構えろ。入るぞ」


 ガラン中隊長の号令と共に、扉が軋みを上げて開かれた。


 


 廃礼拝堂の内部は、かつての荘厳さを失い、ほとんど瓦礫の山だった。

 崩れた柱、色を失ったステンドグラス、剥がれ落ちた天井装飾。


 だが、その中央に――ひとりの人影があった。


 深紅のローブをまとった女。

 手には、黒く装飾された祈祷書のようなものを携えている。彼女はゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。


 「……立ち入りを禁ず。ここは“選ばれぬ者”のための場所」


 澄んだ声。けれど、その語彙と語調には、明らかに背教思想に由来するものがあった。


 俺は、背筋がわずかに冷えるのを感じた。


 「名を名乗れ。王国騎士団の名において、ここを調査する」


 中隊長の声が響く。

 しかし、女はまったく動じなかった。


 「名など持たぬ。“祈らぬ者”と呼ばれるだけの存在」


 “祈らぬ者”。

 それは、背教思想においてよく使われる用語だ。

 形式上は神を否定せず、だが現行の教会組織を拒絶する立場――最も厄介な思想形態。


 「あなたは、ここで何をしているの?」


 クロエが静かに問いかける。声に揺れはなかったが、彼女の信仰がこの場の空気に強く反発しているのが、俺には分かった。


 女はゆっくりと唇を開いた。


 「“語る者”を、待っていたのです」


 その視線が――まっすぐに、俺に向けられる。


 (また、か)


 胸の奥がわずかに軋む。

 これは、偶然ではない。いや、“偶然に見せかけられた必然”だ。


 「“語る者”とは……誰のことだ」


 俺は静かに訊いた。声を荒げることなく、ただ確認するように。


 女はその問いに、笑みとも嘆きともつかない表情を浮かべた。


 「かつて主が語り、そして沈黙した時、その言葉を継ぐ者が必要になる。あなたは、その“語りの空白”を埋める者」


 「……その“主”というのは、アルフォンス・デ・リュミエールのことか?」


 口に出してしまえば、周囲の空気が変わるのが分かった。

 仲間の新兵たちがざわつき、中隊長の目が鋭くなった。


 女は頷いた。


 「“光なき預言者”は語ることをやめた。だが、語られた言葉は死なない。それを継ぐ者が現れるまで、ずっと静かに燃え続ける」


 俺は答えなかった。


 クロエが、俺の横に一歩出た。


 「あなたの言う“語り”は、ただの扇動よ」


 女のまなざしが、ほんのわずかだけ揺れた。


 「あなたは、まだ純粋な信仰を持っているのですね。……それは美しい。けれど、脆い。神が応えなかったとき、あなたの信仰はどうなるのかしら」


 「神は試すわ。時に沈黙し、時に遠ざかる。でも、私たちは問われ続けている。“それでも信じるのか”って」


 その言葉に、女の瞳が鋭くなった。


 「ならば――試してみなさい。信仰が、どこまであなたを護ってくれるかを」


 その瞬間、彼女の足元に光の痕跡が走った。


 魔術陣――!


 俺はすぐさま詠唱を読み取り、転移ではなく防衛結界の起動だと判断する。

 時間を稼ぐための術式――つまり、誰かを“呼んでいる”。


 「クロエ、退いて!」


 俺が叫んだ時には、すでに彼女は一歩目を踏み出していた。


 「私の剣は、神の名の下に振るうためにある。……下がる理由はないわ!」


 瞬間、空気が弾けるような音と共に、結界の中央に新たな影が現れた。

 全身を黒で覆った、まるで司祭服を模したような男。

 手には短杖。口元には、何かを唱える動き。


 「……交戦を許可する!」


 ガラン中隊長の号令が響いた。


 クロエが真っ先に走り出す。剣を構え、直線的な突撃。


 その速さと威圧に、男の詠唱が一瞬途切れた。

 だが術式はすでに展開されつつある。――爆発衝撃術。


 「クロエ、右に!」


 俺が叫ぶと、彼女はすんでのところで身を翻し、爆風をかわした。

 魔術への反応速度ではなく、純粋な動体視力と直感だけでの回避――それが、彼女の戦い方だ。


 「構わない! 近づいて斬ればいいだけ!」


 そう叫びながら、クロエは敵に肉薄する。

 剣が閃き、男の肩口を裂いた。


 詠唱が止まり、術式が霧散する。

 同時に、ローブの女が一歩引いた。


 「……なるほど。神を語らずとも、剣は雄弁」


 彼女は一瞬、俺を見た。


 「やはり――継ぐ気は、ないのですね」


 俺はゆっくりと小声で答えた。


 「語るなら、俺自身の言葉で語る。誰かの名の下に立つ気はない」


 女は、微笑んだ。そして、淡い光に包まれて消えた。


 残されたのは、呻き声をあげて倒れるローブの男と、崩れた祈祷書だけだった。


 


 すべてが終わったとき、クロエが俺のそばに戻ってきた。


 「……言葉じゃなくて、剣で語るしかなかったわね」


 「お前は、最初からそれで通ってるだろう」


 「そうね。でも、あなたが何か語ってくれたの、ちょっと嬉しかったわ」


 そう言って、クロエは不意に背を向けた。


 「ほら、帰るわよ。……報告書、また書かなきゃね」


 彼女の後ろ姿を見ながら、俺は静かに息を吐いた。


 信仰を問われる時代に、

 信じるものを見つけられない俺が、

 それでも誰かを守るために剣を持つ――


 それが今の俺にできる、唯一の“語り”だった。

3年間の書き溜めの消化。

正確性なんて求めないで

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