【3】任務中
王都の旧街区は、やけに静かだった。
建物は石造りで、どれも古く、煤けている。窓のひとつひとつが目を閉じたように暗く、通りに人の気配はほとんどなかった。
「……ここは、廃区画のはずだな」
「移民居住区として使われてたけど、十年ほど前に教会の管轄で封鎖されたって聞いたわ。衛生問題と、信仰的“逸脱”があったとか」
「“逸脱”というのは……教会にとって都合の悪い者たち、という意味だったりしないのか」
「言葉を選びなさい。中隊長が聞いてたら、説教じゃ済まなかったわよ」
俺たちは小隊から分かれ、ふたりで旧街区の裏路地を巡回していた。任務と言えば任務だが、今のところ目立った異変もなかった。
だが、建物の一つを通り過ぎようとしたとき、扉がわずかに揺れたのが見えた。
「……動いたな。今」
「ええ。見たわ」
俺たちは声を潜め、自然と呼吸を整えながら、ゆっくりと近づいた。
扉の前に立つと、空気の質が変わったのを感じた。冷たく、淀んでいて、妙に重い。
「……何か、おかしいな」
「シルヴァン。扉の端……これ、見て」
クロエが指差した先に、擦れた白墨のような痕跡があった。簡素な十字に見えるが、形がわずかに歪んでいる。
まぎれもなく、“あの印”だ。
「……これ、結界印か」
「こんなところに、まさか……」
「本当であれば、俺たちの任務の域を越えている。だが、報告より先に確かめる必要があるかもしれない」
「……なら、踏み込むわよ」
クロエが剣に手をかける。俺も軽く頷き、扉に手をかけた。
中は薄暗く、埃の匂いが鼻をつく。家具は覆いをかけられたまま、窓もすべて塞がれていた。
まるで、時間だけが取り残された空間だ。
中央に、ひとつの人影があった。
ローブの男が、静かに座っている。こちらに視線を向けるでもなく、微動だにしない。
「……誰だ。そこにいるのは」
俺の声に、男の肩がわずかに動いた。そして、ゆっくりと顔を上げ、こちらを振り返る。
「久しいな、“後継者”」
知らない声だった。だがその抑揚――まるで“祈るように呪う者”の声――には、確かな既視感があった。
「……俺を知っているのか」
「名は不要だ。だが、主より言葉を預かっている」
「兄さんのことか?」
その名を口にした瞬間、空気がいっそう冷えたように感じた。
「“光なき預言者”は、再び語ると決められた。……お前の手を通して、な」
「……どういう意味だ」
俺が訊くと、男はほんのわずかに笑ったように見えた。
「“背教者”は終わっていない。主は、語りを継ぐ者を見出された」
クロエが一歩踏み出し、静かに剣を抜いた。
「この場所と、あなたの身柄は騎士団の管理下に置く。抵抗するなら、こちらも応じるまでよ」
男はその言葉を歓迎するように、口元を綻ばせた。
「ならば、試してみるがいい。“黒猫”」
その瞬間、地面が淡く輝いた。魔術陣――簡易転移だ。
「クロエ、離れろ!」
俺がそう叫ぶより早く、男の姿は霧のように消え失せていた。
部屋には、燃え尽きた印章の痕跡と、残り香のような沈黙だけが残っていた。
「クロエ、怪我はないか」
「おかげさまで、危うく連れ去られるところだったわ」
あの男、一体何をしたかったのだろうか。
俺1人の時に言えばいい物を、なぜクロエがいる状況で、しかも彼女を試すような発言をして去ったのか……
試されてるのは俺の方なのかもしれないな……