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【2】過去の足音

 王都ヴァランスの空は、いつも高く、どこか重たい。

 街に満ちる鐘の音は信仰の象徴であると同時に、王と神の秩序がこの地を支配しているという静かな圧を告げていた。


 そんな王都の中心、《王立騎士団本営》。

 その一角に設けられた新兵舎の扉が、ゆっくりと開かれる。


 「……私たちの部屋、新しい家ね」


 黒髪を一つに束ねた少女がそう呟いた。

 クロエ・クラローヴァー。『黒猫』と呼ばれている孤児の少女は、今や王立騎士団の注目株となっていた。


 彼女の隣には、灰白の髪を持つ少年がいる。

 それが俺、シルヴァン・ランベール・ラフォン。いまや『白狼』という余計な2つ名まで頂いた。


 「……孤児の俺たちが出世したもんだな」


 「なに、文句あるの?」


 「いや……やはり男女同室ってのは普通、ちょっと問題じゃないか?」


 「くだらないわ。いまさら何を気にしてるの」


 そう言いながら、クロエは自分の荷物をベッド脇に置き、淡々と整えはじめた。

 その背に、俺は一瞬、言い淀む。


 「……本当に、俺がここにいてもいいのか?」


 その問いに、彼女は一拍置いて振り返る。


 「何それ?」


 「……いや。俺のこと、騎士団内じゃよく思われてない。お前の足引っ張ることになるかもしれない」


 「そんなの、関係ない」


 静かに言い切った。

 その言葉には、どんな迷いもなかった。


 「私が信じたのは、“噂の白狼”じゃなくて、“あなた”よ。シルヴァン・ランベール・ラフォン」


 この胸の奥に、何かがわずかに揺れた。

 だがそれが何なのか、自分自身にも分からなかった。


 「……ありがとよ。『黒猫』さん?」


 「呼ぶなって言ってるでしょ」


 ぴしゃりと返しながらも、その頬にはかすかな照れの色が浮かんでいた。


 部屋にはしばし、柔らかな沈黙が流れる。


 外から聞こえるのは、訓練場で鳴る木剣の音。新兵たちが汗を流し、地面を蹴り、声を張るその音は、どこか遠く、現実感が薄い。まるで別の世界の出来事のようだ。


 「……なあ、クロエ」


 「何よ」


 「俺たち、本当に“騎士”になれると思うか?」


 唐突な問いに、クロエは眉をひそめた。


 「いまさら何を言ってるの? 入団試験はもう終わったでしょ。結果も出てる。あなたも、私も、騎士団員になった。それだけじゃない」


 彼女はゆっくりと言葉を選ぶようにして続けた。


 「これからは、命令を受けて、戦って、生き延びて、……それで“本物の騎士”になるしかないのよ」


 シルヴァンは、ふっと息をついて笑った。


 「……そりゃ随分と実感のある言い方だな」


 「当たり前よ。私、あなたよりずっと真面目に準備してたもの」


 「はいはい、偉い偉い」


 皮肉気にそう返した。

 あいも変わらずクロエの口調はきついが、それが逆に“変わらぬ日常”を思い出させる。


 そのとき、扉がノックされた。


 「クラローヴァー、ラフォン。出頭命令だ。訓練場西側、演習棟前に集合しろ」


 扉越しに、若い男の声が響いた。どうやら伝令係の先輩らしい。


 「……ついに来たわね、初任務」


 クロエが腰に剣をかけながら立ち上がる。動きに一切の迷いはなかった。


 「お前、緊張してないのか?」


 「してるわよ。でも、それを顔に出したら負けでしょ?」


 「まあ、そりゃそうだな……」


 自分も装備を手に取り、立ち上がる。剣、軽装甲、そして識別のための紋章。新兵として支給されたものはどれも味気ないが、今はそれが俺たちの立場を示す唯一の証だった。


 演習棟前には、すでに十数名の新兵たちが集まっていた。

 全員、初任務への緊張と高揚を押し隠しながら整列している。そこに立つのは、粗野な印象のある短髪の男。鋼のような体格に、左目の傷痕が印象的だった。


 「貴様らが今期の新人か。俺が本日、お前たちを引率するガラン・ブレスト中隊長だ」


 低く太い声が響く。ひとつ咳払いすると、ガランは書簡のようなものを広げて読み上げた。


 「任務内容は、東側旧街区の巡回および、教会領との境界線周辺での不審者調査。おい、新兵だからって気を抜くなよ? ここは王都だが、近頃は物騒な連中も多いからな」


 その言葉に、一部の新兵たちの顔がこわばる。


 クロエも一瞬だけ表情を引き締めた。


 「“不審者”って、まさか……」


 無意識のうちに、俺はかすれた声で呟いた。


 (――『背教者』)


 もちろん、そんな名を公然と口にする者はいない。だが騎士団にいれば誰もが一度は耳にする、噂の亡霊。秩序と信仰を脅かす禁忌の思想と、それを掲げた男の名。


 ――アルフォンス・デ・リュミエール。


 ガラン中隊長の声が俺の思考を断ち切った。


 「おい、そこの白髪。何ぼんやりしてやがる。背筋を伸ばせ」


 「……はい、すみません」


 「声が小せぇ!」


 「はい!」


 思わずクロエが小さく吹き出す。


 「笑うなよ……まじで恥ずかしい」


 「あなたも騎士でしょ。シャキッとしなさい」


 そう言って、クロエは前を向く。いつも通り、まっすぐに。


 だが彼女もまた、内心では気づいているだろう。

 “初任務”とされるこの巡回が、ただの平和維持ではないことを。


 (どうして、初日から“旧教会区”なんかが指定されるのか――)


 思考が、記憶の奥をかすめる。


 灰色の礼拝堂。閉ざされた地下聖堂。

 そして――脳裏に響く男の声。


 『信仰が存在しない世界でも、人は生きられる。……だが、信仰を選択出来ない世界では、人は“自由に死ぬこと”さえ選べなくなる』



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