【11】君を守る剣
朝早く、俺たちは呼び出された。
まだ日も昇りきらないうちから、訓練場へ集合との指示。理由は知らされていない。
「何か変よね、これ」
クロエが寝ぼけた目で鎧のベルトを締めながらぼやいた。
俺も同意しかけて、ただ小さくうなずく。
「ふたりだけ呼び出された時点で、普通の訓練じゃないな」
「査問局関係?」
「直接じゃなくても、関係あるかもしれない。……何か、そんな気がする」
言いながら、自分でもその感覚がどこから来るのかはっきりしなかった。
けれど、沈黙が続く日々の中で、確かに何かが動いていたのは感じていた。
訓練場に着くと、そこにいたのは見慣れない男だった。
黒っぽい外套を着て、騎士団の紋章を右肩に縫い付けている。
フードの影から見える顔はまだ若く見えたが、目の奥には年齢以上の冷たさがあった。
「誰……?」
クロエが小声でつぶやく。
「……私はイシュマエル・ロア。王立騎士団の特務を担う騎士の1人だ」
彼女がわずかに息をのむ。
その男が、こちらに目を向けた。
「『黒猫』と『白狼』だな。任務記録と査問報告を受けて、上層部が“審査”を希望している」
抑揚のない声。それなのに、場に圧力が生まれる。
「今から行うのは、戦闘形式での“忠誠確認”。お前たちが、どこに剣を向けるかを確かめるための試験だ」
クロエが眉をしかめる。
「忠誠って……誰に対して?」
「王国と、教会と、お互いにな」
その答えに、空気が固まった。
「“互いに”確認しろ、というのが今回の命令だ。……双方構えろ」
その瞬間、俺の中で何かが静かに軋んだ。
これはもう、訓練でも試験でもない。
――俺たちは、今ここで、“何を守って剣を抜くか”を問われている。
訓練場の中央に立つクロエは、静かだった。
剣を構えるわけでもなく、言葉を発するでもなく、ただまっすぐ俺を見ていた。
その瞳の奥にあるのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、“決意”――それだけだった。
「クロエ」
俺が呼びかけると、彼女はわずかに目を細めた。
「……やるしかないんでしょう?」
「それでも、納得してないなら、俺が――」
「逃げる気?」
鋭い言葉だった。でも、それは俺を責めるためじゃなかった。
彼女自身が、自分の中の躊躇を振り払おうとしていた。
「私はあなたを信じてる。でも、それが“ただの気持ち”で済むほど、騎士団も教会も甘くないわ」
彼女はゆっくりと剣を抜いた。
金属音が、冷えた空気を震わせる。
「これは命令。だけど――私は、自分の意志で受ける」
「なぜだ?」
「私が“信じる”って決めたからよ。
でもその選択が正しかったのかどうか、私自身に問いかけるために――戦うの」
俺は、剣に手をかける。
もしこの戦いが、彼女の信念を試すものなら。
もしこの戦いが、俺の沈黙が“重すぎるもの”だったと教えるものなら。
それでも、俺は――彼女の前に立つ。
どんな理由であれ、剣を向けられるのなら、その覚悟には応えなければならない。
「構えろ」
イシュマエルの声が飛ぶ。
「この場において、剣は言葉だ。信じるもののために振るえ」
俺は抜刀した。
剣先をわずかに構え、クロエと向き合う。
言葉はもう、必要なかった。
この沈黙の先で、俺たちは――試されている。
剣と剣が交わる、その直前。
空気が張りつめるのがわかった。
クロエの呼吸、俺の踏み込み、互いの間合い。
まるで心拍と同じ速度で、すべてが同期していく。
彼女は最初に動いた。
一歩、踏み込む。
その足取りは迷いがなく、ただまっすぐだった。
だが、剣先は俺の急所を避け、胴の横――確かめるための攻撃。
俺はそれを見極めて、受けた。
刃と刃がぶつかる音。金属がきしむ。
そして、二人はすぐに距離を取った。
「手加減した?」
「……お前もな」
どちらともなく、そんな言葉を口にした。
それは、お互いがまだ“この関係を壊したくない”と感じている証拠だった。
「続けろ」
イシュマエルの声は冷静だった。
だが、その言葉に俺たちは動かなかった。
クロエは剣を構えたまま、少しだけうつむく。
それから、俺を見た。
「ねえ、シルヴァン。……私、信じてるわよ。
あなたが語らないことも、黙っていたことも、全部」
「……ありがとう。でも、それを証明するために、俺たち傷つけ合う必要はない」
クロエは一瞬、目を見開いた。
そして、ゆっくりと剣を下ろした。
「あなたが私のために沈黙を貫くことが、あなたの誇りなら。
私があなたのために剣を振るうことが、私の誇りよ」
俺も剣を下げる。
沈黙が場を包んだ。
それは敗北でも、不服従でもなかった。
ただ、信じたものを守るために“戦わない”という選択。
イシュマエルが歩み寄ってきた。
「――二人とも、合格だ」
その言葉に、俺たちは同時に顔を上げた。
「この試験は、“王国や教会に対する忠誠を強制する”ためのものではない。
お前たちが何のために剣を振るうか、それが見たかっただけだ」
クロエは何か言いかけたが、口を閉じた。
代わりに、目だけが答えていた。
俺たちは、剣を納めた。
だけど、それこそが俺たちの剣であり、誇りだった。
夜、ふたり並んで部屋に戻った。
まだどちらからも、言葉は出ない。
けれど、それがちょうどよかった。
今日一日で、語るよりも“黙ること”にどれだけの意味があるかを知ったから。
「……ねえ」
クロエが、不意に言った。
「私、今日のあなた、すごくかっこよかった」
「そうか? 俺はただ、怖かっただけだよ。お前を傷つけるのが」
「……それでも、私を守ったじゃない」
「そうかな。むしろ、守られた気がするけど」
部屋の灯りが消える頃、
今日の沈黙は、ひとつの言葉よりも深く胸に残っていた。
これで第1章は終わりにしたい