第3話 最初の要求
次の日の朝――――
昨夜は、ほとんど眠れなかった。これから黒川詩音に、どんな無茶な要求をされるのか? 不安でたまらなかった。
現金を要求されるかもしれないので、一応財布にはいつもより多めにお金を入れている。しかし、これで足りるだろうか?
ドキドキしながら教室に入る。そして、自分の席に座った。誰も「おはよう」の挨拶をしてくれない。いつもどおりの朝。そのはずだったが……
異変が起こった。
始業前のこの時間。白崎麗奈が俺の席にやって来たのである。
綺麗な黒髪のロング。日本人形みたいに前髪を下ろし。控えめではあるが、目が大きくて清楚な美少女である。制服もきちんと着ていて、スカートも普通の長さだ。黒いハイソックスがキュートに感じる。
白崎麗奈は、恥ずかしそうに視線を泳がせて、ぎこちなく俺に挨拶をしてきた。
「お、おはよう。灰谷君……」
突然のことに俺はびっくりして動揺する。
「お、おお…… おは…… よ」
動揺しすぎて上手く挨拶が返せない。しかし、何で白崎麗奈は突然俺に挨拶なんかしてきたんだ!?
まさか、昨日の出来事を黒川詩音から聞いたのか? あの画像を見せられたのか!?
「あ、あの。灰谷君…… 昨日、私のハンカチ拾ってくれたんだってね? 黒川さんから聞いたの……」
少し小さな声で白崎麗奈は、そう言って白いハンカチを取り出す。それを見て俺はドキッとする。
やっぱり、黒川詩音から聞いているのだ! このままでは変質者扱いされてしまう!
「い、いや! そッ! それは……!」
俺が慌てて弁明しようとすると、白崎麗奈は控えめにニコっと笑った。
「ありがとうね。灰谷君。このハンカチ。母からもらった大事な物だったの。お気に入りのハンカチだったんだ。拾ってくれて、ありがとうね」
そう言うと、恥ずかしそうにうつむいて白崎麗奈は去って行った。俺は、ポカーンと口を開ける。
ありがとう……?
白崎麗奈の口から出たのは、確かに感謝の言葉だった。どういうことだろう? てっきり黒川詩音から、俺がハンカチを盗んだと聞かされていたんじゃないかと思ったが……
俺は、チラリと黒川詩音の方を見た。
黒川詩音は、周囲にいる同じようなギャルたちと会話している。こちらのことなど眼中にないようだ。
1時限目の授業が始まった。
俺は、まだ今朝の状況が飲み込めずにいた。授業が頭に入ってこない。黒川詩音と白崎麗奈の間に、何らかのやり取りがあったことは間違いない。しかし、白崎麗奈の反応を見る限り。今のところ俺にとって最悪の状況にはなっていないようだ。
いや、それどころか。俺は白崎麗奈と初めて会話することができた。いつも遠くから眺めるだけの、高嶺の花だったあの白崎麗奈と……
少しテンションが上がる。
白崎麗奈に話しかけられた! この動物園みたいな教室の中で、君と俺だけは人間。そう。まるでアダムとイブのように。
俺の中で疑問よりも白崎麗奈と話せた嬉しさの方が膨らんでいく。いつの間にか顔がにやけてしまう。
そうこうしているうちに、1時限目の授業は終わった。
俺は、まだ白崎麗奈と会話できた余韻に浸っていた。しかし、それはすぐに現実に引き戻されることになる。
黒川詩音が、俺の元にやって来たのだ。相変わらず派手な髪型。シャツの胸元を開けて、短いスカートを履いたギャルのボス猿。
黒川詩音は、俺の横をたまたま通りがかった風を装って、俺にだけ聞こえるようにボソッと言った。
「今日の放課後、残っていなさい。用があるわ」
その言葉を残して去って行く。やはり昨日の出来事は夢ではない。これが現実なのだ。
やがて、チャイムが鳴り2時限目の授業が始まる。
さっきまで、白崎麗奈に話しかけられた嬉しさで高揚した気分は、すぐにどん底まで落ちた。放課後、あの黒川詩音からどんな要求をされるのか? 不安が胸にこみ上げてくる。
そして、放課後――――
俺は、黒川詩音の言いつけどおり教室に残っていた。誰もいない教室にポツンと居た。黒川詩音は、ギャルたちと一緒に下校したように見えたが。
やがて、誰かが教室に入って来た。入口に視線を移すと。やはり、黒川詩音だった。彼女は、俺の方へと真っすぐ歩いてくる。
「偉いわね。言いつけどおり、ちゃんと残っていたわね。感心感心」
いつものギャル風のイントネーションではなく。どこか冷めたような冷静な口調だった。それが、逆にいつもより不気味感じた。
「今朝、白崎と話してたでしょ? 彼女。なんて言ってた?」
黒川詩音は、俺の目を真っすぐ見ながら尋ねてくる。今朝の事はしっかり見てたようだ。
「……ありがとうって言ってた。ハンカチを拾ってくれてありがとうって」
俺は、事実を率直に答える。黒川詩音は、フッと鼻でっ笑った。
「そう。よかったわね。灰谷。あんた、白崎のことが好きなんでしょ?」
「なッ!?」
黒川詩音の突然の言葉に、俺は動揺を隠せなかった。確かに、他の生徒に比べて白崎麗奈を特別な目で見ているのは確かだ。しかし、ストレートに好きっていう言葉で表現できる問題ではない。
「あんたさー時々、白崎のことチラチラ見てるでしょ。あたし知ってるんだからねー!」
いきなりギャルのトーンに戻る黒川詩音。俺は、動揺しすぎて挙動不審なまま口を開く。
「い、いや! べべべ別に…… す、好きって訳じゃ……」
俺の反応を見て、黒川詩音はまたフッと鼻で笑った。
「まあいいわ。それよりも昨日言ったわよね。あたしの言うことを何でも聞いてもらうって。さっそくだけど。あんたに命令があるわ」
黒川詩音は、また冷静な口調に戻る。そして、俺の目をジッと見た。
来た。いったい、どんな要求を突きつけられるのだろう?