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恋愛短編

ラジオネームの君と俺

作者: 白雪ひめ

 四月。

 俺はその日、掃除を押し付けられ、放課後一人で静かに箒を掃いていた。

 机を元に戻して帰ろうとした時、ガッシャン、と物が割れるような派手な音が大音量で響いた。

 音は廊下からだ。

 俺が急いで確認すると、水道場の前で顔を真っ青にして立ち竦んでいる同じクラスの女の子がいた。

 佐々木あやめ。

 肩口で切られた黒い艶やかな髪。白い肌。整った顔。美人で頭が良く、性格も良い、と男子の間では大人気のクラスメイトだ。

 ‥と、そんなことはどうでも良い。

 亀の水槽が割れている。

 水道場の中なので、廊下にガラス片が飛び散っていないのが幸いだった。

 佐々木は目をパチパチさせながら顔を青ざめさせて呟いた。

「ど、ど、どどうしよう」

「大丈夫、落ち着いて」

 佐々木はガラス片に手を伸ばす。

 俺はそれを手で遮り、言った。

「ガラスは危ないから触らないで」

 俺は教室のゴミ箱のゴミを入れる為に用意していたビニール袋を持ってきて、水道の隅に置かれていたバケツに被せた。

 俺はガラス片を摘んで即席のゴミ運に片付けていく。

 佐々木はしょんぼりして言った。

「ごめんなさい。ありがとう」

「怪我はない?」

「うん」

「亀は無事?」

「うん」

「なら良かった」

 そこに運悪く、体育教師が居合わせた。

 俺たちは咄嗟に教師から顔を背けるが、ダメだった。

 体育教師は水道を覗き込み、じろっと俺たちを見た。

「杉谷、お前が水槽割ったのか」

 佐々木がいえ、私が‥と言いかけて言葉を止めた。チラリと、上目で俺を見る。

 気づけば、俺は首を縦に振り、言っていた。

「はい、佐々木さんは片付けを手伝ってくれました」



 俺は教官室に呼び出され、説教を喰らっていた。

 体育教師が棒をトン、と突いて言う。

「お前、何やってんだよ。真面目に掃除をしてないからそういうことになるんだ」

「すみません。亀は無事です」

 俺が素直に頭を下げると、教師は深くため息をついた。

 ため息をつきたいのはこちらの方だ。

 何故か庇う流れになってしまった。ちょっと格好つけようとしたのが運のツキだ。

「すみません」

「まぁ、やっちゃったもんは仕方ないけどな。あれは生物部の部費だっけな?向こうにも謝っとけよ」

「え!」

「何がえ!だよ」

「‥‥まじすか」

「ほら、今から行ってこい」

「‥‥」

 教官室を出て、俺は生物室へ向かおうとするが、佐々木が駆け寄って来て言った。

「ごめんなさい、生物の方は私が行くから‥」

「いや、いいよ。面倒くさいし、佐々木は帰って」

「でも‥」

「大丈夫、俺用事ないしさ」

 俺が諦めて言うと、佐々木は顔を上げて、少し明るい声音で言った。

「本当にありがとう。この御恩は忘れません」

「うん、じゃあね」

「うん!また明日!」

 俺は一人、生物室へ向かうのだった。



   ○ ○ ○



 俺は帰ってきてラジオをつけた。

 俺はラジオが好きだ。

 最近は特に、水曜日の深夜2時に放送している「木下コマチネの失望」というアニメ番組が主体のラジオを聴いている。

 超下品なコメディー作品だ。故に、リスナーも大概変わっている。


「ラジオネーム、インカ帝国ガチ勢さん」


 ボクはリア充が嫌いです。大嫌いでした。

 でも、最近、リア充を見ていると少し羨ましい気持ちが出てしまいます。

 リア充になりたいと思う自分が許せません。

 自分に激しく失望しました。どうしたら良いでしょうか。


 主人公の口癖が「失望しましたよっ!!」なので、失望した出来事を募集し、お悩みを解決するコーナーだ。

 パーソナリティ二人はうーん、と唸った後、言った。

「まずどこからツッコミを入れたら良いでしょうかね‥」

「えーっと、整理すると、インカ帝国ガチ勢さんは、今までリア充が大嫌いだったのに、羨ましくなった、つまり自分がリア充になりたいって思ったんですよね‥‥あれ?これ、まさか」

 構成作家が、おぉ、と声を入れる。

「インカ帝国さんは、『恋』をしてしまった、という事じゃないんですか?」

「きゃー!インカ帝国さんに遂に春が!」

 インカ帝国さんは、失望ラジオの常連リスナーである。今まで重度の天邪鬼、人間不信を露わにしていたので、俺も思わず頬を緩めた。

 女性のパーソナリティがむふふ、と笑って言う。

「インカ帝国さーん、素直になって下さいよ。好きなんでしょー?」

 ラジオの前で憤慨するインカ帝国さんが頭に浮かび、俺は吹き出した。

 男性のパーソナリティが言う。

「えーっと、リア充になりたいと思った自分に対して失望したというのも、少し特殊な感想ですよね」

「人間みんな、何かの意見だったり、思想だったり、強く主張しているものほど、それを変える時ってちょっと抵抗ありますからね」

「まぁ、リア充のことは一旦忘れて、その好きな子と距離を縮めることから始めてみたら?複雑に考えすぎだと思う」

「私もそれ賛成!インカ帝国ガチ勢さん、なにか進展あったらぜひ教えて下さいね!まだまだお便りお待ちしております!」

 CMに入る。


 俺は想像する。インカ帝国ガチ勢さんは今なにを思っているだろう。

 というか、インカ帝国さんって、どんな人だろう?

 社会人?学生?

 気づけば寝落ちしていた。



   ○ ○ ○



 七月。

 全力で立ち漕ぎし、何とか予鈴前に教室へ滑り込む。

 俺が荒い息を吐いて着席すると、くすり、と隣の席の佐々木が笑った。

 佐々木は朝陽のような眩しい微笑みを俺に向けて言った。

「杉谷さん、おはよう」

「おはよう」

「今日は間に合って良かったね」

「うん」

 今日の会話終了。

 俺はコミュニティ能力が低いので、学年一可愛い佐々木とは事務的な会話しか出来ない。

 だが、今日は運が良い、と俺は浮かれていた。

 社会の時間に佐々木は教科書を忘れたようだった。

 少し机を近づけて、ページを見せるが、教科書を開いた後、大失敗に気づいて俺は赤面した。

 歴史の人物の肖像画に落書きをしていたのだ。

 シャープペンで髭やモジャモジャの髪を足している。

 だが、佐々木は見ないふりをしている。

 ノーリアクション。

 教師の言葉が聞こえない。

 授業が終わると、佐々木は「ありがとう」と微笑んで礼をいい、そっと席を離した。



   ○ ○ ○



 俺は時間があればてきとうにラジオのアプリを開き、ラジオを聴いている。

 今日の大失態の記憶を抹消するため、俺はイヤホンをつけた。


 最近あった面白い出来事のコーナー


ラジオネーム、「恋するうさぎちゃんを食べたい」さんからのお便りです


 社会の時間に教科書を忘れてしまい、隣の席の男子に教科書を見せてもらったのですが、歴史の人物の写真ぜんぶに落書きをしていました。髭と髪の毛を足して、もじゃもじゃにしていました。

 自分は吹き出しそうになって必死に堪えました。男子は顔を真っ赤にしていて、可愛かったです。


 俺は心臓が凍りついた。

 なんて‥なんて、タイムリーな話題なんだ。


「それは可愛いですね〜」

「でも、割とみんなやりますよね」

「男の子にとっては結構恥ずかしい出来事だったと思いますけどねー。逆に笑ってあげた方が良かったんじゃ無いですか?」

「えー、そうですか?」

「うーん、私がその男子だったら黒歴史かもな〜、もし好きな人だったら絶望しますね」


 俺はそっとイヤホンを耳から外した。


 それから数日、俺はまともに佐々木の顔を見られなかった。

 放課後、俺が清掃委員でゴミを運んでいると、後ろから声を掛けられた。

「手伝うよ」

 見ると、佐々木だった。

 俺は視線を逸らして言う。

「いや、大丈夫だよ、ありがとう」

「いいからいいから」

 佐々木は俺が持っていた四つのゴミ袋の、二つを持とうとして、俺は一つにさせた。

「じゃあ、お願いします」

「うん!」

 足音がやけに響く。

 佐々木が口を開いた。

「この前の授業で教科書見せてくれたじゃない?」

「‥っ」

 俺は思わず足を止めた。

 だが、予想外に佐々木は優しい笑みで言った。

「すごく意外で笑っちゃいそうになった。杉谷さんでもあんな事するんだね」

「‥あ、うん」

「授業中に笑ったら変だと思って堪えたけど、ギャップにビックリしたよ」

 ふふ、と佐々木は笑う。

 俺は風船の空気が抜ける様に、へなへなと張り詰めていた気持ちが抜けていくのを感じた。

「‥‥本当に呆れられたかと思ったよ」

「そんなことないよ、面白かった」

 胸がすっと楽になった。

 俺はふと、昨日のラジオを思い出した。

 ラジオのお悩み相談なんて、大真面目にしている人はいないだろうけれど、今回ばかりは正解だった。

 俺は苦笑して、佐々木と共にゴミを捨てに行った。



   ○ ○ ○



 佐々木とは少しだけ、打ち解けた。

 些細な会話が増えた。

 佐々木は急にこちらを振り返った。

 目が合うが、突然のことで口下手な俺は何も言葉が出てこない。

 佐々木は微笑んで言う。

「さっきの英語のスピーチ良かったよ」

「ありがとう」

 俺は答えてから、スッと顔を背けた。

 散々バカにしているが、自分も立派な失望リスナーである。緊張しすぎて顔も見ていられない。意識すればする程、ヘタレになる己に失望する。

 俺はなるべく佐々木の事を意識しないように日々を過ごした。そもそも佐々木が俺のことを‥なんて馬鹿な妄想をするから緊張してしまうのだ。

 自分が佐々木だったら学年一のイケメンと付き合うに決まっている。まぁ、その学年一のイケメンも佐々木に振られたらしいが‥‥彼女が誰かと付き合っているという噂を聞いた事がない。

 何故だろう?

 男嫌いとか?恋愛に興味がないとか?

 本当に好きな人がいない、とか?

 俺は首を振り、箒を掃きながら、別のことを考え始めた。



   ○ ○ ○



 俺はわくわくしながらラジオを付けた。

 失望リスナーはいつも面白い。

 

 ラジオネーム

「世の中ね、顔かお金かなのよ」 さんのお便りです


「なんて世知辛い‥」

「回文ですね」

「なるほど」

「読みますよ」


 好きな人が自分を好きになってくれません。

 自分はすごく可愛くて美しくて勉学も完璧な才色兼備、鬼に金棒の美少女です。

 どうしてですか?

 私の魅力に気づいてくれない彼に失望しましたよっ!


 俺は苦笑した。

 この女、本気で言っているのだとしたらやばすぎる。自己愛強すぎるだろ。


「これはまた、癖の強い失望リスナーですね」

「本気の相談と思いたくは無いですが、本気でしょうね」

「えーっと、まず好きな人が自分を好きになってくれないっていう状況は、普通にあなたがタイプじゃないってことですね。現実逃避をせずに彼と向き合うのがいいんじゃないですか?」

「そうですね!あと、魅力に気づいてくれないっていうよりも、気付かせる努力をしたらどうでしょう?どうせ失望リスナーだから行動もロクに起こしてないだろうし」

「酷い!」

「甘やかしちゃダメですよ。少なくとも、容姿が良くて頭が良くても、彼はそれに惹かれていないっていう事ですから、まずそれを自覚するのが大切な気がしますね」

「うーん、大変そうだ。頑張ってくださいね!また近況を聞かせてください」

「では次のメール」



   ○ ○ ○



 佐々木はベッドに転がってため息をついた。

 正直言って、杉谷さんはかっこよく無いし、勉強やスポーツに秀でている訳でも無い。

 だからみんな、杉谷さんの魅力に気づくことは出来ないだろう。

 でも私は知っている。

 杉谷さんは掃除が丁寧で、誰にでも平等で、とても優しいことを。

 水槽を割ってしまった時も自分を庇ってくれた。

 私は可愛いので、男子には沢山優しくされたことがあるけれど「罪を被る」というのはハードルが高いのだ。

 それも、優しくするのは私だけじゃない。

 男子にも掃除を代わってあげたり、先生のプリントを運んだり、沢山の人に課題のノートを貸してあげたり‥‥悪く言えば超都合の良い人間なのだが、裏を返せば、人を疑わない、とってもピュアな可愛らしい人だ。

 あと、気にかかるのは、私を好きになってくれない事。

 私は全員を虜にしてきた。

 なのに彼は私を気に止めない。

 この、私の、隣の席なのに、こちらを見もしない。

 交わす言葉も朝の定型分だけ。

 話しかけようとしたのに、顔を背けられるし、こんな屈辱味わったことがない。

 どうにかして、彼に好きだと言わせたい。

「うーん」

 ラジオの言った通り、杉谷はとにかく鈍感だ。美醜にも鈍感だ。私がどれだけ可愛いのか、ビジュアルで攻めても意味がない。

 そう、自分は「内面からのアプローチ」で、彼に好かれなければならない。

 厳しい言葉だったが、目から鱗だった。

 やっぱりラジオは頼りになる。

「うーん。難しいわ」

 佐々木はイヤホンを外した。



   ○ ○ ○



 黒板の前で、学級委員の佐々木ともう一人の男子生徒が話し始める。

 内容は二学期の委員活動についてだ。

 学期ごとに人が変わる。同じ人が同じ委員になっても問題は無い。

 俺は美化委員に立候補した。

 理由は掃除が好きだから。

 あと、誰もなりたがる人はいないから。

 男子と女子、一人ずつ美化委員は必要だ。

 俺がイケメンなら、女子も来るのかもしれないが、陰で罰ゲームと囁かれているのを俺は知っている。

 とても悲しい。

 女子が決まらず、二回目のやりたい人はいませんか?コールが始まった時、佐々木がすっと手を挙げた。

「女子でやりたい人がいないなら、私がやります」

 俺はビックリした。

 佐々木はいつも学級委員をしているのに珍しい。

 同様の感想を皆んな抱いているようで、クラスがざわっとなった。

 佐々木は手を広げて言う。

「みんなが快適に過ごせるようにお手伝いするのは、とても素敵な事だと思うの」

 あやめちゃん、かっこいー!すごい!と佐々木は賞賛を受ける。ズルい。

 そうして男子は俺、女子は佐々木に決まった。

 


 放課後になり、俺は佐々木に問うた。

「佐々木さんは、掃除に対してどのくらいの志がある?」

「え?」

「放課後は何分時間が使える?トイレ掃除は出来る?ゴミは三往復以上するけど、出来そう?」

 佐々木は気圧されたのか、一瞬顎を引いて黙った。

 だが、眉をキリッとさせ、言った。

「何でも出来るわ。任せて頂戴」

「分かった。まぁ無理そうなら遠慮せず言ってね」

「うん」

「まず、ゴミの回収は三階から始める。ゴミを出すのは一階だから、一階から始めると二度手間になる為だ」

「なるほど」

「それで‥‥‥」

 一緒に作業をしていく。

 俺は感心した。

 水道場の排水溝の中にも手を突っ込めるし、トイレもしっかり掃除できる。

 正直舐めていた。

 彼女は本気だ。

 俺は手放しで褒めた。

「佐々木さんは凄いね。今まで一緒だった女子はみんなてきとうだったんだ。佐々木さんからは綺麗にしようっていう熱意が伝わってくるよ。本当に感動した」

 佐々木は小ぶりな胸を張って、満面の笑みで言った。

「私はやるって決めたらやる人間だからね!うふふふ!」

 褒められたのが嬉しかったのか、佐々木は渡り廊下をスキップし始め、くるりと振り返って俺を呼ぶ。

「はやくー!」

 いつものおしとやかな雰囲気とは違って意外だ。

「佐々木さんってスキップするんだ」

 佐々木は目をパチパチさせて、横髪を耳に掛けた。

「そ、そりゃあ人間だもの。スキップの一つや二つ、するわ。さぁ、次に取り掛かりましょう」



   ○ ○ ○



 佐々木は浴槽でザバンと頭までお湯に浸かった。

 掃除がこんなにも大変だとは思わなかった。

 くさいし、汚いし、くさいし。

 杉谷は一人でこんな事をモクモクと続けているなんて、信じられない。何が楽しいのか。本当に変わっている。

 でも、最近は杉谷から喋ってくれることがある。大きな変化だ。

 それに、褒められるのは悪くない。

 私は褒められるのが結構好きだ。

 理由は、私の有能さが、相手にも伝わったということだからだ。杉谷も私の内面の魅力に気づき始めている。

 掃除は大変だけど、目的を果たせるならば、私は努力を怠らない。

「良いネタにもなるしね」

 佐々木はお風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かしてから自室へ向かった。

 パソコンを開き、メールフォルダを開く。

 佐々木は、複数のフリーメールアドレスを取得していた。

 高速でタイピングを始める。

 一通目、送信完了。

 二通目に取り掛かる。

 お便りを採用されるコツは幾つかある。

 文字数。これは番組にもよるが平均200文字程度が理想だ。

 そして、番組ごとの雰囲気。

 失望ラジオはちょっと過激の方が良い。他の所は抑え目に。全部ウソの良い話もアリ。

 外国人を詐称して日本の文化に感銘を受けた系のメールはストライクゾーンが広い。

 場合によってはお便りの多さをネタにされる事もあるため、複数送り、キャラを作るのも一興。

「ふふっ」

 自分のメールに惚れ惚れする。

「二十面相さながらね」

 数回読み直し、満足してから送信。

 10分ほどで5通のメールを送信し、佐々木は一人、ニヤッと笑った。

 さぁ今夜はどのラジオで自分のメールが読まれるだろうか。想像するだけで一日が頑張れる。

「あやめー、茶道の時間よ」

「はい!今行きます!」

 パソコンをバタン、と閉じて、数秒目を閉じる。

 あやめは心を落ち着け、優等生でおしとやかな仮面をしっかりと被り、茶道の教室へ向かった。



   ○ ○ ○



 最近、現実とメールの状況がよく被る。

 たまたまなのだろうけれど、俺の中でラジオの「お便り」が身近に感じられる様になっていた。

 期末テストも終わり、週一回の将棋部の俺は大してやる事も無いので、試しに、失望ラジオへメールを送ってみた。

 初めはすごく緊張した。

 採用されるか‥‥とドキドキしながらラジオを聴き、採用されなくて、肩を落とした。

 一度送って採用されないと悔しくなる。

 俺は気付けば、毎週コツコツとメールを送る習慣が出来ていた。


 今日も失望ラジオが始まる。


「えー、実はですね、急に恋愛のメールが増えまして」


 俺はドキリとした。

 

「インカさんの恋愛メールに触発されたんでしょうかねー」

 

 そう、インカ帝国ガチ勢さんは、あれから少しずつ恋愛の模様を報告してくるのだ。

 そこから推測するに、インカさんは学生で、俺と似たりよったりの日々を送っているらしい。


「と、そんな感じで今日は恋のメールを一気に読みます」


 ラジオネーム 「ほうれん草は報告連絡掃除である」

 さんからのお便りです


 男性のパーソナリティが訂正した。

「相談ですね」

「病的なほどに掃除好きなのが伝わってきます‥」


 俺のものだ!!

 思わず身を乗り出してイヤホンを耳に押し付けた。


「好きな人がオタクの女の子と話している時、今流行りの〇〇の〇を好きだと話しているのを耳にしました。彼女はアニメや漫画を全く知らない人だと思っていたので意外でした。自分も同じアニメが好きで、話をしたいのですが、すごく難しいです。急に話を振るのも変な気がします。どうしたら良いですか?」


「なるほど〜」

「ほうれん草さんの好きな人は、オタクを隠しているんですかね?それで話が大きく変わってくる気もしますけど」

「微妙なところですね‥ですが、解決方法!私、思いつきましたよ!」

 謎のエコーが掛かる。

「名付けて、キーホルダー大作戦!」

「どういうこと?」

「私、友達と仲良くなったきっかけを今思い出したんですけど、私がその子の好きなアニメのキーホルダーをスマホに付けてたんですよ、それでその子が話しかけてくれて、仲良くなりました〜」

「ほう」

「例えば直ぐに話せなくても、同じ趣味だよ、って伝えられれば良くないですか?同じものが好きっていうだけで、結構心の距離は縮まりません?」

「なるほど。それはなかなか良いアイデアですね。少なくとも、同じ趣味を伝えられる訳ですからね」

「うんうん〜!という訳で、このキーホルダー作戦、やってみたらいかがでしょうか?」

「リョーコちゃんがお悩み解決するの、久しぶりですね」

「えー!酷いです〜」


 俺はつぶやいた。

「悪くない案かも」



   ○ ○ ○



 席替えをしたので、美化委員の活動以外ではそうそう佐々木とは言葉を交わさない。

 だが、化学の時間は別だ。

 五人ごとのテーブルで、俺は佐々木と向かい合う席になるのだ。

 授業が始まり、お互い何気なく筆箱を出し、俺は目を疑った。

 佐々木の筆箱にも、俺と同じストラップが付いていた。

 思わず、え?という顔で佐々木を見ると、佐々木は俺よりももっと驚いているのか、口をポカンと開け、目を見開いて俺のストラップを凝視していた。

 このストラップは有名なアニメの「〇〇の○」の物だが、ストラップ自体は最近のものではなくて、初版のみにつく特典だ。しかも一巻のものだから、数年前のものになる、超レアなストラップだ。

 普通にしていたら、まず手に入らない代物(しろもの)で、俺は作者の他の作品も大好きだった為に、しっかり購入していた。

 【一番シンプルで分かりやすい】からチョイスしたのだが‥まさかそれが合うなんて。

 どういう風の吹き回しだ?

 お互いに、お揃い、みたいになることを危惧し、俺と佐々木はスッと筆箱を仕舞い、シャープペンだけを出して授業を聞いていたのだった。



 夕飯時、俺は思わず、家族に今日の出来事を話した。

「不思議な事もあるもんだよな〜。普段その子はストラップ自体付けないのに」

 俺には、姉が一人、妹が一人いる。

 そして姉も妹も、失望ラジオのリスナーだ。

 すると、もぐもぐ食べながら姉は言った。

「なんだ、その子もラジオを聴いてるんじゃない」

 妹が、ニヤッとして付け足した。

「超下品な、下ネタラジオ」

 俺は絶句した。

「‥そんな、まさか‥」

 妹が呆れた様に言う。

「お兄ちゃん、現実を見なよ、二面性の無い女なんていないの。私とお姉ちゃんを見れば分かるでしょう?」

 そう、俺の姉と妹は、すごく優秀で優しくて良い子だと近所でも評判だ。

 だが、家では横暴で、勝手に俺のおやつを食べたり、恥じらいなんて微塵も無くて、寝っ転がって下着姿でゲームをしたり、靴下はポイと投げるし、ゴミもゴミ箱に入らないとそのままだ。

 料理だって取り繕うかのようにバレンタインの日だけやるし、それすら、俺がチョコレートを湯煎にかけてやる始末だ。

「女が全員って訳じゃ‥ない‥はず‥だって、いつも真面目だし、良い子だし」

 俺が苦し紛れに言うと、妹と姉は視線を合わせて鼻で笑い飛ばした。

 俺は部屋に戻り、冷静にもう一度問題を考えて、ハッとした。

 というか、重要なのはそこじゃない!!

 彼女が俺を好きかどうかだろ!

 もしもこのストラップを意図的に付けてきたのであれば、もしかしたら、俺を意中の相手だと‥‥‥

「訳ないか‥」

 その点を考慮すると、より、あり得ない気がしてくる。

 しかし‥‥俺はよく漫画を貸すのだが、この前友達に貸したシリーズがちょうど〇〇の○だったのだ。

 彼女も俺がこの漫画を所持している、全巻揃えているのだから、好きだという事は把握しているはずだ。

 佐々木はいつもストラップを付けない。

 それが急になんて、おかしい。

 だが、確か佐々木さんには一個上のお兄さんが居たし、お兄さんの影響かもしれない。

「うーん」

 俺は願掛けをするような気持ちで、失望ラジオのストラップを、筆箱に付けた。

 コンコン、とノックがあり、んー、と返事をすると、姉と妹が口を揃えて言った。

「「しゅーちゃんファイトー」」



   ○ ○ ○


 

 翌日の理科、五限目が始まる休み時間。

 俺は早めに着席し、課題をやりながら、佐々木を待った。

 佐々木が正面に座り、俺は顔を上げる。

 目が合う。

 俺は言った。

「昨日はビックリしたよ。佐々木さんも〇〇の○、好きなんだね」

「う、うん。そうね、こんな偶然あるのね〜」

「‥‥」

「‥‥」

 佐々木は目をパチパチしてそっぽを向く。

 俺は攻めた。

「佐々木さんは意外とアニメとか漫画、好きなんだね」

「そ、そんなでもないよ?あれは、友達が好きで話していただけよ」

「そうなの?この前もなんか〇〇の〇〇とか話してなかった?」

「よ、よく聞いてるね」

「俺も好きなんだ。佐々木さんってお兄さん居たんだっけ?俺も姉と妹がいるんだけど、少女漫画も読んだりするよ、兄弟って結構影響受けやすいから、佐々木さんもそうなのかと思って」

 佐々木はヒョンと背筋を伸ばし、俺に言った。

「そう!そうなの!お兄ちゃんが雑誌を買うから、それを読んだりするわ!」

「へー!やっぱりそうなんだ」

「うん!」

「女の子で少年漫画知ってるのって何かいいね!」

「そ、そう?」

「うん、俺、佐々木さんがすごいキッチリした優等生だと思ってたから、イメージ変わったよ、話しやすいし明るくてフランクな感じ」

 そう、俺はこの三ヶ月、美化委員を通して佐々木を観察していた。

 彼女が嘘の仮面を被っているのではないかと疑っていた為だ。結果的にそれは分からなかったが、ハッキリした事が一つある。

 唯一の彼女の弱点!

 それは、褒める事!

 彼女は褒めると分かりやすく上機嫌になる。上機嫌になると、饒舌になる。

 褒めると掃除を頑張ってくれるので、俺は意識して彼女を褒めるようにしていた。

 佐々木は自ら話し始めた。

「気に入ったものは単行本で買ってるんだ。この前も○○と○○と○○を買ったわ」

「え、すごいね」

「〇〇の最新刊、買った?」

「いや、まだ。ネットで注文はしてある」

「ネットよりも、アニ〇〇○の方が良いわよ、作者書き下ろしの小説がセットになっていて、○○奪還後の話も載っていて、それぞれのキャラクターをより深く知る事ができるわ」

「へぇ、めっちゃ詳しいね」

 俺は想像の遥か上をいくオタクぶりに驚いていた。

 購入店舗ごとの特典まで網羅しているなんて、逃れようが無いガチ勢じゃないか。

 そんな感想を抱いた俺に気づいたのか、佐々木は顔の前で両手を振り、慌ただしく言った。

「いや!私じゃないよ!お兄ちゃんが詳しくて、それを教えてもらってて、私自身はそんなにファンって感じじゃないのよ?本当だから!」

「ふーん」

 あやしい。

 俺がじっと佐々木を見ると、追い詰められたのか、佐々木は話を逸らそうと、俺の筆箱に付けていたもう一つのストラップを指さした。

「‥こ、このストラップ、可愛いね、どっかで見たことあるような。な、何だったっけ」

「え、知ってるの?木下コマチネの失望」

「ひぇっ」

 佐々木は顔を真っ赤にして、しどろもどろに言う。

「た、た、た、タイトルだけよ」

「へぇー!」

「と、友達の友達が知ってて、それで」

「へぇ」

「私はその友達からオススメされただけ。でもあんな下品なものだとは知らなかったわ。あんなの見る訳ない!」

「ふーん」

 黒だ。

 このリアクションは、絶対に黒だろ。

 友達の友達なんて、テンプレの言い訳じゃないか。

 だが、本人が必死で隠している以上、俺は気づかないフリをするのがベストだろう。

「そっか、でもほんと意外。また話聞かせてよ」

「う、うん!」

 休み時間が終わり、教師や、他の生徒がなだれ込んで来て、授業が始まった。



   ○ ○ ○


 

 佐々木あやめには兄がいる。

 佐々木の兄は思う。

 あやめに惚れた男達が可哀想だ、と。

 兄を足で蹴ってどかし、横になってソファーを占拠する妹は、片手を伸ばして女王然と言う。

「アイス取ってー」

 佐々木の兄は仕方なく冷凍庫からカップアイスを出してあやめに渡した。

「スプーン!」

 渡すと、あやめは満足げにスプーンを咥えて言う。

「ありがとー」

「母さんと父さんが帰ってきたら怒られるぞ。晩御飯の前なのに」

「いいもーん、ほっといて」

 これ以上言うと不機嫌になるので、佐々木の兄は諦めた。

 母親と父親が帰ってきて、母親が手早く夕飯の支度を始める。

「あら、誰かアイス食べたの?」

 あやめは兄を指差した。

「おにーちゃんが食べた」

「はっ!?」

「だめじゃない、育ち盛りなのはわかるけど、ちゃんとご飯食べてよ」

「‥」


 佐々木の兄がお風呂に入っていると、そっとドアの向こうに影が出来て、あやめが言った。

「まあ別に、興味ないんだけどさ」

「‥なんの話よ?」

「‥友達の話。友達がー、木下コマチネの失望が好きっていうのを、好きな人にバレたらしくて」

「‥はあ」

「どうすればいいかな、って‥‥私に相談をしてきて、お兄ちゃんなら、どう思う?」

「どうって言われても。バレたかどうかも分からないのに。状況も知らないし」

 あやめはぽつりぽつりと話を始めた。

 これ、友達じゃなくてあやめの話だろ。

 佐々木の兄は素直な感想を口にした。

「相手はドン引きしただろうな」

「っ‥‥‥」

 明らかに傷を抉ったのが分かった。

 佐々木の兄は口を開こうとして、あやめは言った。

「そういう事を聞きたいんじゃない!!もういい!」

 佐々木の兄は慌てて立ち上がり、風呂場の扉を開ける。

 入れ替わりで涙目のあやめが裸で風呂に突撃してきた。

 内側からガチャンと鍵を閉められる。

「‥お兄ちゃんには、分からないでしょ‥」

 佐々木の兄は、いや、お前が勝手に相談を始めたんだろ、そんなの分かるかよ、という言葉を飲み込む。

「聞いて欲しいだけだもん!うぅ‥‥」

「うん、分かったよ、風呂出た後、話は聞くから」

「‥うん」


 お風呂から上がると、あやめはケロッとして兄に言った。

「やっぱいいや、大丈夫な気がして来た!」

「‥ならよかったけど」

「ありがと、おにーちゃん!じゃ、おやすみー」

 佐々木の兄はため息をついた。

「なんて人騒がせな」



   ○ ○ ○



 佐々木は知らないフリをする事にした。

 私が知らないフリをしていれば、杉谷さんは空気を読んで知らないフリをしてくれるはず。

 佐々木が胸中で言い聞かせていると、杉谷と目が合った。

 まずい。

 佐々木が俯いていると、杉谷がやって来て、言った。

「おはよう」

「お、おはよう」

 杉谷は少し眉をキリッとさせて佐々木をじっと見つめて言った。

「今週の日曜日、ゴミゼロ運動に行かない?」

「へ?」

 思わず間抜けな声が出て、佐々木は口を押さえた。

 杉谷は言う。

「佐々木さん掃除好きでしょ?たぶん楽しいと思うよ、勉強にもなるし」

「‥‥」

 周囲の聞き耳を立てている人間も、微妙な顔つきになっている。

 これは新手のデートの誘いなのか?

 休日に二人でしょ?ゴミゼロデート?

 杉谷は周りの反応に気づいていないのか、マイペースに言う。

「あ、ぜんぜん無理しなくていいよ、美化委員の活動の一環って捉えてくれてもいいけど、実質休日外での活動になっちゃうから、用事があったら全然‥‥」

 佐々木は言っていた。

「い、い、行く!」

 慌てて付け足す。

「ゴミゼロ運動ってあまり参加した事が無いの。地域によっても違うと思うし、興味があります」

 杉谷は嬉しそうに笑った。

「そう、良かった」



   ○ ○ ○



「日曜日、ボランティアしてくる」

「はぁっ!?お前が?」

 佐々木の兄は目を見開いた。

 あやめは眉をひそめる。

「うん。なにか文句でもあるの?」

「いや変だろ、自己中な、博愛精神をせせら笑ってるお前が急にボランティアなんてさ」

「うるさい、お兄ちゃんには関係ないでしょ」

「お前から言い出したんだろ」

「ふん」

 あやめは機嫌を損ね、階段を上って自室へ戻って行った。

 パソコンがリビングのローテーブルに置きっぱなしだ。

 警戒心の強いあやめにしては、珍しい。

 だが、なんだか最近、余裕がないように見える。

 何か気掛かりなことでもあるのだろうか。

 佐々木の兄はチラリとパソコンの画面を見て、思わず二度見した。

 送信ボックスに、たくさんのメールが書かれていた。

 件名は、どれも恋愛相談のものばかり。

 佐々木の兄は苦笑した。

 誰にも相談できないからってラジオで聞くのはどうかと思うけれど。

 ボランティアというのは苦肉の策なのかもしれない。

 あやめは頑固だしプライドも富士山のように高いから、自ら行動を起こすのはさぞかし難しいだろう。

 佐々木の兄は良い案を思いつき、スマートフォンを開く。

「ま、お節介だけど」

 失望ラジオの公開録音のチケットを二枚、応募しておいた。



   ○ ○ ○


 

 日曜日。

 俺は湖の縁にある、駐車場で佐々木を待っていた。

 俺は特になにも考えていなかった。

 ゴミゼロ運動に本当に参加する予定で、掃除が好きな佐々木にも教えてあげようと思っていた。

 だが、本人を前にすると、本心が出てしまった。

 俺は頭を抱えた。脳内で自分の言葉が繰り返される。

「今週の日曜日、ゴミゼロ運動に行かない?」

 直球すぎる。

 ゴミゼロ運動というのがあって、あくまでも美化委員の活動で‥‥という説明を先にすべきだった。

 教室がシーンとしていた気がする。

 話の脈絡もないし、変だったに違いないが、佐々木は行くと返事をしてくれた。

 色々と考えていると、私服姿の佐々木が遠くから駆けてきた。

 ジーンズに、白いシンプルな長袖。リュック。

 美人は何を着ても似合う。

 髪が邪魔にならないように、と手前の髪をピンで留めて来ているのも、気を遣っていて素晴らしい。

「おはよう」

「おはよう、佐々木さん。今日は来てくれてありがとう。これ、佐々木さんの分のゴミ袋」

 俺は佐々木に2リットルのビニール袋を渡す。

「あ、ありがとう」

「こっちは軍手。缶とか割れた瓶とか危ないから、付けておいて」

「分かった」

 既にゴミゼロ運動に参加する人達は活動を始めている。

「特に集まったりはしないのね」

「うん。自由な感じだよ。じゃあ始めようか」

「うん!」

 俺達は無心でゴミを拾った。


 気づけばお昼になっていた。

 お弁当とお茶が配られる。

 俺達は、湖の縁にある小さな公園のベンチに座って昼食をとった。

「大丈夫?疲れた?」

「ううん、平気。随分ゴミ落ちているのね、想像以上だわ」

「そうだね」

 弁当を食べ終え、お茶を飲んで休憩する。

 葉っぱから漏れる光がとても綺麗だ。

 俺は次に掃除する場所をぼんやり考えていた。

 ふいに、佐々木に話しかけられた。

「杉谷さんは、掃除好きなら皆んなここへ連れてくるの?」

「え?いや、そんな事ないよ」

「ふーん。私は特別なの?」

「うん、掃除が好きそうだから」

 佐々木はふーん、と言ってベンチに背を凭れた。

 静かな時間が流れる。

 すー、すー、と規則正しい音が聞こえて隣を見ると、佐々木は眠っていた。

 佐々木は優秀で何でも出来るが、それは地道な努力があってこそだろう。毎週の課題も家に持ち帰らず、休み時間の合間を縫って終わらせているようだったし、予習も復習も怠らない。掃除だってやってくれたし、誰にでも、いつでも笑顔を絶やさない。

 俺は彼女が可愛いというよりも、そんな普段の生活態度の方が魅力的だと思う。

 幸せそうに眠っているので、俺は直ぐには起こさずに佐々木の近くのゴミを拾っていた。

 

 夕方になり、ゴミゼロ運動は終わりを迎える。

 沢山のゴミ袋をトラックに積み込み、みんなでお疲れ様でしたー、と労い合う。

 俺たちは湖の縁を歩いて帰路を辿った。

 その途中、金髪ジャージ姿のヤンキー達とすれ違った。

 カコン、と音が聞こえて、振り返ると、道に缶が転がっている。

 佐々木が即座に缶を拾い、まさかの、ヤンキー達に缶を突き出して言った。

「捨てないで下さい」

「あん?」

「拾うのが大変なの」

「ちょ、佐々木さん!」

 俺は駆け寄るが、それよりも速く、ヤンキーの一人が佐々木の腹を蹴り飛ばした。

 佐々木は顔を歪めてよろめいた。

「佐々木!」

 次の瞬間、佐々木は弾丸のように男達の前に飛び出して行き、男の身体を綺麗に背負い投げて地面に叩きつけた。

 佐々木はタン、と片足を踏みしめ、胸を張って言った。

「あたし黒帯なの。かかって来なさい」

 俺は慌てて佐々木を引っ張り、仲裁に入る。

 更にヤンキーの一人が、吸い殻を捨てて、踏み潰した。

 佐々木の身体が震える。

 ヤンキーは佐々木のリアクションを見て、ニヤリと笑んで言う。

「タバコ一つで何にもならないだろ。キリキリし過ぎだろ、善人がよ」

 佐々木は低い声で言った。

「鳥や魚が誤食したりしてしまうかもしれない。それにニコチンは発癌性の有害物質よ。雨が降ったら、ニコチンの解けた雨水が湖に溶け込んでしまう。ここの湖では、海苔とかアサリも人が食べる。ニコチンは生物濃縮されて、私達が高濃度のニコチンを摂取してしまう事になる。ま、バカには分からないでしょうけど」

「ああん?」

 ヤンキーが殺気立つ。

 人が集まって来た。

 さっきまでゴミを拾っていた人間にとったら、相当腹の立つ出来事である。

 しかも佐々木を蹴り飛ばしたのを複数人が目撃しており、老人の一人が「警察を呼ぼう」とまで言い出した。

 ヤンキー達は前科があるらしく、仲間内で視線を通わせた後、踵を返して逃げ出した。

 俺はほっと息を吐き、佐々木に言った。

「危ないことはしないで。本当に、俺、佐々木さんに何かあったらどうしようってハラハラしたんだから」

「‥」

 佐々木はそっぽを向いた。

「本当にダメだよ。ああいう時は、俺が言うから。恨みをかったりしたらまずいんだから」

 よほど腹が立っているのか、佐々木は俺を無視してスタスタ歩く。

 俺は言った。

「約束して」

「‥‥」

「返事は?」

 佐々木はピタリと足を止めた。

「‥‥茶道の先生と、ピアノの先生と、お習字の先生と、柔道の先生と、パパ」

「え?」

 佐々木は今までとは明らかに違う、感情剥き出しの子供っぽい顔で振り返った。

「私を叱ってくれる人!でも習い事の先生はお金を貰ってるから私を叱る。だから、あなたは珍しいわ。この私を叱ろうだなんて」

 千年早いわ、という言葉が佐々木のツンとした表情から読み取れる。

 佐々木は唇を尖らせて言う。

「叱るのは、相手を想っているから。ちゃんとした子に育って欲しいから。だから私、叱られるのはそこまで嫌いじゃないの。腹が立つけど」

 俺は苦笑して言った。

「確かに佐々木さんくらい可愛ければ、みんな甘くなるだろうね」

「あなたは褒めるのが上手いわね、前々からちょっと憎たらしいと思ってた」

「さようですか」

 俺は笑ってしまった。

 驚いたが、そこまで驚かなかった。どこかで分かっていた気がする。

 可愛くていつも笑顔で明るくて、優秀な何でも出来る完璧な人間は、「普通」じゃない。

 佐々木の素の態度が、なんだか愛らしく思えた。

 同時に確信した。

 彼女は失望リスナーだ。

 佐々木は耐えられない、といったように、俺を睨んで両手を広げた。

 ワガママな御令嬢のように言った。

「疲れた!!もう、すっごく疲れた!」

 俺は吹き出した。

「でもお陰で綺麗になったよ、ありがとう」

「‥‥」

 佐々木はすがめた目で俺を見た後、目を閉じた。


 分かれ道で、俺は笑ってたずねた。

「ラジオ、聞いてるの?」

 佐々木は仏頂面で答えた。

「ラジオは聞くものよ、じゃあね、バイバイ」



   ○ ○ ○



「あやめ、これ、あげる」

 佐々木の兄はチケットを渡した。

「‥なに、これ?」

「ラジオの公開録音。友達と行く予定だったんだけど、行けなくなっちゃったんだ」

「‥‥ふーん」

「倍率めっちゃ高かったから、当たったの奇跡みたいなもんだけど、放棄するのも勿体ないよなー、って思ってたんだけど。2枚あるよ」

 いっぱく置き、あやめは言った。

「‥‥別に、もらってあげてもいいけどね」



   ○ ○ ○



 ラジオネーム  春のインカ帝国祭り


 失望ラジオには、本当に感謝しています。

 僕はとてもひねくれた人間だという自覚がありました。自分が嫌いなときもありました。でも、そんな天邪鬼な自分を肯定してくれたのは、このラジオのお陰です。

 僕は失望ラジオのコミュニティも好きでした。下品でも性格が悪くても、ニートでも不登校でも変人でも受けて入れてくれる、そんな優しい場所でした。

 僕は、そんな居場所は、現実には無い。

 ずっとそう思っていました。決めつけていました。

 ですが、違いました。

 自分は変で性格が悪くても、それを笑って受け入れてくれる人がいるんだと、私は知りました。

 ラジオでのアドバイスがなければ、僕はきっとこんな気持ちを知らずにいたでしょう。

 とても感謝しています。

 おそらくですが、来月の公開録音に行くかもしれません。

 とても楽しみにしています。

 

「え!ちょっと待って!色々気になったことがあるんですが」

「そうですね」

「途中で私って言わなかった?間違えちゃったのかな?インカ帝国さんって、女の子なの?」

「どうなのでしょう?あと、恋の結末はどうなったんでしょうか」


 予想外の展開に、思わず俺は身を乗り出した。 

 そして、俺はなぜか、佐々木を思い出した。

 ひねくれているけれど、根は真っ直ぐで素直な女の子。この、最後の最後で爪が甘い感じ。

 佐々木ならやりそうだ、こんな‥‥

「‥まさかね‥」



   ○ ○ ○



 ラジオの公開録音に参加するのは初めてだった。

 佐々木が当日誘って来て、俺は急遽行く事になった。

 なんでも、お兄さんに用事が出来てしまったらしい。

 〇〇本社の大きなビルの一階に、ステージがあり、そこで公開録音が開かれる。

 パーソナリティ二人が出てきて、みんなでタイトルコールをする。

 それだけでも普段のラジオとは違って、とても面白かった。

 佐々木はつま先立ちをして、食い入るようにパーソナリティ二人を見つめている。

 さまざまなコーナーを行い、いつもの失望ラジオの調子に、俺達は笑った。

 佐々木も爆笑している。

 もはや隠す気はないようだ。

 そして、最後のコーナー、視聴者へのプレゼント企画だ。

 白い箱を受け取り、パーソナリティが穴に手を入れて紙を引き当てる。

 これは引いた紙の質問に答え、質問者にプレゼントが送られる、というものだ。

 入り口のところで、質問ボックスがあり、俺と佐々木も「一応ね」と投函しておいた。

 その時、

「え!インカ帝国さん?!」

 ビクリと、佐々木が震えた。

 ざわっと会場が盛り上がる。

 パーソナリティが質問を読む。


「人生の中で一番嬉しかった出来事を教えて下さい」


「かわいい質問ですねー、嬉しかった出来事か。私は‥‥」

 

 パーソナリティは短く答え、最後にインカ帝国を呼んだ。

「インカ帝国さん、いますかー?」

 シーン、と会場が静かになる。

 その時、佐々木が左手を半分上げ、すぐに下げたのを俺は見逃さなかった。

 佐々木がインカ帝国!?

 だが、一番納得できる。だって、それは俺の日常であり、彼女の日常であったからだ。

 パーソナリティが呼ぶ。

「インカ帝国さーん?」

 佐々木はブルブル震えている。

 さぞかし葛藤していることだろう。

 俺は手を挙げ、前に進み出た。

「‥‥」

 佐々木は呆然として、俺を見る。

 俺はステージに上がりながら、初めに亀のガラスを割り、佐々木を庇った時の出来事を思い出して苦笑した。

 俺はパーソナリティの二人と短く言葉を交わしてグッズのストラップをもらい、握手を‥‥

 と、その時、佐々木が人混みを縫って壇上に上がってきた。佐々木は、ただ握手したい一心で来てしまったらしく、結局、俺の後ろに隠れた。

 パーソナリティが俺を見た後、不思議そうに佐々木を見る。

「どなたでしょう」

 俺は考えた。

 他人と答えれば、ただの乱入した人として、反感を買ってしまうかもしれない。

 俺は言った。

「彼女です」

 女性のパーソナリティが立ち上がって大きくリアクションをした。

「えーーー!!」

 その瞬間、会場は拍手に包まれた。



 俺は何故か失望リスナーに握手をせがまれて握手をしていた。

 酷いことに、佐々木は「謎の手紙」を俺に押し付けた後、逃げるように帰って行った。

 恥ずかしかったのだろう。

 ストラップは明日渡してあげよう。


 俺は帰宅し、部屋に戻ってドキドキしながら佐々木からもらった手紙を開けた。


 ラジオネーム  水槽の罪被せてごめん


  次回のゴミゼロ運動はいつなの?


    ps 他の運動でも良いけど



 俺はずっこけた。

 てっきり好きとか、そういう事を言われるのかと思った。

 まだまだ彼女に好かれるには努力が足りないのかもしれない。

 俺はカレンダーをめくる。

 次回のデートは、公園の芝刈りだ。





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