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【異世界恋愛2】独立した短編・中編・長編

二度目の結婚は、白いままでは

作者: 有沢真尋

 年齢差六十四歳。その結婚は、シルヴィアナの甘やかな夢や希望を打ち砕くには十分だった。


 * * *


 漆黒の髪を気ままに風に靡かせて、白いドレスの裾もはためくに任せて。

 シルヴィアナは青空の下に威容をさらす、白亜の館を仰ぎ見た。


「レイノルズ伯爵邸。噂に聞く以上に美しいこと。私が余生を送るには贅沢過ぎないかしら」 


 小首を傾げて口元に笑みを浮かべて呟くと、馬車から誰の手も借りずに下りる。


(最初の結婚は十六歳のとき。家同士の力関係、しがらみ、大人たちの思惑。私の意思などどこにもなく、嫁がされた相手は八十歳の御大。夫の死によって私が「未亡人」となるまではそこから十年。実家に戻ってここ二年、喪に服すという名目でようやく静かに暮らせていたのに。なんということでしょう、二度目の結婚ですって)


 駒なのだ。男たちが紫煙をくゆらせて、蒸留酒片手に気ままに盤上で動かす名もなき兵隊(ポーン)。ときに騎士(ナイト)に蹴散らされ、僧侶(ビショップ)にすら足蹴にされ、戦車(ルーク)に粉砕される。

 伯爵令嬢として生まれたことは、シルヴィアナの人生を決して豊かにも輝かしいものにもしなかった。

 あそこに嫁げと命令され、今度は向こうだと言われ、抵抗することも許されずに今回もまた、ここまで来てしまった。


 二十八歳、再婚。そんな女を欲しがるなんて、碌でもない男に違いない。

 胸の中では散々悪態をつきながらも、慣れた愛想笑いを扇の影に浮かべて軽やかに歩みだす。


(レイノルズ伯爵といえば、五十歳絡みのおじさまだったはず。どうせ、私のことを妖艶な毒婦だと思い込んでいるのでしょう。これまで随分揶揄されてきたもの。それもこれも、亡夫がひどく嫉妬深く、まだ少女の年齢だった頃から私を、決して自分のそばから離さなかったから。あれほどのご老人が片時も手放せないとは、さぞや閨事(あちら)も念入りに仕込まれていて、男を飽きさせないに違いない、と)


 年齢差六十四歳。十年の結婚生活で、子どもはいない。それでもずっと周囲からのチリチリとした嫌な視線を感じていた。

 それでいて、顔を合わせれば皆上品に笑って「仲睦まじいですね」と褒めそやすのだ。「愛に年齢なんて」という美辞麗句を並べ立てながら。

 かつてのシルヴィアナは、笑ってやり過ごすことしかできなかった。

 親よりも祖父よりも年上の夫から感じていたのは、ただただ度が過ぎた執着と、若く美しい娘を侍らしていたいという顕示欲だけだったというのに。愛?


 今、同じことを目の前で言われたら、相手の喉に扇を突き刺してやる、とひそかに決意を固めている。

 暗黒に染め上げられた日々を、そんな言葉で濁されてなどやるものか。


 柱廊玄関前には、屋敷の主だった使用人たちが集められているようだった。一応は、この若くもない奥方を歓迎してくれているらしい。

 颯爽と進み出てきたのは、癖のない金糸の髪に碧玉の瞳の、年若い青年。甘く端正な顔立ちで、お仕着せとは思われない白いジャケットを身に着けており、独特の存在感がある。


(家令にしては若いし、何者かしら。もしかしてご子息?)


 扇の影からさっと視線をすべらせた限り、伯爵本人らしき男性は見当たらない。自分が不在のため、息子を出迎えに出したのだろうと、あたりをつける。

 シルヴィアナは扇を畳んで、青年の方へと歩み寄った。

 どうせもう「ご令嬢」などという可愛らしい年齢でもないのだ。軽くいなして義母としての貫禄でも見せつけてみよう。あまり趣味のよろしくない思いから、青年に艶然と微笑みかける。

 途端、青年がぱっと顔を輝かせた。


「お待ちしていました、シルヴィアナ様。このたびは私からの申し出を受けてくださってありがとうございます。あなたをお迎えするために、ここのところ屋敷中上を下への大騒ぎでしたが、どうにかこの日に間に合いました」


(……子犬っ)


 まるで尻尾をぶんぶん振って愛想を振りまく愛玩動物のような愛くるしさに、めまいがした。

 自分の子どもを腕に抱くことは叶わなかったが、こんな可愛らしい息子が出来るなら、結婚も悪くないかもしれない、と一瞬考えてしまうほどに。

 すぐにそんな幻想めいた考えを振り払い、(どうせ私は世間では毒婦ですから)とありったけのネガティヴな感情をかき集めて、唇にアンニュイな笑みを浮かべてみせる。


「歓迎してくださってありがとうございます。私は決して若くないとはいえ、あなたのお義母様としては年齢が少し近いようにも思いますが、どうぞ仲良くしてくださいね」

「お義母様? シルヴィアナ様が私の? ああ、もしかして、私が早くに母を亡くしたことを気にしているのですか。ご心配なく。私は妻に母性を求めるつもりはないです。婚約前に仲を深める機会を持てなかったのは残念ですが、これから式までの間にぜひ、恋人として甘いひとときを送りましょう」

「妻? 恋人? 甘いひととき?」


 この青年はいったい何を言い出したのだろうと、シルヴィアナは思わず聞き返してしまった。 

 その戸惑いをどう受け取ったのか、青年は焦ったように早口で付け足す。


「『ひととき』という言葉が誤解を生んでいたら謝ります。恋人としてのひとときの後には、結婚によって、永遠の幸せを。二人一緒に、この先長い人生を歩んでいきましょう」

「義理の息子と?」


 話が飲み込めないまま、確認の意味を込めて尋ねる。

 そこでようやく青年も「あれ?」という顔になった。

 すぐに、若い貴族らしい余裕のある笑みを浮かべると、何事もなかったように言う。


「シルヴィアナ様、立ち話より、屋敷の中へどうぞ。私たちはゆっくり話す必要があるようです。申し遅れましたが、私の名前はナサニエル。この屋敷の現当主で、レイノルズ伯爵と名乗っています」


 シルヴィアナは、目を瞬き、相手にだけ聞こえる声量で「本人?」と囁いた。

 レイノルズ伯爵ことナサニエルは、「はい」とはっきりとした声で答えた。


 * * *


 一度目の結婚を終えた後、たっぷり二年間の隠遁生活を送っていた。いわばこれはその皺寄せ。

 シルヴィアナはすっかり世間に疎くなっていた。伯爵が代替わりしていたことも把握していなかった。縁談を持ち込んできた父親の剣幕から、どうせ断っても無駄なのだと、まともに取り合わずに話を聞かなかったせいもある。


 結婚相手は年上男性どころか、御年十八歳のナサニエル。実に十歳下。


 見れば見るほど、光り輝く玲瓏たる美貌の持ち主で、身のこなしも抜群に若々しく、存在そのものが溌剌として眩しい。


「間違いではないですか。どこかべつの伯爵令嬢と。初婚の」

「間違いではないですね。あなたが未亡人として自由の身の上になったと聞きつけてから、ずっと狙い定めていました。それはもう、虎視眈々と」


 屋敷のサロンにてひとまず向かい合ってお茶を飲みながら、事実のすり合わせを行う。

 ナサニエルは、どんなに穿った見方をしても勘違いしようもないくらいハッキリと「あなたです、シルヴィアナ様です」と言うのだ。


(好かれるような覚えが全然ないのだけど。どこかでお会いしたかしら)


 唇を湿らせるためにお茶を一口飲みながら、思案する。

 その考えを見透かしたかのように、ナサニエルがきっぱりと言った。


「忘れてしまっていても無理はないと思いますが、もう何年も前、まだ私が小さな子どもだった頃、あなたには何度か遊んで頂いたことがあるんです。この世にこんなに綺麗で優しい方がいるのかと、幼心に憧れを募らせました。あれは初恋でした」


 うっとりと夢見がちなまなざしで語るナサニエル。

 シルヴィアナは内心「初恋は初恋で終わらせた方が」と思いつつ、なんとか記憶をたどる。


「大人たちが歓談しているガーデンパーティーのときかしら。結婚前に何度か顔を出した覚えがあるわ。そうね。言われてみれば、小さな子どもと遊んだかも……。ハンカチに焼き菓子を包んで持って、花壇に座って食べて」

「そうそう、それです! そのときの子どもが私ですよ! ああ、ありがとう、シルヴィアナ! あなたの記憶は完璧です!!」


 がしっと手を掴まれて、シルヴィアナは軽く目を見開く。

 その反応に、ナサニエルはぱっと手を離して「すみません」と詫びてきた。

 既婚者で未亡人なのに、初心な乙女のように驚きすぎた。反省しつつ、シルヴィアナは「構わなくてよ」と告げる。出来る限り、余裕があるように装いつつ。


「あなたは褒め上手みたいですが、そこまできちんと思い出したわけじゃないの。でも、少しだけ事情はわかってきたかもしれません。つまり、あなたは、本当に、私を。十歳も年上の未亡人を」

「シルヴィアナという女性を、です。あなたは嫁ぎ先で締め付けのきつい生活を送っていたようですが、結婚してからの動向も私は何かと気にかけていました」


 シルヴィアナは、滔々と語るナサニエルの目を見つめていた。

 もし大嫌いなあのフレーズを口にしたら、喉に扇を突き立てねばならないのかしら、と危ぶみながら。「愛に年の差なんて」と。

 幸いにしてその言葉は出なかったが、シルヴィアナとしてはまだ納得しきれていない。

 慎重に慎重を期して、尋ねた。


「跡継ぎについてはどうお考えなのでしょう。私は十年の結婚生活を送りながら、子どもをなしていません。この先、伯爵家にとっては、決して良い奥方とはなり得ないかもしれません」


 ナサニエルは澄んだ目でシルヴィアナを見返しつつ、穏やかな口調で答えた。


「もちろんそこは考えました。その上で決めたことです。爵位や財産を継がせるあては、見つけようと思えば見つかるでしょう。それよりも、私は愛する女性と共に歩む生き方が良いと考えています。私は世間的には少数派かもしれませんが、自分の願いに忠実であり、あなたにもそうあって欲しいと願っています。まずは、そういう私を知って頂くところから。そして、ここまで強引にお呼び立てしてしまいましたが、これ以降はあなたの意思を無視するようなことはしません。どうか、私を受け入れて頂けますように。精進いたします」


 嘘のない、実直そうな口ぶり。

 シルヴィアナは視線を逸らしてから、少し考えて、手を差し出した。

 ナサニエルはその手に、形の良い指を揃えてそっと手を重ねてきた。


「よろしくお願いします」


 甘い響きの低い声が、やわらかく耳朶を打った。


 * * *


(六十四歳差をなんとか乗り切ったのに、十歳差の方がはるかに緊張する)


 十年も結婚生活に耐えたのだから、少しくらいの我儘は許されるはずだと、実家では自堕落な日々を送っていた。

 そのすべてを取り返すかのように始まったナサニエルとの「結婚を前提とした恋人期間」は、とにかくハードで、充実していた。


「コリンは、あっという間に私よりもシルヴィアナに懐いてしまった。薄情な犬です。赤ん坊の頃から面倒を見てきたのは私だというのに」


 ナサニエルは、真っ白で毛玉のような長毛種の小型犬(ポメラニアン)、コリンと生活していた。世話をするのが苦ではない性格らしく、使用人の手を借りずに自分の手で成犬まで育て上げたとのこと。

 仕事が無く天気の良い日は、庭に出て、気ままに走らせている。

 そのコリンだが、なぜかシルヴィアナに出会うなり気を許してしまい、すぐにぐずぐずに甘えるようになっていた。

 甘えた勢いで、ドレスの裾に前脚を伸ばして、走ろうと誘いをかけてくる。

 シルヴィアナはいつも、最初は「そういうわけにはいかないのよ。淑女は走ったりしないの」とあしらっているのだが、そのうち根負けして、結局全力で遊んでしまう。


 疲れ切ったところで、芝生に敷布を広げて休憩。バスケットに詰めてきたパンや焼き菓子を水筒の水と一緒に頂く。

 その後は、「こうすると空がよく見えますよ」とナサニエルに誘われて、敷布に寝転がって空を見ながら、うたた寝。


(暗黒の娘時代を、いまになって取り返しているみたい)


 十年一世代、ナサニエルとは時間がずれている。シルヴィアナが十代の頃にはこんな遊びは考えられなかったが、案外いまの若い貴族は「はしたない」などと言わずに自由に暮らしているのかもしれない。


(一度目の結婚が、早すぎたのだわ。私は何も経験しないまま、妻となった。それも、皆に見せびらかすお飾りのようなもので、窮屈なだけの暮らし。夫の言うことにただ従っていただけで、ろくな教養も身につかず、終わった後は何も残らない……。私の中身は十代の頃とほとんど変わっていない。ナサニエルには見抜かれているのかもしれない)


 それならば体も十代のままなら、なんの気兼ねもなく彼を受け入れられただろうに。

 無駄に歳を重ねた年長者だという思いが、振り払えない。


「眠い……。ここ数日忙しくて。私は少し寝ます。コリンも寝てる。シルヴィアナも……」


 目の上に掌を置き、ナサニエルが不明瞭な呟きをもらす。すでに微睡(まどろ)みの中。

 並んで横たわっていたシルヴィアナは、くすりと笑いをもらして「どうぞ寝てください」と言ってから、自分も目を閉ざした。

 さあっと吹き抜ける爽やかな風に誘われるように、眠りに落ちた。


 * * *


 目を開けたら、ナサニエルのジャケットが体の上にかけられていた。

 はっと気づいて起き上がると、すでに日が暮れかけている。


「ずいぶん寝ました。ごめんなさい、あなたが起きたことにも気づかなくて」

「良いんですよ。シルヴィアナも慣れない生活で疲れていたのでしょう。ゆっくり出来たのなら良かった」


 膝を立てて、後ろに両手をついて遠くを見ていたナサニエルは、静かにそう答えてから、シルヴィアナに目を向けた。

 碧玉の瞳に淡い感情をのせて、やや躊躇いながらも、きっぱりと言う。


「今晩、部屋に行っても良いでしょうか。あなたが嫌なことは何もしませんが、その。今日は昼寝をしてしまったので、夜に少しでも話せたら良いなと」


(この人にしては珍しく、建前を口にしている。本音は別にある)


 瞳の奥に、抑えきれない炎が灯っている。その存在に気付きながら、いつまでも避けては通れないのだと、シルヴィアナは自分自身を鼓舞し、かつ納得させた。

 柔らかな風におくれ毛を靡かせて、ナサニエルの目を見つめ返して、頷く。


「お待ちしております」


 * * *


 今晩、ナサニエル様が。

 そう伝えると、心得たとばかりに張り切った侍女たちに、湯浴みから肌にクリームをすり込むまで迅速に進められてしまった。


「シルヴィアナ様の肌は本当に清らかでお綺麗ですね。こんなこと、本当は奥様になるご身分の方に言ってはいけないのでしょうけれど」


 口を滑らせた年配の侍女に、シルヴィアナは「いいのよ」と言って曖昧に微笑む。


(余裕、余裕。余裕、余裕。年上の未亡人ですもの。経験豊富と噂も盛りだくさんの。ここで焦っていたら変に思われるわ)


 侍女たちが速やかに退出した後は、絹の寝間着にガウンを羽織った姿で、窓辺の椅子に座ってナサニエルを待った。

 その間、ずっと頭の中で繰り返していた。


(御老体をも虜にする妖婦だ毒婦だと言われた一度目の結婚、新婚当時すでに高齢だった旦那様は、妻となった小娘に手をつけることがなかった。ただの見栄えの良いお飾りで、それ以外の用途のない存在。子どもが出来ないのは言わずもがな。もちろんこんなこと、夫婦やごく少数の侍女たち以外は知らないことだけど。さすがに二度目の結婚は、白いままでは……)


 コン、コンと控えめなノックの音に我に返り、シルヴィアナは「どうぞ」と声をかけて慌ただしく立ち上がる。

 ドアから身を滑らせて部屋の中に入ってきたのは、昼間とさほど変わらぬジャケット姿のナサニエル。その服装を見た途端に、シルヴィアナは自分の隙だらけの格好が居たたまれなくなり、頬を染めて俯いてしまった。


「昼間話せなかったから、少しだけのつもりで……」

「はい。そのつもりでお待ちしていました」


 気まずそうなナサニエルの呟きに、か細い声で答える。顔から火を吹くほどに恥ずかしい。

 まともに目を合わせられないまま、窓辺の席に促す。予め、テーブルを挟んでの向かい合わせではなく、並んで窓の外が見られるように配置した椅子に腰を下ろした。


「その……、コリンがあなたに懐いているので。あなたも犬が好きそうだし。もしよければ、増やそうかと。犬を」


 ナサニエルが、たどたどしく話し始める。

 顔を伏せたまま聞いていたシルヴィアナは、良いですね、と答えようと思ってから、少しだけ考え込んだ。それから、かねてより考えていたことを恐る恐る尋ねた。


「ナサニエルは、犬がお好きみたいですが。もしかして、子どももお好きなのではないですか」


 ん、とナサニエルの呻き声のようなものが聞こえた。シルヴィアナはそこで初めて顔を上げる。

 目に飛び込んできたのは、うっすらと頬を染めた横顔。シルヴィアナの方を見ないまま、ナサニエルは口を開く。


「好きです。父も母も亡くしてますので、家族という繋がりに憧れもあります。でもそれを私があなたの前で言うのは、催促にあたりそうで。最初にそこは話し合いましたし、私からは言うべきではないと」

「『私からは』ということは。もしも私の方から、あなたの子を産めたら良いのにと言った場合は、本気で考えてくださるという意味ですか」

「ほ、本気でとは」


 ぱっと顔を向けてきたナサニエルの顔が、ますます赤くなっている。シルヴィアナもまた、自分も同じような顔をしているだろうと思いつつ、意を決して尋ねた。


「つまり、子どもができるようなことを、です。結婚式まではまだ幾日かありますが、いずれこのままいくと私たちは初夜も迎えますね。そのときに……」

「それは……、あなたがお嫌でなければ……」


 その言葉を最後に、二人とも続きを口にすることができず、沈黙してしまった。

 先に観念したシルヴィアナが告げた。


「嫌かどうかというよりも、私は一度目の結婚で子どもがいません。期待をされても」

「それはもう。わかっていたことですから。むしろ、わかっているのに私があなたを求めた場合、体だけが目的と思われないかと。そんな風に思われるくらいなら、白い結婚、でも」


 言いながら、ナサニエルは絶句してしまった。

 自分の口をおさえてシルヴィアナを見つめ、苦しげに白状する。


「いまのはやせ我慢です」

「はい。お考えは、よくわかりました。その上で私から申し上げられることといえば、子どもができるかどうかは……」


 ぐっと音量を下げて、シルヴィアナは声を絞り出す。してみなければわかりません、と。

 居たたまれなさの極み。

 ナサニエルは口元をおさえて真っ赤になったまま黙り込み、シルヴィアナもひたすら俯く。穴があったら入りたいのだけど、どこかに無いかしら、と優美な織模様の絨毯の敷かれた床を見つめる。

 やがて立ち直ったナサニエルが、強張った笑みを浮かべて言った。


「今より先の未来に、そういう可能性もあるかもしれないと、胸にとめておきます。あなたとの子を、この腕に抱くかもしれないと」


 なんとかシルヴィアナの気持ちを盛り上げようとしているような優しさの滲んだ声。

 シルヴィアナは万感の思いで目を閉ざし(一度目の結婚は、白い結婚でした。そのこともあって、自分が子どもを産める体質であるかどうかは未知なのです)と告げようかどうしようか悩み抜いた。

 その末に、言葉を選びかねて、言ってしまった。してみればわかることもあります、と。

 

(言い方。もっと他に言い方が)


 言ったそばから激しい後悔に襲われたが、取り消すことなどできるはずもなく。

 せめて流してくれるかと期待したが、しっかりと聞いていたナサニエルから「どういう意味ですか」とその後時間をかけてじっくりと問い詰められることになった。


 * * *


 数年の後、伯爵家の庭で白い犬が縦横無尽に駆け、子どもたちの声が響き渡ることになる。

 伯爵夫妻はいつでも仲良く寄り添ってその姿を見守っていた――ということはなく、子どもたちに翻弄され、いつしか二人共賑やかな声を上げて走り回っていたという。



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