2 婚姻契約
「……とりあえずだが、状況は把握した」
崩れかけの石材に腰かけて話をした末、サイスは真顔でうなずいた。
「ディアイラ、お前は魔王ヒュベルムートを召喚したのに、なぜか出現したのは俺だった。契約魔法が完成してしまったために、俺とお前は婚姻関係になってしまい、契約を解除するには、どちらかが死ぬ以外の方法はない。今のところは。……そういうことだな」
「そうよ」
もはや敬語を使う気にもなれず、私は投げやりに答える。
人間同士の婚姻と違って、魔物召喚に伴う婚姻契約は、どちらかが死ぬまで解消されないとされていた。
(なんで、よりによってこいつが)
サイスはうなる。
「しかも、俺はお前のしもべになった。……本当か?」
「ほんとう」
「確かに、お前の魔力が身体を取り巻いているのは感じるが……何が変わったというんだ? 俺がお前の言うなりになるとでも?」
少々、バカバカしそうに苦笑するその顔にムカついて、私は口を開く。
「ディアイラの名において、シャイスに命じる。さかだちしなさい」
突然立ち上がったサイスは、その場でヒョイッと、逆立ちをした。
私は軽く拍手する。
「じょーずじょーず」
「……………………よくわかった」
すたっ、と逆立ちをやめて立ち上がったサイスは、苦虫を噛み潰したような顔で石材に座り直した。屈辱に耐えているのか、手がぷるぷるしている。
「人前では……やめてもらえるとありがたいんだが」
「わかってるわよ。国王へーかに命令するなんて、国を敵にまわすよーなこと、するわけないでしょ」
自分の膝で頬杖をつき、私はため息をつく。
「あーあ、今までのどりょくが水のあわ。婚姻のカタチでけーやくできるのは、いっしょーにいちどだし。他の方法でテイキュウの魔物なんかつかってもしょーがないし。あ、どうぞかってに一人で王宮にかえってください。送迎はうけたまわっておりましぇんのであしからず」
すると突然、サイスは立ち上がった。
「そういうわけにはいかない。ディアイラ、お前には俺と一緒に来てもらう」
「は!? なんでよ!?」
「婚姻の印が出てしまっているからだ。俺は国王だぞ、相手を公表しないわけにはいかないだろう」
「じょーだんじゃないわ、王宮にいくなんてまっぴら!」
「言わせてもらうが、この状況を引き起こしたのは俺ではない。お前だよな?」
「うっ……」
私は言葉に詰まったが、そっぽを向いた。
「ち、ちがうわ、古文書よっ。古文書がわるいのよ!」
「では、調べなくてはなるまい。見たところ本物のその古文書の通りにしたのに、なぜ魔物ではなく俺が召喚されることになったのか。何か間違いがあるのなら、正す方法があるかもしれないだろう。俺との契約を解除して、他の魔物を召喚できる方法が見つかるかもしれないぞ」
「どーやってみつけるってゆーの」
再び片肘をついてぶすくれる私に、サイスは淡々と告げた。
「王宮古文書館だ。あそこには、建国以来の書物が揃っている。それこそ禁書もな。調べることができれば、あるいは」
「……王宮、古文書館」
その魅惑の響きに、私はうっかり、顔を上げてしまった。
魔法を使う者にとって、最大の憧れ、神秘の場所──王宮古文書館。この世の英知が集う場所。
(前世、私一人では入れなかった場所に……サイスと一緒に、入れるかもしれない?)
私の顔を見て、サイスはニヤリと笑う。
「さすがは魔女。興味津々の表情になったな」
悔しいけれど、顔に出てしまったらしい。
「ほんとーに、ちゃんと、はいらせてくれるんでしょーね?」
「約束する」
彼は請け負った。
塔の外へ出ると、深い森だ。夜明けの光が差し染め、鳥がどこかで鳴いて朝を告げている。
「とにかく、お前の家に案内しろ」
サイスは慣れた口調で命令する。
「お前を連れて行くことを保護者に伝えなくてはならん」
(しもべのくせに、偉っそーに)
内心で文句を言いながら、私は歩き出す。
「こっちよ」
とことこと歩き始めると、サイスは後ろからついてきた。
しかし、しばらくして上から声が降ってくる。
「遅い。魔女はホウキで飛ぶものではないのか」
「飛ぶほどのチカラなんて、今はのこってない」
こっちは、十年かけて準備した契約の儀式を終えたところなのだ。
歩きながら、私はぶつぶつ文句を言う。
「まったくもう。契約したら、しもべにわたしをはこばせよーと思ったのに」
「ならばそうしよう」
突然、後ろから私の両脇に手が入った。
ひょいっ、と視線が高くなり──私はサイスの左腕に腰掛けるような形で抱っこされていた。
「ちょ、なにすんの!?」
「しもべが主を運んでいるだけだが? 行くぞ。こっちだな」
ぐんぐんと、サイスは長い足で歩き始めた。私は文句を言いかけたけれど、結局口をつぐむ。
間近で、サイスの低い声が聞こえる。
「お前、本当は何歳だ」
「じょせーにその質問はサイテーね。答えるギリもないし」
「俺は一応、国王なんだが」
「わたしは一応、あなたの主なんでしゅが」
軍服の下のがっしりした身体つきを感じ、彼のにおいを感じながら、私は心の中でつぶやいた。
(どうして、今になって、こんなふうに……)
そして、一介の魔法修復士の家のテーブルで、不思議な話し合いが行われるはめになっている。
「娘御を一目見た瞬間、我が妻だと確信した。ディアイラを王宮に迎えたい」
お供も連れずに現れた国王にそんなことを言われて、私の両親はぶっ飛んだ。
それはそうだろう、いくら本当は十五歳でも、五歳の姿をした幼女を見て『一目惚れしました』と言っているようなものだ。
父は、戸惑いを隠せないまま質問する。
「陛下……その、娘は魔法の影響で身体の成長が遅く……」
「わかっている。無体なことは決してしない。ただ、妻としてそばに置きたいのだ」
真顔でうなずくサイスだが、真顔でもやっぱり言ってることはおかしい。
母もまた戸惑いながら、私の顔を見た。
「ディアは、それでいいの?」
娘の意志を尊重してくれる、ありがたい両親である。五歳の時、魔物召喚のために成長を止めたいと言ったことさえ、魔法の追求のためならと認めてくれた。
もちろん、魔法使いは長寿だとか、外見年齢を変える魔法使いは意外と多いとか、そういう背景はあるけれど。
私は(仕方なく)うなずく。
「はい。陛下がおのぞみなら、ついていきます」
両親はあまり、魔力が強くない。そのため、私が幻覚の魔法でごまかした二人の手の甲には、気づかなかったようだ。
彼らは以前から、私が使い魔を呼び出す準備をしていたことは知っているので、婚姻の印に気づかれたら何かあったとバレてしまう。
「お二人の育てた大事な娘御、幸せにすると誓う」
サイスにそうダメ押しされ、両親は顔を見合わせてから、頭を下げた。
「娘を、よろしくお願いいたします」
あれよあれよという間に使いが出され、迎えの馬車がやってきた。
馬車に乗り、町の中央広場に到着すると、そこには近衛騎士団の騎士たちがずらり。
彼らに導かれ、町の人々には何事かと注目されながら、私たちは王宮へと向かう。
「お前の母御は、お前をディアと呼んでいたな。呼びやすくていい。俺もディアと呼ぶことにしよう、夫婦らしい」
馬車の中、サイスはのんきに、そんなことを言っている。
「てゆーか、あなた、なんで国王のくせにケッコンしてないの? その年で」
私は、まるで絡むように質問する。
(あれから十六年──サイスは三十三歳。とっくに結婚してるはずの年なのに)
「独身男にその質問はサイテーだな。答える義理もない」
サイスは、先だっての私の台詞を真似して返すだけで、理由を言うつもりはないようだ。
「……グレンドル王国だからまだ、あなたもこんなケッコン、抵抗ないんでしょうね」
私がつぶやくと、サイスも「そうだな」とうなずく。
「他国なら、王侯貴族以外から突然妻を迎えるなど、ありえないものな」
グレンドル王家に生まれる子は、魔力が強い。かつて魔力が強まりすぎて暴走した王族が、国を危機に陥れたことさえある。
そのためグレンドル王家では、血が濃くなりすぎないよう、伴侶は六親等以上離れていなくてはならないという決まりがあり、民間から結婚相手を迎えることも歓迎されていた。ただし、民間出身者が政治に関わることには、きっちり制限が設けられているが。
(そして、王族ではないのに魔力を持つのが、私たち魔法使い)
私は考えを巡らせる。
(歴史をさかのぼれば、先祖は同じなのかもしれないわね)