1 魔王召喚
石造りの塔の中を、風が渦巻いていた。足下の魔法陣から放たれる紫色の光が私を照らし、肩下までの黒髪と黒のローブがはためく。
(ついに……ついにこの日がきた)
こらえきれないクスクス笑いが漏れる。
(魔法陣に力を注ぎ続けてきたこの十年が、報われる日がやってきたのだわ! 魔王ヒュベルムートを私の僕にする日が!)
私は、呪文の最初の一文を高らかに詠唱した。
「わが名はディアイラ、まおう・ふべるむーとを召喚しゅる!」
──十年、と言いつつ、私の姿はどう見ても、四、五歳程度の幼女である。言いにくい言葉はフツーに、噛む。
これには訳があるので、陣が発動するまでの時間を利用して、一応さらっと説明させてもらいたい。
私には、前世の記憶がある。
前世の私は、このグレンドル王国でそれなりの地位も名誉も手にし、そこそこワガママ放題できた方だと思う。
前世自慢なんて、過去の栄光にもほどがあるので、さすがに恥ずかしい……なので詳しい説明は省く。とにかく、元々魔力が高かったところに加えて学問が好きだったので、魔法研究の第一人者と言われるまでに上り詰めたものだ。
しかし、上に立つ私には、敵も多かった。
結局、天寿を全うすることなく若くして暗殺され、一生を終えた。
魔力が強かったせいなのか何なのか、私は前世の記憶を持ったまま転生した。
生まれたのはグレンドル王国の王都郊外、古書や絵画の修復を生業とする魔法使いの家だった。裕福ではないけれど貧しくもない家で、身分的な制約も特にない。
それはいいのだけれど、またもや赤子からのスタートだ。めちゃくちゃもどかしかったし、しかも今世では前世より魔力が弱かった。
(くっ。今世では地位に縛られずにワガママしてやろうと思ったら、魔力、この程度か。成長した後もあまり期待できないかも……)
そして、私は思った。
ワガママ放題するためには、私の魔力を補う存在が必要だと。
(そうだ。強力な魔物を召喚して、僕にすればいい。今から準備すればイケる!)
そこで、私は五歳になるとすぐに、王都中央教会の古文書館に忍び込んだ。前世で権力者だった私は、とある禁書がここに保管されていることを知っていたのだ。
首尾良く禁書を盗み出した私は、秘密のアジト──いつも過ごしている森の遺跡を、私はそう呼んでいた──でその本を開いた。古代魔法語で書かれているが、私は辞書を作れるくらい詳しい(というか、前世の私は古代魔法語辞書の改訂に関わっており、辞書は魔法使い必携の書となっている)。
古文書を隅々まで読んだ私は、目を輝かせた。
(すごい。神代の時代の物語に出てくる著名な魔物を呼び出す方法が書かれてる。魔王クラスもだ。これはこっちも、気合い入れてかからなきゃ!)
『魔王』というのは政治的な意味の王ではなくて、他の魔物を魔力で従える力を持つ魔物のことを指す。つまりそれだけ、強大な魔力を持っているわけだ。
とはいえ、それも大昔の話で、今の時代には魔王など存在しない。だからこそ、召喚して従えることに価値がある。
遺跡の塔の中、石の床に、私は自分の血を混ぜたインクを使って魔法陣を描いた。私の瞳と同じ、紫色の魔法陣だ。
そして十年間、毎日のようにここに通って、魔力を少しずつ注ぎ込んだ。
私が幼女の姿なのは、強力な魔物と契約するために、成長する力さえも魔法陣に注いでいたからである。
実際は今、私は十五歳だ。
以上、さらっとした説明、終わり。
目の前の魔法陣には魔力が満ちあふれ、時折、白い光がパシッパシッと走り始めた。
(あぁ、ワクワクする。ようやく、ワガママに好き放題に生きられる暮らしが始まるんだわ!)
胸の高鳴りを感じながら、私はサッと右手を掲げた。
「いでよ、ふべるむーと! われはなんじと契約をむしゅぶことを望むものなり!」
舌足らずだろうが何だろうが、魔力と詠唱者の意志を込めた古代語の呪文は、唱えることに意義がある。
ゴオオ……と地の底から低い音が響き、魔法陣の真ん中に黒いもやが出現した。
もやは次第に、うずくまる人のような形を取り、ゆっくりと起きあがっていく。もやの隙間からチラリと、長い剣、それに頭に生えた金の角が見えた。
(剣を携え、金の角を生やした魔物。伝承の姿の通りね。間違いない、魔王ヒュベルムートだ!)
私はすかさず、契約の呪文を唱え始めた。
「なんじ、ふべるむーと、われとかりそめの婚姻をむしゅぶべし!」
魔物と仮の婚姻関係を結ぶことで、その魔物一族の全てが後ろ盾になり、彼らの力が使えるようになる。普通の人間に置き換えると、夫の実家の権力が使えるようなものだと考えてくれればいい。
誓約の呪文自体、結婚式で唱える誓詞に近かったりする。『死が二人を分かつまで』みたいな、アレだ。
「われのチカラはなんじに、なんじのチカラはわれに。これは、われのイノチはてる時までつづく契約であることを誓約する!」
そして、私は改めて、今世での名前を魔王に告げた。
「わが名はディアイラ!」
『……ディ、アイ、ラ』
もやの中、低い声が私の名を繰り返す。
私は続けた。
「なんじの名、この世における名を、われに示しぇ!」
過去の魔王としての『ヒュベルムート』ではなく、召喚を転生ととらえ、これから使う名前だ。自分で名付けて私に呼ぶ権利を与えることで、私個人との契約になる。
『な、まえ……名前……?』
黒い固まりから、低い声が漏れた。
『俺の、名は……サイス』
(サイス? サイスって……よりによってその名前。皮肉なものね)
ふと、懐かしい男性の面影が脳裏をよぎった。
けれど、そんなものは振り切ってラストスパート。
「ここに、ディアイラとサイスの契約がせーりつしたことを宣言する!」
ぶわっ、と風が渦巻き、塔の中に光が満ちた。
──やがて風と光が収まり、私は目を開けた。
魔法陣の光も消え、そこに溜められていた力は、魔法陣の中央に立つ者にしっかりと絡みついている。もう陣から出ても大丈夫、私のしもべだ。
(よし、成功)
私はニンマリと笑い、名前を呼んだ。
「シャイス」
『サイス』の『サ』はうまく発音できなかったけれど、わかればいいのだ、わかれば。
すると、自分の背後を確かめたり、頭を押さえたりしていたそれは、サッとこちらを振り向いた。
その動きで、何かが転がり落ち、石の床にカツーンと当たって転がる。
頭に生えていたはずの、金の角。
(へっ? 角がもげた……いや……角じゃ、ない?)
私は息を呑む。
輪っかの形で、宝石のはまった、金色のそれは。
(……王冠?)
「ここはどこだ」
私を睨むように見つめながら言ったのは。
灰色の髪に、青い瞳。
鍛えた身体を騎士服に包み、使い込んだ剣を腰に佩いた騎士王。
見間違えようもない。前世でも知っていた、その姿。
グレンドル王国の今上陛下、ルーサイス・オーダル、その人だった。
「っでぇぇぇ!?」
私は思わず声を上げ、後ずさった拍子につまずいて、お尻から転んでしまった。
(なんでこいつがいるのよ!? 私はヒュベルムートを召喚したはず!)
焦りながらも、素早く脳内で魔法陣と呪文の『検算』をする。
(間違ってない、間違ってない! 私が呼び出したのは確かにヒュベルムートだ。そしてきちんと、契約も結ばれて私のしもべになってる!)
サイスはじろりと、私を観察する。
「その格好に、この魔法陣……幼いが、魔女か? いや、魔女の年齢は見ただけではわからんからな。お前、そう、ディアイラ」
さらっと名前が出てくるのは、契約によって私の名前がしっかりと頭に定着している証拠だ。
「俺は王宮にいたはずだ。なぜここにいる」
「こっちがききたいわ! なんであんたがここにいりゅのよ!」
動揺のあまり、敬語を忘れて叫ぶ。床に置いてあった古文書に手が触れ、無意識に手にとって胸に抱きしめた。
「わたしは魔物しょーかんの儀式をしたのに、なんで!」
「お前、その手」
不意にサイスは目を見開き、大きく一歩踏み出して私の前に屈み込んだ。
そして、古文書を持った私の左手を指さす。
「婚姻の印が」
左手の甲に、婚姻の契りを結んだ証である、絡まったツタのような印が現れていた。魔物とかりそめの婚姻をしたのだから当然だ。
そして、サイスはゆっくりと、自分の左手を前に出した。
彼の手の甲にも、同じ印。私と彼の印が近づくと、ふわ、と金色に光る。
サイスは完全に困惑した様子で、眉根を寄せた。
「俺は、お前と、婚姻の契りをしたということか? ……どういうことだ?」
(だからこっちが聞きたいってば!)
私は心の中で、全力で叫んだ。