草むしり
有人からたっぷりと『一般人の心得』を説かれてようやく琥珀は解放された。五限目が始まる時間まで十分程度の余裕はあった。
渡り廊下を歩いていてふと中庭に目をやれば、隅にしゃがみ込む用務員の姿が見えた。その傍らには引き抜かれた雑草の山。周囲には誰もいなかった。
「当番の人は帰ったんですか?」
驚いて思わず声を掛ける。ぺんぺん草を掴んだ状態のまま用務員は顔だけこちらに向けた。
琥珀は自分の頬が強張るのを感じた。
歳は三十前後だろう。成人男性にしては小柄な体躯。しかし弱々しい印象はなく、捲り上げた袖から引き締まった腕が覗いている。被っている帽子が陰になってどんな表情を浮かべているかはわからない。
秋霜高校の校舎および敷地内の管理を担当している用務員の一人だ。名前は田中だったかと。
決して嫌いというわけではないのだが、琥珀はこの用務員だけは苦手だった。理由は本当にしょうもないことなので、誰にも同情されないが。
「いない」
田中は端的に答えて作業を再開した。
不在。帰ったのではない。つまり最初から当番は来ていないということ。その意味を読み取った琥珀は頭を抱えた。田中の素っ気ない態度に、ではない。中庭の清掃当番をサボった連中に対してだ。
「先週もすっぽかされてましたよね?」
田中は答えなかった。当番がサボろうとまるで頓着せずに黙々と一人草むしりを続けている。
全寮制高校ゆえに管理人や用務員の大半が住み込みだ。とはいえ、広大な敷地内の管理を用務員数名で担うのは難しい。だからこそ各寮の清掃当番や美化委員会の庭整備当番があるのだ。
誰もーー特に教師がいないことを確認してから、琥珀は上履きを履いたまま中庭に出た。花壇の縁の上を歩いて雑草が生い茂る箇所までたどり着く。しゃがんで草むしりを始める。
「制服が汚れる」
「スカートは気をつけてます」
「授業に遅れる」
「そうですね。あと五分。残りは放課後やりますので勘弁してください」
なかなか根が深い。力を込めて雑草を引き抜き、かつ鑑賞花を誤って抜かないように注意する。前世で神殿の下働きをしていたので、こういった雑用は得意だった。
突っぱねるのも面倒だと判断したのか、田中も黙々と作業を続けた。
予鈴が鳴ったところで作業をやめた。
「すみません。放課後にまた来ます」
田中は一瞥をしただけで何も言わなかった。感謝も歓迎もしていないだろうが「来るな」とも言われなかったので、少なくとも迷惑ではないのだろう。勝手に判断して放課後の予定に『草むしり』を入れた。
琥珀は急いで水場で手を洗い、それから教室に戻った。五限目は英語だ。担当教師の望月影臣は遅刻と課題忘れには厳しい。今回、課題はないので本鈴が鳴る前に教室にいれば問題はない、がーー
もぬけの殻となった教室を目のあたりにして、琥珀は固まった。すこぶる嫌な予感がして黒板を見ると、連絡事項欄に『五限目は視聴覚室』と書かれていた。
「嘘でしょう!?」