覚悟
コルネは十二の時に母の元を離れた。
アミィと出会って半年後のことだった。いよいよ容体が悪化した母を養うためにコルネは働き口を探していた。職ならいくらでもある。しかし二人分の生活費となると女の身で稼ぐのは不可能に近い。せめて自分が男であれば、と思わずにいられなかった。話せなくとも文官になるという道があっただろうに。
アミィから至聖神殿の下働きを勧められたのは、そんな折だった。例のワガママ神獣のせいもあり、とにかく人手が足りないらしい。
給金は決して高くない。しかし住み込みなので生活には困らない。稼いだ金を全て母に送金すればいい。
コルネの住む街と至聖神殿はそう遠くもなかった。朝から一日歩けば夕暮れには着く距離だ。
悪くない、とコルネは思った。殿方を楽しませる柔和な語り口も、夢中にさせる美貌もない自分は、母とは違って女としての価値はまるでない。娼婦になったところで稼げる額なんてたかが知れている。
アミィに手紙を送り、それから母に報告した。予想していたのだろう。母は大して驚きもせず「そう」とだけ呟いた。
出立する前夜、コルネは母の寝室に呼ばれた。
痩せ細った母はそれでも美しかった。儚げで今にも消えそうな脆い美しさだった。
「コルネ」
寝台から身を起した母は、金の指輪を差し出した。家紋の印を押すための指輪だ。権門勢家の当主かそれに準ずる者しか持たないはずの物だった。
「あなたの、父のものよ」
母は自嘲気味に「アルトの父親は本当にわからないの」と告白した。でも最初の子ーーコルネの父を母は知っていたのだ。
「持っていきなさい。でも決して誰にも見せてはいけない。何故見せては駄目なのかがわかるまでは、隠しておきなさい」
指輪をまじまじと見つめるコルネの肩に母は手を置いた。
「コルネ、あなたは女よ。恋や愛に生きるのもいいでしょう。権力者に頭を垂れて、唯々諾々と従えば苦悩もない。アニス教徒になって神殿の庇護の元で暮らすのならきっと穏やかな一生を送ることができる。でも、自分の意志を貫きたいのなら、他はあきらめなさい」
母の笑みに凄みが宿る。美しくて恐ろしい微笑だった。
「この世界は残酷よ。いと高き天の神、アニスは人の声なんて耳に入れない。祈りも、慟哭も、届かない。それでも自分の力で生きていくことを選ぶのなら、困難を覚悟して貫きなさい」
コルネは指輪を握りしめた。そうでもしなければ呑まれそうだった。
「泣いたり悲しみに暮れている暇はないはずよ」
それが今生で母に会った最後だった。