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行きはよいよい帰りは怖い

 コルネの読み通り、山には誰もいなかった。参拝をする昼間はおそらくいたのだろうが、寝ずの番をするほどではない。神獣の降誕地といえど、信仰心のない街のだとこの程度の扱いだ。

 道すがら、アミィは自分自身のことを語った。

 クラスター家は代々聖職者を輩出している家だ。末の娘のアミィが修道女として神殿に入るのは当然のなりゆゆき。適性があったのだろう。戒律に縛られた忙しい暮らしもアミィにとって大して苦にはならない。彼女の目下の目標は立派な聖女になること。同じ時期に神殿に入った兄と共に研鑽を重ねているという。

「兄は昨年、助祭として認められて……今は神獣の世話役の一人」

 十五という年齢を考えれば異例の抜擢だ。兄妹揃って優秀。しかしアミィの表情は暗がりでもわかるほど落ち込んでいた。

「でも、当代の神獣はとても気難しいの」

 アミィはため息をついた。

「魚を食べたがらない。根菜も嫌い。少しでも音を立てると威嚇する。それだけならまだいいけど、時には敵と勘違いして襲いかかってくるものだから、毎日の掃除と供物運びも命懸け。今年に入ってもう三人噛み殺されたわ」

 至聖神アニスからレギア〈恩寵〉を賜った獣を『神獣』と呼ぶ。当代の神獣は獅子の姿によく似ているという。神獣は普段は至聖神殿の奥深くに棲んでいる。その世話と管理をするのはアニス教徒の使命だ。見返りとして神獣は有事の際にあらゆる敵を討ち、王国を守る牙になる。レギアをその身に宿した神獣は次代の神獣が生まれるまで、老いることも死ぬこともない。最強の生物兵器と呼ばれる所以だった。

 とはいえ、神といえどもやはり獣。人間の都合なぞ細かくは汲んではくれない。アニス教徒だろうと餌やり、もとい御食事を運ぶ当番の者だろうと邪教徒だろうと同じ人間の一括りで事足りる。獣に人間の個体識別をしろと求める方が無理だ。

「他の修道士達も下働き……は仕方ないとして、司教でさえも神獣を恐れて近づかなくなったわ」

 嘆かわしいと言わんばかりにアミィは額に手を当てた。

「おかげで至聖神殿は人手不足になるし、神獣の偏食はますます酷くなる一方」

 悪循環だ。かといって恐れ多くも神獣様に態度を改めさせるわけにもいかない。人間側がどうにかするしかないのだ。

「今回の巡礼はそういう意味でも大切なものなの。聖地で祈りを捧げれば、アニス様が何かお知恵を授けてくださるかもしれないわ」

 獣の飼い慣らし方を懇切丁寧に教えてくれる神なんているのだろうか、とコルネは思ったが指摘しなかった。余計なことを言わずに済むのは喋れない利点だ。

 念のため参拝道を避けて、獣道をのぼる。滅多に見かけないが猪や狼がいるとのことだったので、灯りの他にすぐに燃やせるよう松明も用意した。獣は火を恐れる。怯ませれば逃げる隙も稼げるだろう。

 警戒したおかげか獣に遭遇することもなく、立ち入り禁止区域までたどり着いた。

「ありがとう。ここから先は一人で行くわ」

 聖所は少し奥、ここからでも見える場所にある。コルネは立ち入り禁止の立て札のそばで待つことにした。

 アミィが熱心に祈りを捧げている様子を見守ることしばし、独特の香りに視線を上げれば、アコルの木が小さな花を咲かせていた。どこか優しく甘い香りは、コルネの母が好んでよくつけている香油と同じだった。

 コルネは細い枝の一つを手折った。伏せがちな母へのささやかな手土産だった。枝を懐に入れたその時ーー地を震わすほどの咆哮が轟いた。

「…………え?」

 アミィの口から間の抜けた声が漏れた。立ち上がって周囲を見渡す。

「な、なに……」

 コルネは境界線を超えた。聖域に踏み入り、呆然とするアミィの手を掴んだ。何が起きたのかはわからない。ただ嫌な予感がした。

「何なの? 狼?」

 違う。狼の遠吠えは何度も聞いている。こんな腹の底から響くような声ではない。アミィの手を引いて、コルネは参道を走った。ふもとを目指して一目散に。

 荒い息と唸り声が追いかけてくる。背中に感じる獰猛な気配はどんどん近づいている気がした。立ち止まったら終わるーー喰われる。恐怖もあってコルネはひたすら走った。

 街の灯りが近づいてきた。だから油断したのかもしれない。小さな悲鳴をあげてアミィが転倒。つないでいた手が離れた。木の根に足を取られたのだ。

「に、逃げて!」

 コルネに向かってとっさに叫ぶ。アミィの背中目掛けて熊の爪がきらめくのをコルネは見た。

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