用務員の田中さん
『用務室』は校舎の西側に位置する二階建ての小屋だ。一階は共同の事務所スペース。二階はいわゆる居住スペースで、住み込みの用務員達の個人部屋が四つほどある、らしい。生徒が足を踏み入れるのは一階までなので詳しいことはわからない。
田中が案内したのも一階の事務室だった。内密の話をするので人の出入りがない部屋が望ましいのだが「生徒と密室で二人きりだとあらぬ誤解を招く」とのことで却下された。
有人よりも強い警戒心を見せた田中は、琥珀を椅子に座らせると奥の給湯室から茶を持って来た。急須で淹れた緑茶を琥珀に差し出し、向かいに腰を下ろす。
「何があった」
聴く姿勢はありがたいが、何から話せばいいものか。
「その前につかぬことを伺いますが」琥珀は慎重に切り出した「以前にお会いしたこと、ありました?」
「毎日朝と夕に挨拶している」
「そういう意味ではなく。もっと前、たとえば生まれる、前とか……」
田中の顔が険しさを増すにつれて、琥珀の声は小さくなる。やはり勘違いか。いくら尋常ならざる威圧感を持っていてもただの用務員に過ぎないのか。
「いや、すみません。変なことを言いました。忘れて」
「記憶が戻ったのか」
「へ?」
「どこまで覚えている。前世のことは? お前を殺したのはーー」
身を乗り出してまくし立てる田中。が、琥珀が竦んだのを見て、何かを察したようだ。席について決まり悪げに首に手を当てた。
琥珀は両の手を胸のあたりで握った。まさかのビンゴだ。
「会っていたんですね、前世に」
田中はこちらを一瞥。しばらくの沈黙の後、小さく頷いた。渋々といった様子だった。
「……もしかして、あまり思い出したくないことでした?」
「その様子だと、覚えていないようだな」
つまり前世に面識があったということ。そして田中は覚えているが、琥珀は忘れてしまっている。
「すみません。処刑される間際のこととか記憶があやふやになっていまして。田中さんのことも忘れてしまっているようです」
「違う」
田中は眉をしかめた。
「忘れたんじゃない。最初から覚えていないんだ」
言葉遊びのような物言いに琥珀は首を傾げた。
「それはどういう意味ですか」
「お前は俺のことなんざ歯牙にも掛けていなかった」
琥珀は口を噤んだ。田中のような強烈な個性の持ち主に気づかないとは考えにくいが、現に自分は何も思い出せない。
「すみません」
「謝罪も聞き飽きた。そう安易に自分を否定するな」
「す、すみま」
せん、という言葉は田中に睨まれて喉の奥に引っ込んだ。言われたそばから謝っている。
「お前は覚えていないだろうが」
田中は深く息を吐いた。
「俺は憶えている。お前が神殿で聖女や神官達の世話をしていたことも、ことのほか弟を大切にしていることも」
視線を手元の湯飲みに落とした。しかしそれもわずかのこと。感傷を振り払うように顔を上げ、まっすぐにこちらを見据える。
「何を知りたい? 可能な限り答えてやる」
ただし、と田中は釘を刺した。
「高くつくぞ」
「た、たかく?」
琥珀は素っ頓狂な声をあげた。
「当たり前だろうが。まさかタダで教えてやるとでも? 俺を置いて勝手に死んだ奴のために?」