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#07

 半日後。マクシムとは惑星探査機構のバエル支部で待ち合わせることになった。新国連の直属組織である支部の中にアイシャが入ることは出来ないので、マクシムが終わるまではカフェスペースで適当に時間を潰していた。足元でぺろぺろとミルクを舐めるジュディがみゃあ、と不満げな声を上げる。



 ほどなくしてマクシムはやってきた。カフェスペースのアイシャの目の前の席に座ると、店員に月面コーヒーのエスプレッソのダブルを注文し、顔の前で手を組んだ。



「で、今度はどういう用なんだ?」

「ちょっとね。あなたに相談があるのよ」アイシャはもったいぶって、「実は、うちの船では抱えきれない猫がいてね。マクシム、あなたに譲ろうかと思っているの」

「猫を? おれに?」

「そう。けど、ちょっと特殊な事情があってね。身体がないのよ」



 マクシムは片方の眉を吊り上げた。



「なるほど。おれに、その猫の身体を作れというんだな」

「あなた、水星に行くんでしょう? だから、その環境に耐えられるような、猫のボディを作ってあげてほしいのよ。もちろん、費用は負担する。それに、その猫はとっても優秀だから、きっとあなたの役にも立つと思うわ」

「優秀?」

「あまり大きな声じゃ言えないけどね――量子生命体なのよ。たまたま、わたしのコンピュータの中に紛れ込んだところを捕まえたの」

「ほう?」



 電脳技師でこの言葉に喰いつかない者はいない。アイシャの読みは正しかった。マクシムは、それまでとは明らかに前のめりになって、こちらの話に喰いついてきた。



「うちの量子コンピュータの中に間借りさせてるわ。一部のデータを、あなたの作った身体に乗せて、仕事を好きに手伝わせていいから。基本動作コードは既に作成済み。これを乗せられる身体、あなたなら簡単に作れると思って」



 アイシャはポケットから取り出したメモリー・チップをマクシムに手渡した。彼は機械でごてごてした左腕の手首の辺りにそれを差し込むと、浮かび上がったホロ・ウィンドウをしげしげと眺めていた。



「なるほど。これを組み込んだボディを作ればいいんだな」

「そう。おおよそ、あなたにとって都合のよいボディでいいわよ。猫の形を保っていれば、あなたの仕事の役に立つ機能をいくつかつけても構わない。費用は請求してくれれば、いくらでも出すから――限度はあるけどね」

「とんでもない。分かった、すぐ設計に取り掛かるよ。水星に行く前に、いい相棒を連れて行けそうで良かったぜ」



 マクシムは見るからに上機嫌だった。よほど、猫たちが気に入ったのだろうか。

 彼はエスプレッソを急いで飲みほしながら、アイシャと設計プランについて、ああでもない、こうでもないと一時間近く議論を交わした。



「それで、その猫っていうのは、どこにいるんだ?」

「一部だけなら、ここに居るわ」



 アイシャはポケットの中に入れていた防壁迷路を取り出し、マクシムに手渡した。タブレットに接続すると、浮かび上がったホロの『先生』が、マクシムのことをじろじろと舐めるように見た。



『随分、歪な身体をした人間だな』

「なんだ。喋るのか」

「渡したソフトで翻訳無効化が設定できるわ。喋らせようと思えば喋れるけど」



『先生』は、アイシャのことを振り返った。



『この男が吾輩の身体を用意してくれるのか?』

「ええ。優秀な電脳技師よ。彼についていけば、きっと退屈しないと思うわ。新しい身体も用意してくれるっていうし」

『分かった。ありがとう、アイシャ』

「気が向いたらいつでもうちのコンピュータに戻って来てもいいからね。ただ、ジュディたちの脳をトラッキングするのはナシよ」



 ホロは消えた。マクシムはしばらく目をぱちくりとさせていたが、やがてふうむ、と顎を手で撫でた。



「不思議なこともあるもんだなあ」



 みゃあ、とジュディが鳴いた。








 マクシムと別れ、アイシャたちはフレイヤ号へと戻ってきた。そこでは元通りの元気なクルーたちがアイシャを迎えてくれた。そのことにアイシャは安心したし、落ち着きを感じた。



 量子コンピュータを覗いてみる。『先生』のために設えた領域は、そのまま残してある。いまはもぬけの殻だが、その内マクシムの仕事に飽きたら遊びに来ることもあるかもしれない。



 メインブリッヂに行くと、クルーたちはアイシャの足元に擦り寄ってくる。それぞれの身体を手で撫でてやると、みんな、喉を鳴らしてごろごろと甘えてきた。



「クローンだろうが、オリジナルだろうが、関係ないわ。あなた達はわたしにとって無二の仲間たちよ。みんな、それぞれに名前があって、個性がある。これからもよろしくね、みんな」



 アイシャはクルーたちの無事を確かめると、なおさらに安心した。



「さあ、みんな。出航の準備をするわよ」アイシャが手を叩くと、誰ともなくブリッヂへ集合してくる。「メルク、ラン、これから月に向かうわ。受け入れ態勢の整っているターミナルを検索して教えてちょうだい。マル、ディマン、ヴァン、サム。あなた達は船のスタンバイと、最終メンテナンスをして。三時間後にはバエルを出るわよ」



 それぞれに鳴き声を上げて、船内のあちこちへと散らばっていく。その足音が、船内のどこからか響いてくるのが感じられた。



「わたしは出航の手続きをするわ。ジュディ、ついてらっしゃい」



 にゃあ、と鳴いて肩に駆け上るジュディの重みを感じながら、船の扉を開けて外に出た。



『なかなかいい船ではないか』



 アイシャの脳内に『先生』の声が響いた。船内コンピュータをトラッキングし、通信を行っているらしい。ジュディにもその声は聞こえているらしく、驚いて肩から飛び降りた。



「もう戻ってきたの?」

『吾輩は、量子で構成された存在だ。あの男のもとにいるのも吾輩だが、それと同時にこうしてこの船にも存在しうる。なに、量子コンピュータの中に寝床を設けてもらっているのだから、無理やり姉妹たちや君の脳に入り込むことはしない。吾輩も窮屈なのはごめんだからな』



 ジュディは不満そうに尻尾をばたつかせている。



『拾ってもらった恩も、姉妹たちのこともある。アイシャ、吾輩の助けが必要なら、いつでも呼んでくれるといい。吾輩はいつでも、あの船の中にいるのと変わらない』

「でも、マクシムの仕事の方もおろそかにしちゃだめよ。彼、とっても喜んでいたから」

『心配はいらない。では、吾輩はひと眠りするとしよう。身体が完成するまで、まだ時間がかかるようだしな』



 通信は切れた。なんて気まぐれな猫なんだろう、とアイシャは呆れたが、その自由さに少し、憧れを抱かないでもなかった。アイシャは足元でふてくされているジュディを抱え上げ、



「だいじょうぶ。お前の毛はとっても綺麗で、触り心地も最高なんだから」



 すると、ようやくジュディは顔をくしゃっと歪ませ、笑うような欠伸をした。


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