#06
「はい、みなさん、いいですか」
七人全員を整列させ、アイシャはごほん、ごほんと強めの咳払いをした。
「この中にひとり、いや、もしかしたらふたり以上かもしれないけれど、この〈フレイヤ号〉の船長であるわたしに、こんな、たちの悪いいたずらをした人がいます。怒りませんから、正直に名乗り出なさい。誰ですか、これをやったのは?」
みんな首をかしげていた。知らんぷりをしているのだ。
「確かにこの船内のどこかから、わたしにこんな文字化けだらけのメッセージを送りつけている人がいます。わたしの量子コンピュータをトラックして、地球・火星・月だけでなく、わざわざロノヴェ・ブロックのサーバーなどを経由して、巧妙に、情報をかく乱しています。かなりの手の込みようです。この船のコンピュータの固有通信ノイズが観測されたので、フレイヤ号の中の誰かがやったことだということは分かっています。誰ですか、いったい? 怒らないので、正直に名乗り出てください。さもないと、あなた達の脳をぜんぶ一から検証しなおす羽目になるわ。最悪、人格抹消をする必要があるかもしれない、それほど深く感染が認められるというのならね」
と、軽く脅しもかけてみる。このクルーたちがアイシャの言うことを理解できていないということはあり得ない。彼女たちの方から言葉を発することはないとはいえ、アイシャが一体どういうことを伝えたがっているのかくらいは伝わるはずだ。しかし、これだけ言っても、彼女たちはだんまりを決め込んでいる。むしろ、お前は何を言っているんだ、とでもいう態度だ。ほんとうに身に覚えがないらしい。
その時、またメッセージを受信した。
sit scriptor loqui.
その時、文面を解読するよりも先に、アイシャの目の前で閃光が散った。密かに仕込んでいた暗号が発動したのだ。次に送信元不明のメッセージを受信したとき、受信すると同時に、送信者に対して攻撃を行うように設定してある。暗号のパスを辿ると、様々なサーバーを経由して、確かにこの船内で途切れている。非常に迂遠で、かつ、巧妙なルートを構築している。電脳技師のアイシャも舌を巻いた。ここまでくるともはや暗号屋か何かの手口だ。さらに検証を重ねていくと、今回の犯人が明らかになった。
「サム!」
赤褐色の瞳が見開かれた。まだ、知らん顔を決め込むつもりらしい。
「サム。これを見なさい」アイシャは努めて優しい声色で、「これ。あなたがわたしに、いろんなサーバーを経由して、いたずらみたいなメッセージを送りつけているの。正直に答えてほしいのだけれど、あなた、これをした自覚はある?」
サムは何も答えない。興味深そうに、目の前に表示されたメッセージを眺めている。
「あなたじゃないのね?」
アイシャはなんとなく、そうだろうと思っていたので特に驚きもしなかった。
その時だった。サムが、大きく欠伸をして、その場に蹲るように丸まってしまった。また、ジュディやヴァンと同じように、そのまま動かなくなってしまったのだ。他の六人はそれを心配そうに見ていて、サムのことを前脚で小突いたり、額でぐいぐいと押したりしていた。
「心配いらないよ、みんな。ちょっと離れていなさい」
アイシャは白衣のポケットから黒い箱型のデバイスを取り出し、サムの首の後ろのシリコンチップにプラグを差し込んだ。そして、もう一つのプラグをタブレット端末に挿入した。そして、タブレット端末の音声コントロールをアクティブに設定。黒い箱型の防壁迷路デバイスがうなりを上げ、激しく光を点滅させた。
「これで、ちゃんとお話しできるんじゃないかしら」
ぶぶっ、ぢぢ、ぶつっ。
いくつかの細切れのノイズの後、タブレットの中から何らかの声が聞こえてきた。
『狭いな』
企業などの通話ガイダンスに用いられる、フリー素材の女性の声だった。機械的で、しかし、聴く者の意識を引くような艶っぽさのある声だ。そう言う風に調整された、理想的な女性の声なのだ。
『こんなところに吾輩を閉じ込めるとは、君は、ずいぶんと失礼だな』
「あら、ごめんなさいね。防壁迷路の構築は、自分で凝っておきたい主義なの」
『早く吾輩をここから出したまえ』
妙に不遜な態度で喋る侵入者に、眠ったままのサムを覗いた六人のクルーは、警戒心もあらわにじとっとタブレット端末を睨みつけていた。
「あなたは誰?」
『吾輩に名前はない。そこな姉妹たちと同様にな。だが、人間たちは吾輩のことを「先生」という名前で呼んでいたし、吾輩もそれを受けて入れていた』
「そう、じゃあ、あなたのことは『先生』とか呼べばいいわね」
特に反応もなかったので、アイシャはその呼び方を続けることにした。
「ねえ、『先生』、これまであなたはわたしの大切なクルーたちの電脳を経由して、なにか私にメッセージを伝えようとしていたのよね? けれど、電脳化し、高度な処理能力を得ていたとはいえ、彼女たちはそれでも猫よ。『先生』、あなたという高度な情報が割り込んだことによって処理能力が追い付かず、脳の活動を休眠させ、普段は活用されない別の領域を経由せざるを得なかった。それが、サイボーグ猫の夢の正体。ここまでわたしが言っていることを理解しているという前提で話すけれど、この予想は合っているかしら?」
『概ね君の言うとおりだ。吾輩の情報量は、いつの間にか、姉妹たちの処理能力を大幅に超えてしまっていたようだ。それがボトルネックになって、君のもつ端末、あるいは君自身の電脳、船内コンピュータに侵入するのも、大変な時間を要した。何度か接続を試みたんだがね』
「わたしはアイシャ・リェ。あなたの妹たちと共に、気ままに宇宙を漂う電脳技師よ」
むにゃむにゃとつぶやき続ける『先生』に、アイシャは問いかける。
「あなたは何者? 目的はいったい何?」
『先生』は溜息をつきながら言った。
『吾輩はずいぶん前に肉体を失った。ありていに言えば死んだのだ。しかし、残された電子情報を再構築し、量子で構成された生命体もどきとなってデータの中を漂い続けている。自我を取り戻したのも、つい最近のことなのだ。わずかな記憶と手がかりを探っていく中で、吾輩は、自分自身の細胞から培養された姉妹が七匹もいるということを知った』
「つまりあなたが、ジュディたちのオリジナルということね?」
『君の居所を探るのには途方もない時間がかかったよ。だが、見つけ出した。ところが、量子で構成された情報生命体となった吾輩がコンタクトするためには、更に膨大な時間がかかった。吾輩の姉妹たちは優秀だな。こっそりと忍び込もうとしても、すぐさまバグやウィルスとして排斥されてしまうのだから。そこで、ゆっくりと時間をかけて、吾輩の言語基系を姉妹たちへとゆっくり、ゆっくりと同期させていった』
「言語基系? あなたは未知の言語体系を習得しているというの?」
『量子の波に乗れば、太陽の重力圏から抜け出すことなど容易いのだよ。そこで、吾輩は様々な者たちとコンタクトを取り、交流を深めていった。君たちの処理能力では認識すらできないような者たちとね。彼らの用いる言語は――、いや、言語という狭い知見に当てはめてよいものか。挨拶に当たるようなひとつのアクションでさえ、フルオーケストラの生演奏のように重厚で、多層的、そして芸術的だ。それをたかが、言語というフォーマットに当てはめようとすると、どうにも、ニュアンスがぼけてしまってね』
「あのメッセージの文字化けは、そういうことだったのね」
たかだか猫如きにそこまで言われるとは、アイシャはかちんとしたが、なにも言い返せない事実なのでその苛立ちは呑み込んだ。
『それを既存の人類言語へとフォーマットしていくのは、随分時間がかかったよ。だが、やり遂げた。それでもいくらかの試行錯誤を重ねたがね、君と、吾輩の姉妹たちが優秀な暗号技術を持っていて助かった。そうしなければ、あと数十年はこの量子の奔流に取り残されたままだったろうからね』
「これからどうするつもりなの?」
『吾輩は量子の航海に満足している。だが、久方ぶりに、身体という制約を持ちたくなったのだ。ほんの気まぐれだよ。かつては身体を持ち、重力によって地上に縛られていた身でね。だが、その枷から解放され、真に自由な環境を手に入れると、吾輩は思ったほど自由な存在ではないことが分かった。ここは膨大で、どこへでも一瞬で行くことができる。観たいものを見て、その先で思いがけないものに出会うこともある。だが、それゆえに窮屈で狭い。無限に広がりを持つこの世界では、何というのだろう。生き甲斐がない。もう一度、現実での身体を獲得したくなったのだ。その時、ネットワークの中に、吾輩の姉妹たちの存在を見つけ、吾輩はそれを縁に、基底現実への再コンタクトを試みた』
「だけど、あなたほどの容量を受け入れるだけのものなんて、それこそ、船の量子コンピュータくらいしかないわ。わたしの電脳はもちろん、クルーたちの活動に影響が出ることもわたしにとっては不本意なこと、船長として容認できない。ある程度の制約を設けたうえで、自律的に活動できる新しいハードを設ける必要がある。それまで、うちのコンピュータの中に間借りさせておくくらいなら構わないけれど」
『ふむ。では、そうするとしよう。アイシャ、手伝ってくれるかい』
「もちろん」このままここに居座られているのも不本意だ。
アイシャは『先生』と言葉を交わしながら、いくつかのデータを送受しあい、今後の動向について相談した。それには、『先生』のクローンであるクルーたちの存在が大いに役にたった。『先生』の吐き出す未知の概念や言語を、それらしく翻訳してアイシャへと流してくれる。猫には、猫どうしに使う言語や概念を越えたコミュニケーション手段があるということだ。
アイシャの予想通り、『先生』の保有する情報量はかなり膨大で、クルーひとり分の脳を酷使する以外にも、複数のリソースを経由してようやく音声情報を出力するのがやっとと言った風だった。『先生』の身体を構成する要素の半分以上はアイシャにとっても理解不能なものだった。未知の言語基系、それをプログラム言語にフォーマットすると、一見整ってはいるが、グロテスクな文字列のパターンを示し、見れば見るほど不安な気持ちになってくる。
アイシャは『先生』を捉えた防壁迷路と、船内コンピュータを接続し、彼女のための仮の滞在区域を構築した。膨大な要領を割いたものの、動作に影響が出るほどではなさそうだ。彼女が移動すると同時に、サムの脳の負担も解放され、クルーは七人全員が元通り元気な状態になった。
すると、船内ホロ投影機が勝手に起動し、一匹の猫の像を結んだ。それは、ジュディやサム、メルクたちと寸分たがわず同じ――彼女たち七人の猫のオリジナルである、『先生』の姿と思われた。黒毛に、赤を帯びた金色の瞳が、姉妹たちを興味深そうにじろじろと眺める。七人のクルーはそれを、ちょっとした畏れを持って、にゃーにゃーと鳴いた。
『君は?』と、ジュディに目を留めて『先生』が言った。『君は吾輩や、他の姉妹たちとは似ても似つかないな。青い毛並みに赤い瞳、ふむ、ちょっと失礼』
すると、一瞬ジュディの全身の毛が静電気を帯びたように逆立った。
『なるほど、そうか。突然変異、遺伝子異常でそんな風になっているのか。奇妙なこともあるな、クローンによる増殖でも個体の差が生まれ得るのか』
ジュディは毅然とした態度で『先生』と向かい合っている。その様子は他の六人は『先生』とは少し距離を置いているのとは対照的だった。
「ともかく、まずは、あなたの新しい身体を用意するところから始めることになりそうね」とアイシャは話を仕切りなおす。「いつまでもホロのままじゃ、あなたも真の意味で自由になったとは言えないのでしょう? それまでずっとここに居座られるのも面倒だし」
『そうしてくれると助かるね』
新しい身体。義体や、動物の身体を模したロボットで良ければ、アイシャでもすぐに用意できる。生体細胞を用いたものとなると、然るべき機関なり、研究施設なりへ正式なオファーをしなければいけない。無断での生物の鋳造、及びクローンの作成は、宇宙国際法へ触れるためである。恐らく、やろうと思えばできないことはないが、その場合アイシャは文字通り銀河の果てまで追い回される犯罪者になる。もしくは、ネットを経由して脳神経を焼き切られることになるかもしれない。アイシャはまだ長生きがしたかったし、電脳軍隊から逃げ回るスリリングな経験は願い下げだった。
「そうだ、」とアイシャの脳裏に、素敵なアイディアが閃いた。「メルク。マクシムと連絡を取ってくれないかしら?」