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#04

 あくる日、船内の仮眠室で目を覚ましたアイシャは、コンピュータがうんうんと音を立てて処理していたデータ送信が既に完了し、地上から受領完了のメッセージが届いているのを確認した。アイシャはメッセージ送信ウィンドウを広げ、顔見知りのマクシムを呼び出した。



 ほどなくしてマクシムはフレイヤへやってきた。マクシムは、アイシャがダイモン宇宙通信社に籍を置いていたころからの付き合いで、宇宙狭しと便利屋を営む電脳技師だった。彼は左腕のクロームシルバーの義腕と、顔の左半分を覆いつくす機械をつけた、前時代的どころか前世紀的な風貌の、いかにもと言ったサイボーグだった。作業着のジーンズの下から聞こえるモーターの細やか、かつ軋むような音と、腰に巻き付けたウェストポーチからのぞく工具の数々は、どれも彼のいかつさと、巨大な体躯に似合っていた。アイシャの横に立つと、ちょうど彼の肋骨のあたりにアイシャの目線が来るほどだ。



「久し振りね、ミスター。また身体がふた回りくらい、大きくなったんじゃない?」

「体重が五十キロも増えちまった」機械ノイズ混じりの太い声に似合わず、右の指でぽりぽりと頬をかく仕草は妙に愛嬌があった。「あちこち飛び回ってると、その都度身体を改造しないといけなくてよ。実は近いうちに水星に行くことになりそうでな」

「第七次水星調査団? あそこのメンバーだったのね」

「耐重力・耐紫外線に対応するための施術を段階的にしてるところでな。最新の流体金属コーティングと、珪素系外殻の移植。フリーランスってのも楽じゃない、会社に属してれば、こういうの経費で落としてくれるんだがな。で、今日はどういったご用件だ、キャプテン?」

「ちょっと量子コンピュータの調子が悪いみたいなの。見てくれない?」



 アイシャは文字化けしたメッセージのこと、バエルへの通信の際に生じたというノイズのことなどをマクシムに話した。彼はゆっくりとした動作で船内に入り込むと、堂々とコンピュータ・ルームに侵入した。クルーたちは驚いて跳び起き、皆がマクシムのことを物珍しそうな、警戒の眼差しで見つめていた。



 マクシムは左腕の義手を次々に変形させ、いくつもの端子を取り出すとコンピュータに接続し、腰に巻き付けたウェストポーチから取り出した黒い箱とミニコンを次々と手慣れた動作で配線し始めた。彼の目の前に広がった寒色や白のホログラムが、機械にまみれた身体をかえって温かみのあるものに見せた。



「確かに、ダストデータやバグが溜まってはいるが、このくらいじゃ動作に致命的な損害を与えるほどじゃないな。こいつは一応、現行の量子通信機の中でも、いっとう性能の高いモデルだ。ダストを除去することはできるが、そこまで劇的な差は出ないと思うぜ」

「あらそう。でも、いちおうお願いしていいかしら?」



 マクシムは無言でうなずき、右手でホロ・キーボードを叩きながら、左腕から生えてきたマニュピレーターで機械そのものに手を加え始めた。



「オイ、あんまり邪魔するなよ」彼の大きな背中にぶつかるように飛び乗ったメルクに、マクシムは苦笑いをした。「手元が狂っちまうよ」

「こら、メルク。彼は客人よ、大人しくしなさい」



 そうこうしているうちにマクシムは作業を終えたらしく、のっそりと立ち上がった。



「あとはセットアップしたこいつに任せよう」コンピュータに繋がれた、二十センチ立方の小さな黒い箱を指でなで、「小一時間もすりゃ片付くだろうさ。そのあと、最終的にチェックをして終わりだ」

「ありがとう、助かるわ。それが終わるまで、ゆっくりして行ってよ。あなたの好きな月面プラントのコーヒーを買い溜めておいたんだから」







 メインブリッヂに巨大な客人が居座っているので、ジュディとヴァンはそれぞれ拗ねて身体を丸めている。だが、マルだけはマクシムに懐いているようで、青緑と黄色の瞳をそれぞれ瞬かせながら彼の無骨な機械義足にすり寄っていた。アイシャのものとは違って、彼の両脚は宇宙工業用の重出力モデルなのだ。

 もともとアイシャが足の義体化を選んだのは、無重力下での長い生活で筋力が衰えるたびにトレーニングをしなければいけないのが億劫だったからだ。



 彼はコーヒーをすすりながら、「飲んでみるか?」と、マルに冗談をかましていた。けれど、アイシャは気が気ではない。



「駄目よ、猫にコーヒーなんて飲ませちゃ。死ぬわ」

「そうなのか? 済まねえ、それは悪いことをしたよ」



 マクシムはコーヒーをテーブルに置くと、残った生身の右手でマルの頭をぎゅっと押すように撫でた。



「しかし、キャプテンの変わり者っぷりは、仕事仲間の間でも有名だよ。七匹のサイボーグ猫を連れて、宇宙船の操船やら、エンジニアの助手やらをやらせてるってな」

「これが意外と役に立つのよ。人間より有能かもしれないわね」

「へえ?」

「猫だからね。人間よりずっと、外的な刺激や信号を受け取る感覚は鋭敏なの。それが電脳のスキルにも適応するとは、この子たちを生み出した研究所のメンバーすら予想していなかったでしょうけどね。もっとも、何のためにクローン猫を七匹も作って、それぞれをシリコンチップで接続しているのかまでは知らないけれど」



 アイシャはその辺で暇そうにふらついていたサムに手招きし、ひざ元に呼び寄せた。



「宇宙船のレーダーなんか任せてみると驚愕するわ。人間どころか、備え付けのソナーでも気が付かないようなほんのわずかな信号を捉えて、操船にフィードバックする。ちょっとの重力変化や太陽風、ダークマターの潮流の変化。衛星や各コロニーから送られてくる電磁波。そういうものになぜか、この子たちはとても鼻が利くの。そういう小さな変化を見過ごして、デブリになった宇宙船なんて数知れないでしょう?」

「なるほどなあ」



 マクシムは分かったような、分からないような顔をしていた。

 同じフリーランスの電脳技師でも、アイシャとは違って、彼は自分自身の身体を拡張していくことで外界に適応していくことを選んだ人物だ。もちろんアイシャも、このクルーたちと出会う前には、そういう方法を実践するつもりでいた。しかし、それには予算と手間がかかるし、それだけではできることにも限度がある。それに、ソフトウェア、データ生成が専門であるアイシャと、ハードウェア、工学的開発が専門であるマクシムでは、おのずと目指すべき身体が違う。



「でも、生き物に自分の身を預けるなんて、不安じゃないのか?」

「あんまり感じたことはないわね」

「データの送受信や管理にしたって、それは、この猫たちの状態や、気持ちしだいによっちゃ、いろいろな不都合が生まれることだってある訳だろう」

「それはそうよ。でも、いつバグや、自己矛盾を起こすかもしれないAIに任せるのと、そんなに差はないと思うわ。それに、この子たちならではの利点もある」



 アイシャが目配せすると、マクシムの腕を駆け上ってマルが得意げに喉を鳴らした。

 同時に、アイシャ自身の手の中にいるサムを抱きかかえて、



「例えばこうして、暇なときに撫でていられるもの」

「ああ、そりゃいいなあ」



 マクシムは今日一番の、深い声で言った。








「さて、」マクシムに相場の二倍近くの謝礼を渡し――日頃からの付き合いの感謝も込めて――次の出航までの時間をどう過ごすべきか、「どうしようかしら、ジュディ、あなたどう思う? ジュディ?」



 いつものように返事がないので見てみると、ジュディは身体を丸めたまま唸っていた。はあはあと息が荒く、熱を出した人間のような感じだった。抱きかかえてみても、熱を出したりしている感じではない。気分が悪くて唸っているような感じだった。



「夕べ、あんなにがっついてものを食べるからよ」



 しばらく安静にさせておこうと思って操舵席に寝かせておいた。

 いちおう、アイシャは点呼を取るために、クルー全員をブリッヂに集合させた。このクローン猫たちはそれぞれがほとんど同じ遺伝子を有しているだけでなく、得た情報をすべて共有している。もし、ジュディの異常に何らかのウィルスや、バグが絡んでいるとしたら、それはほかのクルーにも何らかの影響となって表れるかもしれない。



 クルー全員が集合するまでの間に、タブレットで全員のバイタルデータを確認した。ジュディ含め、異常は見受けられない。



 ほどなくして全員が集合した。同じように、全員の名前を呼び、自己認識を確認した後、



「ちょっとでも、普段と調子の違うものは名乗り出なさい」



 と告げた。すると、映画好きのヴァンがにゃあ、と、おずおずアイシャのほうへ歩み寄ってきた。



「なんだ? お前も調子が悪いのか?」アイシャが抱きかかえると、ヴァンは力なく身体をだらんとぶら下げた。「昨日まで何ともなかったでしょう。映画を見過ぎて、情報酔いしているんじゃないの?」



 それでも取りあえず、診てみないことには断言はできない。

 アイシャは自室とは名ばかりの、ほとんど空き部屋と化している自分の船室にジュディを休ませ、それからヴァンと、みんなを招き入れた。ベッドの上にヴァンのぐったりした身体を横たえると、デスクトップコンピュータを起動し、ヴァンのうなじに空いたソケットにプラグを差し込んだ。

 ほかの五人のクルーはそれを心配そうに見上げている。



「どこか悪い所がないか、見てみようね」



 ヴァンをはじめとしたクルーたちは、首の後ろに内蔵された三角柱型のシリコンチップによって、常にそれぞれ得た情報を共有することができる。このチップの発する量子通信波を介してネットワークに接続することも可能で、これがこの船と、アイシャ・リェの生活を支える糧となっている。



 画面に表示されたヴァンのより詳細なデータにひとつひとつ、目を通していく。文字通り、この船の生命線なのだ。ヴァンは意識を失ったまま、眠ったような状態になっている。その気になれば、ヴァンの記憶や情報を書き換えたり、そのまま脳を焼き切ってしまうことも可能な状態だ。もちろん、そんなことはしないが。



 大量のデータを事細かにチェックしていく。以前から取得していたバイタルデータと照合し、異常な数値が現れている箇所を再度、確認する。それが悪性の兆候を見せるのなら、その都度、対処していく必要がある。

 しかし、目を皿のようにしても、異常はどこにも見当たらない。



「メルク。ちょっとおいで」アイシャはデスクの引き出しから、角ばったドーナツ型の水晶が三つぴったりと重なったような、三重保護結界を取り出した。デスクの上に恐る恐る飛び乗ってきたメルクの首の後ろに、保護結界のプラグを差し込み、更にそれをコンピュータにつなげた。「ヴァンのデータに異常がないかどうか、あなたもチェックして頂戴。保護結界を通してるから、仮に悪性の感染があったとしても、あなたに伝わることはないから安心しなさい」



 メルクの深緑色の瞳孔が、開いたり閉じたりし、何かに対してひげを揺らしたり、耳をひくつかせたりする。もう一度、チェックをしている間に、メルクの手がアイシャの太腿を叩いた。ふにゃああ、という欠伸のような声がする。

 メルクにも、保護結界にも全く異常はない。ヴァンは本当に何も異常はないのだろうか?



「ん?」



 アイシャはふと、無数に浮かぶホロ・ウィンドウの中から、ひとつをピックアップして大きく広げた。それはヴァンの脳の稼働率を示した波形グラフで、様々な色の波形が3D表示される。アイシャはその波形にふと、違和感をおぼえ、再検証をかけた。異常な数値ではない、しかし、普段は活性化していないある波形が、わずかに活性化している兆候を見せたのだ。



 ほどなくして原因が分かった。ヴァンは今まさに、夢を見ているのだ。


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