表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

#02

 結局、ディマンに異常は認められなかった。いたって健康そのもの、もちろん感染の傾向も見受けられなかった。アイシャはますます、首をひねるばかりだったが、きっとコンピュータの調子が悪いせいだろうと思ってその問題をひと先ず後回しにすることにした。



 メインブリッヂのホロ・スクリーンで映画を見ながら時間を潰していると、映画好きのヴァンがどこからともなくやってきて、アイシャの膝の上に勝手に落ち着いた。船内での数少ない娯楽のひとつである映画は、アイシャを含めたクルーの全員が楽しめるので人気が高かった。その中でもこの金色の瞳のヴァンは特に映画が好きで、ブリッヂで映画の投影を始めると必ずと言っていいほどやってきた。



 クルーたちはシリコンチップによって、それぞれの得た情報を常に同期し、瞬時に共有する。それはもちろんアイシャも例外ではないが――ひょっとしてこのヴァンは、視聴した映画の感想を、他のクルー全員に共有しているのではないかと思うこともあった。というのも他のクルーはヴァンほど映画に対して熱心ではないからだ。同様に、ヴァンは他のクルーが執心するようなものについては特に興味を示していない。時どき、ヴァンの金色の瞳を見ながら、アイシャは想像する。自分と情報を同期しているクローンの「アイシャ#6」(仮称)が見た映画の内容とその感想が、常に自分に流れ込んでくる。実際に見ているわけではない映画を、実際に劇場で観覧したかのような記録が自分に同期される。

 それは映画を見たと言えるのだろうか?



 彼らがそこまで事細かな体験まで共有しているかどうかは分からないが、少なくとも、ヴァンほど映画を好むクルーは他にいないのは事実だ。映画を片手にリサイクル水を飲みながら、ホロ・キーボードを広げ別の仕事に取り掛かる。火星‐地球間旅客・貨物輸送の交通管制システムの更新に伴う、こまごましたサブシステムのデバッグだ。作業自体は非常に単純で、データをリンクしているマルが支援してくれるおかげで片手間でもすぐに終わりそうな勢いだ。これが終わったら次は、月面プランテーションの生育ドローンのプログラム検査、そして木星探査機〈ゾラ〉に搭載されたAIのネオ・チューリング試験の結果検証……



 膝の上で映画を見ながらくつろぐヴァンの背中を撫で溜息をついた。フリーランスの電脳技師は気楽なものだが、業務に追われる日々はいつも忙しい。こんな時、この七人のクルーたちが一緒にいるのがとても心強かった。ホロ・ウィンドウに表示されたソースコード上に、青緑と黄色の円でチェックが表示される。



「あら、ありがとうマル」



 マルは展望室から外を見ているようで、返事は帰ってこないが、アイシャの声は伝わっているはずだ。チェックの入った部分のコードを再検証すると、確かにスペルミスが見つかったのだ。手早く修正し、再びすべてのコードの検証を開始。



 バエル第三(ポート)からの連絡が入り、メインブリッヂのスクリーンで映画を見ていたアイシャはタブレットに向き直った。ホロ投影機に映し出されたのはいつもの管理補AIではなく、ひとりの女性の姿だった。



「姉さん、どうしたの?」

「――やっぱりあの信号はフレイヤ号だったのね。アイシャ、あなたなの?」

「そうよ、こちらフレイヤ。姉さん、どうしてバエルに?」

「ちょっと立ち寄っただけよ、二十六時間後には地球に帰還する予定――それよりも、アイシャ、あなた、あの通信はどういうことなの?」



 姉のアスマがきっと眉を吊り上げるのは、いつもやんちゃをした妹をたしなめるときの顔だということを知っていた。全然身に覚えのないアイシャはうろたえるばかりだった。



「なあに、あの通信って」

「信号を送るのはいいけれど、せめて、ちゃんとデコードできる信号を送ってちょうだい。こっちは大騒ぎだったのよ、ついにへびつかい座人(オフューカイト)からの襲撃連絡かって」

「デコードできる信号? そうじゃなかったのね?」

「あなたの現在位置と、信号の固有識別コードは何とか割り出せたから。たまたま、わたしがバエルに駐留していて、たまたまわたしが通信管制室にいたからすぐに気が付けたのよ。連絡くらい、きちんとしなさい」

「ごめんなさい。ちょっと、機材の調子が悪くて」アイシャはヴァンの喉を指で鳴らしながら、「量子コンピュータもフル稼働状態だし、文字化けしたメッセージがいくつも届いたりしていて。メンテのために一度、バエルに寄港することにしたの」



 アスマはほっとしたような表情を見せた。



「それならよかった。ね、時間があれば、ディナーでも行きましょう。というのも、わたし、今回の仕事をこなしたら、しばらく上がってこられなさそうなのよ。どうせあなたも地球に降りてくる機会なんて、滅多にないでしょ」

「あら、どうして?」

「妊娠したの」アイシャは水を口に含んだ。「だから、激しい業務は避けるようにって」




    ○




 外周コロニーは、静止衛星軌道から更に上方(地球から離れる方向)に浮かぶ、七十二個の結び目のついた帯のような巨大建造体で、現在の地球海面から高度十一万キロにあたる部分をゆっくりと回転しながら、地球と一緒に太陽系の公転周期を移動している。それぞれ「結び目」にあたるブロックは、一つ一つが高さ五百キロメートル、直径は二百キロメートルの円筒状になっていて、それらを直径十キロメートル程度の繊維が何本も連なったようなチューブ型の移動トンネルが繋いでいる。各ブロックにはソロモン王と契約した悪魔の名前が冠され、常に技術者や宇宙植民が滞在し、地球と月、その他の惑星とをつなぐ技術的にもっとも重要で、刺激的なフィールドになりつつある。



「ジュディ、ドッキングの用意をするわよ」



 アイシャも仕事を切り上げて、メインブリッヂに浮遊しながら周囲にいくつものウィンドウを広げた。操舵席でのんびりを決め込んでいたジュディも、この時ばかりは目を大きく開き、耳と尻尾、それにひげをぴんとそばだてていた。



「エロイム・エッサイム・バエル」各ブロックにコンタクトを図る際は、文頭にこう唱えるのがしきたりだった。アイシャは逆に不吉なのではないかとも感じていたが、「こちら、登録ナンバーLUN‐148473、船名〈フレイヤ〉。アイシャ・リェ。第三(ポート)に接岸するため、ポートの開放および重力ビーコンの使用を許可されたし」

『バエル了解。第三(ポート)を開放します。重力ビーコン射出、ドッキング用意』

「ありがとう」



 アイシャは次々に船内じゅうに散らばったクルーたちに指示を飛ばす。



「ヴァン、サム、メルク、マル。四人で協力して船体の制御をお願い、ゆっくりビーコンに乗せるのよ――そう、船の上が下になるように。ビーコンの位置を確認しながらね。ジュディ、船がビーコンに乗ったら船内重力を発生させて。数分かけてゆっくりと、一Gに近付けていくのよ。くれぐれも急にやったらダメよ、あんた達は大丈夫でもわたしは重力酔いするから。ディマンはそのまま通信を継続、外部からの連絡もすぐにこっちに寄越してちょうだい。ラン? あなたは今どこにいるの?」



 振り返るとシャフトの隅の方で、タラップに身体を絡ませながらランは大きく欠伸をしていた。



「ラン、こっちにおいで」アイシャが手を伸ばすと、ランは素早く胸の中に飛び込んできた。



「ラン、聞いて。あなたはディマンから送られてくる情報を精査して、バグやウィルス、文字化けがないかどうかをチェックして頂戴、いい? これはディマンには内緒よ、できるわね?」



 にゃあ、とランは鳴いて、その銀色の瞳でアイシャを見つめ返した。



「よろしい」



 船体がぐるりと、ゆっくり回転を始めた。同時にエラーにも似た警告音が発せられる。バエルから発せられる重力ビーコンを感知したのだ。



「ドッキング用意!」



 クルーたちに任せるだけではなく、アイシャもホロ・キーボードを叩き制御を先導する。操舵席で誰よりも神経を張り巡らせるジュディが発した信号が船内中に行き渡った。ビーコンに乗り、徐々に船内の無重力が解除されていく。こういう精密な作業を手伝わせると、ジュディは誰よりも器用だった。

 ディマンが受信し、ランにチェックされたメッセージと、四人のクルーたちからリアルタイムで共有される船体の各部位の状況モニター、そのすべてを処理し、目を通しながら、アイシャの身体は徐々にブリッヂの床に近付いていき、爪先が触れ、身体が重力によって支配されていく。メインカメラがとらえた映像が、ブリッヂ正面にモニターされていた。目の前には巨大な魔法陣のようなものが描かれた、バエル・ブロックが近付いてくる。



 船内重力は現在〇・六G。接岸までの予測時間は約十四分。



「バエル、こちらフレイヤ。ビーコンに乗ったわ、接岸の用意を始めます」

『バエル了解』

「さあみんな、もうひと踏ん張りよ」








 四重隔壁をくぐり抜け、最後のひとつが閉じたのをモニターで確認すると、船体が固定される際に特有の、ゴゴン、ガゴン、という音が直に船内に響いた。



『バエルより。フレイヤ、船体固定及びナンバー認証を完了。これより一二〇時間の滞在を許可します。完了(オーヴァ)

「ご苦労様」



 メインシャフトのタラップを歩いて渡る。現在、船体は横倒しの状態で固定されているので、シャフトが重力に対して水平方向に倒れている格好なのだ。



「みんなはどうする?」



 呼びかけに応じたのはジュディだけだった。ジュディはアイシャの肩に手慣れた様子で駆け上がると、にゃ、にゃお、と短く鳴いた。



「なに――ほかのみんなはお留守番? せっかく外に出られる機会なのに、ねえ」



 隔壁を開き、厳重にロックをかけて船を飛び降りる。スレートグレーで塗り固められた第三(ポート)の広大な空間。ドックの天井は十数メートルの高さがあり、天井に配されたレールにぶら下がったゴンドラ・アームに乗り込んだ作業員やドローンがせわしなく行き交い、そこら中に様々な音が反響しあっている。周囲には、自分と同じように停泊している宇宙船と、そのクルーたち、エンジニアたちと思しき人間が何人もいた。それを眺めているうちに、また隔壁が開き、新しい船が入り込んでくる。その繰り返しで、とにかく慌ただしい。



 どこのブロックも基本の構造は同じなので、アイシャにとっては何度か見た光景だった。女ひとりの船乗りも、今ではそこまで珍しいものではなく、すれ違っていくエンジニアたちが軽く手を掲げて挨拶する。アイシャも、それにならって返した。



 船がしっかり固定され、ロックがかかっていることを再度確認したアイシャは入場ゲートをくぐった。数年前に取得し、電脳にダウンロードしている地球圏自由航行パスを確認されると、日付と時間を打刻され、バエルへの入場がようやく許可される。それはもちろん、ジュディも例外ではなかった。



「アイシャ!」という聞きなれた声に顔を上げると、そこには姉のアスマがいた。フォーマルなスーツ姿で、右の胸元には、コロニー市民権の証であるカラフルな円、電脳医療技師の証である隻腕の軍神テュールのルーン、地球在住者を表す十字の書かれた円、そして二重らせんを描いたバッヂが輝いていた。アイシャは入場ゲートをくぐり抜けると、彼女の元へ行き手を握った。



「お姉ちゃん、久し振り」

「あなたは変わらないわね、ほんとうに、いつ見ても」

「お姉ちゃんこそ――そうだ、おめでとう」



 アイシャはアスマの、まだ大きくなっていないお腹を手のひらで優しくさすった。そして、ジュディの手を取って、肉球で同じように触らせた。当然だが、ジュディはよく分からないような顔をしていて、むしろ、手を無理矢理に動かされて不満げな表情をしていた。

 アスマはジュディの背を撫でて、銀色の眼鏡越しの目を細めた。



「ありがとう、ジュディ」

「驚いた。義兄さんは元気にしている?」

「ええ、ずっと地球勤務よ。これから更に忙しくなりそう――ね、とりあえず行きましょう。すぐそこに美味しいお店があるのよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ