聖徳太子、竜田山の行き倒れの死者を哀れむ
上宮聖徳太子の、竹原井に出遊せし時に、竜田山の死人を見て悲傷して御作りたまひし歌一首
家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ
(巻3-415)
聖徳太子が竹原井に出かけた時に、竜田山で行き倒れの死人を見て、悲しみ傷んで御作りになられた歌。
家にいるならば、愛する妻の手を枕とするだろうに、旅路で横たわっているこの旅人は、なんと可哀そうなことなのだろうか。
※竹原井:現大阪府柏原市高井田の地と推定されている。
現代では、考えられないけれど、過去には行き倒れの死人が多かったようだ。
死んだ原因は、旅費が尽きて餓死か、事故か、誰かに襲われたのかは、不明。
「家では待つ妻もあるだろうに、この人はこんなところで、哀れに死んでいる」
確かに、一度しかない人生を、不慮の死、行き倒れで終わるなど、本人にとっても、その人を愛し、頼りにしている人たちにとっても、哀しいこと限りない。
先日、東名高速を走ったけれど、あの事件があっても、「あおり運転」をする輩が減らないようだ。
そういう輩には、聖徳太子の悲傷など、全く理解されないに違いない。