神岳に登りて山部宿祢赤人の作りし歌(1)
神岳に登りて山部宿祢赤人の作りし歌
みむろの 神奈備山に 五百枝さし しじにおひたる つがの木の
いやつぎつぎに 玉鬘 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ
明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし
春の日は 山し見ほがし 秋の夜は 川しさやけし
朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづはさわく
見るごとに 音のみし泣かゆ 古思へば
(巻3-324)
みむろの神奈備山には、たくさんの枝が伸びている栂の木のように、
絶えることなく、何度でも通う気持ちを抱かせる明日香の古都は、
山が高く、川もゆったりと流れている。
春の日には、山の素晴らしさに目を奪われ、
秋の夜は、川の流れる音が、実に心に響く。
朝雲には、鶴が盛んに飛び、夕霧には蛙が鳴き騒ぐ。
訪れるたびに、声を上げて泣いてしまう。
明日香の時代の、昔を思い出して。
※題詞の「神岳」は、飛鳥の雷丘と想定されている。
「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも」
(柿本人麻呂:巻3-235)
※古き都は、天武天皇の明日香清御原宮。
山辺赤人は、藤原京、あるいは平城京への遷都後に、旧都のあった明日香を訪れたのだと思う。
遷都により、かつての賑わいが衰退してしまうのは、土地の神の力の衰退とも考えられていた。
そこで、山部赤人は、明日香の土地を褒め、土地の神を慰めた。
もしかすると、山部赤人にとっても、明日香は懐かしい思い出のある故郷であったのかもしれない。
あるいは、雷丘にのぼり、敬愛する柿本人麻呂を偲んだのかもしれない。