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乙女の屍を見て
和銅四年歳次辛亥、河辺宮人の、姫島の松原に乙女の屍を見て、悲嘆して作りし歌二首
妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに 苔生すまでに
(巻2-228)
難波潟 潮干なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも
(巻2-229)
和銅四年(711)、河辺宮人が、姫島の松原で、若い娘の屍を見て、悲しみ嘆いて作った歌二首
美しい娘の話は、いつまでも時を超えて、語り続けられるだろう、姫島の小松の小梢に下がり苔が生えるような遠い時代にまで。
難波潟よ 潮を引いてはいけない。
海に沈んだ娘の姿を見るのは、とても辛い。
※河辺宮人は伝未詳。
姫島の松原(淀川河口の島らしい)に、若い娘の水死体があった。
事情は確定できないけれど、おそらく自殺なのか。
引き取り者がないような事情なのか、そのままになっている。
その悲しい娘に向けた鎮魂歌なのだろう。
そして確かに、千三百年以上経った今日の人にも、その話が伝わることになった。
 




