第4夜「And they run away」
「私は……」
しばらくの間を空けて、暗殺対象の少女が身に起こったことを語りだした。
部活帰りに電気屋のテレビを見て父親の会社の倒産を知り、帰宅したら両親が殺されていたこと。表向きには私が自殺を促したため牢獄に入っている、ということになっていること。
話の終盤には少女は泣き出して正直何と言っているのかわからなかった。こっちこそ泣きたいぐらいだ。
気付くと俺も自分の身の上話を始めていた。少女は時折咽びながら何も言わずに聞いていた。お互い鉄格子に背をもたれて自分の置かれた状況にため息をついた。
今日はきっと、とんでもない厄日だ。俺たちにきっと明日はない。今日がどん底で、崖っぷちで、行き止まりで、残された道はもうない。
「本当、なんでこんなことになっちまったんだろうな。こうやって、この世界に殺されていくんだろうな、負けた人ってのは」
「じにだくない……嫌やぁあ」
「俺もだ」
刑務所はやけに静かだった。その静けさに思わず身震いをした。恐らく、夜の冷えがここ最近と比べて厳しいことも関係しているのだろう。肌寒い。鳥肌が立つ感覚を覚えた。
そんなふうだったからなのかわからないが、妙に頭は冴えていた。きっと、俺がそんなことを言ったのは、決して頭が狂ったからじゃないはずだ。
「逃げてしまおうか」
少女は泣き崩れた顔をこちらに向けて「え?」と聞き返した。
「だから、逃げてしまおうか、と言っているんだ」
少女はポカンとした顔で聞いた。
「逃げられるん?」
「保証はできない。が、ここで二人して死を待つのも癪だと思ってな」
「そんなこと言って外に出てから私を殺すんやないの」
「いや、そんなことはしない。誓おう。二人で逃げて、逃げて、逃げて、追っ手がもう来ないところまで行こう」
今日は良く舌が回る。
「そして、暮らすんだ。自由に。こんな薄汚れた理不尽な世界から離れて」
自分で言ってて馬鹿みたいだ、と思った。追っ手から逃れるなんてそんなことは絶対無理だ。少女は狙われている。俺はこれから狙われる。
追っ手はすぐに追い付いて、俺たちを捕まえ始末するだろう。逃げたところで未来はまるわかりだ。
どうか、俺の話に乗らないでくれ。この提案を蹴ってくれれば、きっと少女はこの檻の中で生き延びることが出来るだろう。死ぬのは俺だけでいい。ほんの少し前、こんな仕事を掴んだ俺が悪かったんだ。
「あ、やっぱり……」
「ええで」
少女は俺の言葉に被せてそう言った。今度は俺が「え?」と聞き返す番になった。
「やから、逃げようって言ってるんや」
少女は涙を拭って、身の回りの物を集め始めた。とはいっても、そんなに物はない。30秒もすると荷物は綺麗にまとめられ、紙にメモを残していた。
「行こう」
鞄にノートとシャーペン、お菓子の小袋に着替え、ナイフ、両親の形見。腕には腕時計。俺はポケットにこの仕事の前金10万円。
「わかった」
言い出したのは俺だ。責任ぐらいは持とう。
「逃げるぞ」
俺は少女の手を引いた。出来れば、誰にも見つかりませんように。出来れば、誰にも知られませんように。
行く宛などない。それでも前に進もう。出来る限り、遠くへ行こう。
矢鱈澄んだ空にくっきりとした満月が俺たちの頭上を照らしていた。