第六話 家から追い出される話
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異世界に来てから十日目。
疲れが抜けない。社会人になって、連休ですら久しいというのに。睡眠時間もいつもの倍以上だというのに。
どうしても身体が動かない。
祭りの後のような充実感も無いし、葬式後の寂寥感も無い。
なにか落ち着かない感情に揺れ動かされているのは事実だが、身体が動かない。
今日もぼんやりと川を眺める日を過ごす。
正直、初日はテンションが可笑しかった。
何をするのにも、テンションがあがって騒いでしまった。
実家のような自然に触れ童心が騒ぎ、未知のものに触れ厨二心が躍り狂った。溜まりに溜まったストレスを発散するように。
普段はもっとクールな社畜なのに。俺は何をやってるんだろう。自然に溜息が零れる。
ここに来てからすでに十日が経っている。
俺はおっさんの住処から離れていない。勝手に居座ってるのだが、なにも言ってこないし大丈夫だと思う。
「俺は何をやってるんだ……」
今まで何をしていたかというと、今みたいにぼーっとして居続けたり、ヒゲが持ってきた酒を飲んだり、鳩が持ってきた酒を飲んだり、おっさんが持ってきた芋虫から逃げたり。
こう、考えてみると生産的なことを何一つしていない。おっさんの住処から一歩も動いていないから仕方ないのかもしれない。
昔の兄を思い出す。浪人して、精神病んで、一日ぐだぐだしていた。兄もこういう気持ちだったのかもしれない。働けニート、とからかって悪いことをした。
「この先どうすりゃいいんだ……」
この先どうすればいいのかさっぱり分からない。
何の目的も無く異世界に飛ばされ、ケンタウルスと共同生活を送り、変なやつらと酒を飲み交わす。それが何か間違っているような気もする。しかし急いで元の世界に帰りたいという訳でもなく、ここに居続けたいという訳でもない。月締めで仕事の契約が終わったばかりだし、更新しなくて会社に迷惑をかけるという訳でもない。でも、せめて社会人として最低限の責任と義務を果たしてから来たかった気もする。
「大丈夫 急ぐ旅でもないんだし……と言うけどなあ」
短歌を諳んじるが、どうにも力が入らない。
こっちでもお金を稼ぐしかないのか。でも身体に力が入らない。
どうにもならなくて途方にくれる。
「あれ? ライターさんどうしたんですか? そんなところで」
「ああ、鳩か。なんかなあ、どうにも身体が動かない」
「おっさんさんに聞きましたよ。相変わらずなにもしてないようですねえ。ダメですよ、ちゃんとしなくては。おっさんさんに迷惑をかけ続けるという訳にもいかないでしょう」
「そうなんだけどなあ」
いつの間にかライターが横に座っていた。
気配を感じなかった。こういうのも魔法なのか。……やっぱり魔法使いたかった。
「まるで長く休んだ後に行く学校みたいだ……」
「なんとなく、状況は分かりました。嫌ですよね、あれ」
「授業がかなり先まで進んでたりな。やんなくてもい鳩ど、皆と同じところまで進みたい気もしたり、でもそれが恥ずかしい気もしたり。やらなきゃ鳩ないとは思うんだけどな」
「なんか学生の頃思い出してすこし欝になってきました」
はあ――とふたりで溜息をつく。
『でも 働かないとダメ 仕事紹介するぞ』
「よう、ヒゲさん。いきなりだな」
急に目の前に文字が浮かんで驚いた。側にちっちゃいおやぢがいる。
こいつも魔法か。というか気配消すのずるいな。気付いたら目の前にいて本当に驚く。
『一分足りとも休みがないほど働く それが幸せ』
「……いや、それはどうでしょうか?」
「うーん。二年ぐらいやってみたけど辛かったよ」
『俺は十年目だ』
「え!? すごくないですかそれ!? よくそんなに働けますね」
『幸せは 何十年経って気付くもの まずは体を動かすことから』
ヒゲも立派な社畜だった。社会の歯車は何処にでもあるらしい。
どこか同郷の友に合った気分だ。
「普通は休みありますよ。あなた達やっぱり可笑しいですって」
鳩が憐れみの眼差しで俺たちを見つめていた。
こう、社畜というのは人に悲壮感をもたらす何かがあるらしい。
「そういえばヒゲさん。家ありがとな」
『飯の礼 気にするな』
「ああ、あの家。もしかしてヒゲさんが建てたんですか?」
話している件の家はおっさんの住処の一角にある。
いつものようにおっさんとぼーっとしていると小さいおやぢの集団が集まり、何かを作り始めた。住処を荒らされて憤慨するおっさんを宥めながら眺めていると、あっという間に家が建てられていた。
一階建てで丁度コテージのような、丸太造りのしっかりした骨組みは、どこぞのキャンプ地を思い出させる。
住処を荒らされ怒っているおっさんをなだめながら、一体誰か住むのかしらん、と考えているとおやぢの中からヒゲさんが出て、一食の礼だと言い始めた。
さすがにそこまでして貰うわけにもいかず、断ったが、いつの間にやらおやぢたちはいなくなり、残されるのはおっさんと俺ばかり。
「詐欺じゃないか?」と疑ってみたもの岩肌に腰を痛め、朝露と共に起きる生活は、近代人にとってひどく辛いもので、ありがたく使わせて貰うことになった。
「正確にはヒゲと愉快なおやぢたちだな」
『ドワーフ 誰かが受けた恩 皆で返す 掟ある』
「へえ、流石ドワーフ。恩に篤いですねえ…… 。ああ、そういえば昔罠にかかったドワーフを助けたことがありまして」
「それ、明らか嘘だろ。鶴の恩返しか」
『鶴じゃなく ドワーフ』
「そりゃ見れば分かりますって」
またいつものように駄弁りが始まる。こいつらと話すのが日常みたいになってきた。
大学生の頃を思いだした。お金が無く時間ばかりあったあの頃。切なくて涙が出そうになった。
「みんな集まってなにをしとるのだ?」
「ついにおっさんも来たか」
おっさんまで気配を隠してきて近付いてきた。何だよ、流行ってるのかよそれ。それとも俺が鈍いだけか。
川に背中に羽が生えてる鳩メンにヒゲモジャモジャなおやぢと元社畜と半身馬が写る。
出来れば近寄りたくない布陣だ。その中に自分がいるのが割りと本気で怖い。
「いやね、ライターさんの調子を見に来たんですが。いつも以上に気が抜けちゃっているようで」
『一作不食 だらしがない』
「そっとしておけ。それよりも昼飯を作ったんだが、お主らもどうだ」
『ありがたい』
「うわあ! 良いんですか! 助かります!」
「ほれ、ライターも一緒に行くぞ」
「うん……」
鳩とヒゲが嬉しそうに住処に急ぎ、後をゆっくりついていく。
昼食はいつもの魚か山菜だろう。自給自足は難しいのか、彼の実力か分からないがおっさんのレパートリーは乏しい。まあまあ美味しいから飽きないのが唯一の救いだ。
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「いやあ、相変わらず美味しいですねえ。淡白でそれでいて皮がカリカリで!」
『(はぐはぐはぐっ)』
「もう一匹焼こうか」
「「お願いします!」」
あの日のように焚き火を囲み、焼き魚を食べる。
名前を忘れてしまったが、なんとかという魚の串焼きだ。皮と身の境が味が濃く美味しい。
今まで川魚は骨が多く食べにくいと思っていたが、これは骨が太く身も剥がれやすい。
一息に口に入れると、すぐ様二本目と手が延びる。うまい。
「そういえばヒゲよ。家をありがとう」
『飯の礼 気にするな』
「いや、こんな立派な家と釣り合わないと思うが」
『ドワーフ 義理堅い』
「ふうむ、でもなあ」
「おっさんの気持ちもわかるよ。やっぱり釣り合わないように思う」
改めてヒゲが作った家を見ると堅甲な作りをしている。おっさんのようなケンタウルスも出入りできるような大きな玄関と何人も囲めるような大きい食卓。
別室には寝具も付いていた。明らかに釣り合わないよな、これ。
『じゃあ また飯食べに来るから ただでお願い』
「ふむ、そういうことなら……。それでも割に合わないがな」
『ありがとう』
ヒゲの表情は隠れていてわからなかったが、どこか嬉しそうに見えた。
「いいですねえ! 次飲んだときは楽ですよ! 眠れる場所があるのはありがたいですよ」
「潰れる前提で話すなよ」
そんな大学生みたいなことも楽しいんだろうけど、風邪をひきそうだ。
まったく、とおっさんがため息混じりに話し始める。
「ヒゲに比べたら鳩はなあ……」
「ええ!? っていうかお礼で家を建てる方がおかしいですよ!」
「そういえばみんなで飲んだ次の日。どこにもいなかったけどどうしたんだ?」
あの日の飲み会の後、二日酔いに苛まれて起きてれば、辺りにはものが散乱しており、花見の後を思い出した。野外でここまで汚く出来るのも才能があるからではないのかと変な自信がついた。
ごみの中心にはあられの無い寝相のおっさんと幸せそうに寝ているヒゲの姿しかなく、このヘラヘラ笑う青年はどこにもいなかった。
「いえね、気付いたら我が家でして。いやあ私にも帰省本能があるんですねえ。無意識ですよ無意識」
「まあ鳥ではあるんだろうな」
「いえ、鳥扱いをされると、こう、心中複雑なものがあるんですが」
「取り扱い(鳥扱い)に注意という訳か」
「おお!」
「「……」」
……べ、別にうまいなんて思ってないんだからな! 内心感心していると鳩たちが冷たい目をしていた。
こう、親父ギャグで笑えるぐらいおっさんに近づいている気がする。気をつけよう……。
気を取り直すように、ごほんっとヒゲが咳をする。
『帰るとき なにか言うべき 礼儀の基本』
「そ、そうなんですけど。情けない事に最後の方の記憶が抜けているんですよ、で二日酔いで体を起こすこともできず」
「そんなに飲んでたか? お主」
「体質的にあまり飲めないのですが、あのときはなぜかスルスルと入ってしまい、あんなことに。いやはや恥ずかしい」
「それでよく酒をあんなに持ってたな」
「まあ、それは……。はっはっは。時たま飲みたいときもあるんですよ」
鳩がかっこつけたように言う。
こう、イケメンは得だな。たいしたことがない台詞でもかっこよく見える瞬間がある。
そういえば会社でも顔が良いからと可愛がられている同僚がいた。上司や女の同僚に色々融通して貰って羨ましかった。顔は武器だ。
思うところがあるのか溜め息を吐くタイミングが三人で被った。
「「「はあ……」」」
「いやいや待ってください。僕だって色々頑張っているんですよ! ほら見てください!」
差し出すのは一枚の紙。読めない言葉が綴ってある。
でも俺に宿った加護とやらでなんとなく意味は分かる。いい歳してるのに厨二臭くて少し厭だ。
「イシュバルト? ゴー……シムハ? って読むのか、これは」
「そうです! この人を探すのにえらく時間が掛かったんですよ! ライターさん僕を褒めるべきですよ!」
「ああ、人の名前だったのか」
ええ、と頷くとにんまりと唇をつり上げる。
餓鬼大将が子分に手柄を自慢するような、なんともあどけない笑みを湛えてーーこの人も異世界人です、と述べる。
「この人もあなたと同じ異世界人ですよ!やっと一人見付けてきました! どうです、偉いでしょう。私だって恩返しぐらいはできますよ!」
「ふむ、鳩は異世界人を探していたのか」
「ええ、ええ! この世界に数十人はいると聞いたことがありまして、ならこの近くの町にも居るんじゃないかと思いましてね。仕事をサボりつつお客さんに聞いて回ったんです。どうです、すごいでしょう!」
『まず仕事をサボるな』
「まままあ、ヒゲさん。結果オーライですよ! こうして見つけられたんだから! ねえねえライターさんすごいでしょう!」
「貴様はどんだけ誉められたいんじゃ」
『おい ライター 大丈夫か? 顔が真っ青だ』
「……へ?」
思いがけない言葉に思考が止まる。
一体どういうことだ。異世界人? つまり地球から来た人が他にもいるのか?
『おい、大丈夫か?』おっさんが肩を小突く。
「いや、平気だよ。というか異世界人ってつまり?」
「ライターさんの他に異世界人がいるなら、私たちと話すよりも同郷の方と話した方がいいと思いまして……。っていうかダメでした? なんか調子が一気に悪くなったように見えますよ」
「う、うん」
言われて気付く。血の気が一気に引いて、冷や汗が止まらない。
その人に会いたいような、今のままでいたいような。どうにも矛盾している。俺は一体どうしたんだ。こんなことは初めてだ。
「申し訳有りませんでした。どうやら余計なことをしてしまったようで。私のことはいいですから、無茶しないでこのまま横になったらどうでしーー」
「いや、ライターは会うべきだ」
俺を気遣う鳩をとめたのはおっさんだった。
「ずっとこのままでいるわけにはいかないだろう。一度会ってこい」
「でも、」
「でもじゃない。そう気の抜けた顔は飯が不味くなる。さっさとなんとかしてこい」
叱るように憮然とした表情のおっさん。……情けない。
「鳩! 近くの町と言ったな。それはタカハシティか?」
「は、はい! そうです! そこのある劇団の長がどうやら異世界人らしいようで……」
『タカハシティ ここの川沿いを下って河口まで行けばわかる』
「ほれ! さっさと行かんか! 今日はそのゴーシムハやらと会わねば家に入れんぞ!」
おっさんか俺を急がし、それは鳩は心配そうに見つめ、ヒゲは道を教えてくれる。どれだけ迷惑をかけてたんだろう。
力が入らない身体にむち打って扉を開ける。
「……じゃあ、いってくる」
「夕飯はうまい飯を用意しておこう。くれぐれも自分の出自をばらすなよ。あと、まあ、頑張れよ」
「……おっさんの料理とかたかが知れてるんだよな。まあ、ありがとな」
ふん、と漏らした息を遠くで聞いた。
………………。
…………。
……。
「うわあ、なんかくっさかったですねえ。今のやり取り」
『いい年して青くさい』
「やめてくれ恥ずかしい。わしもやりすぎたとおもっとる」
「いや、いいんじゃないですか? ライターさんもあのままっていう訳にもいかんでしょうし」
『とりあえず身体を動かせるべき』
「良い薬になればいいんだが……」
「というかライターさん。大丈夫ですかね?」
「ふもとの町まで幾らもかからん。心配しすぎだ」
『 大丈夫』
「うむ、ここらにいるモンスターなんて子供でも倒せる」
「いやね、そのモンスターが問題なんですよ。初見で大丈夫でしょうか? 異世界から来て、それに一人で。あの人そんなに強くないでしょう?」
「……そういえばあいつ、体力が無かったなあ。芋虫に追いかけられてぶっ倒れてたぞ」
『町まで辿り着けないで殺されそう』
「「「…… 」」」
「お、そろそろ魚焼けるぞ」
「あ、ああ、 戴きます」
『俺にも』
男たちは厭な予感を振り払い魚と共に飲み込んだ。
一体誰が悪いのか責任を押し付けながら。
「そういえば、芋虫の干し肉できたが食べるか? 変な白いものついているが」
「なんですか、それ? まあ食べますが」
『頂こう』