第三話 芋虫の内臓を洗う話
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それから一時間ぐらい芋虫と格闘していた。
目前にはきちんと等分にされた肉塊と内臓と芋虫の皮があった。
手は体液だらけ。洗った服も元の木阿弥。
身体に臭いがついてしまったが、心地よい達成感があった。
「こ、こんなもんかな」
気がつくとあたりは夕暮れになっていた。
「お疲れさん」
「お、おっさん。いつの間に!」
「さっきからここにいたぞ。随分集中していたな」
「……全然気がつかなかった」
「ほれ、タオルと服をもってきた。身体を洗ってこれに着替えとけ」
「さんきゅ、めっちゃありがたい。ってか服持ってるならそれおっさんが着ろよ」
「うるさい。裸がわしのアイデンティティなんじゃ」
「そんな自己統一性があるか」
川に飛び込みそのまま服を洗う。
汗と体液が落ちていく感じがとても気持ちいい。
洗い終わると身体を拭いて、服を着る。麻のような繊維を重ねたつくり。
「なんかごわごわするな」
「そうか? 我々にはこれが普通なのだがな」
「いや、だいぶありがたいよ。何から何までありがたいな」
「……お互い様だよ」
どこか遠くを見つめる眼差しをするおっさん。
お互い様? 俺は何かしたか? ああ、もしかして解体のことか。
「では、肉を運ぶとするか。背に乗せろ」
「半身馬ってなんかいいな。めっちゃ物運べるじゃん」
「こんなことでしか役にたたんよ。別にたいしたことでない」
「と、言いつつうれしそうだな」
「う、五月蝿い! はよ動け!」
芋虫の皮敷で肉を包みそれを危なげなく背に乗せる。
「で、これをどうするんだ?」
「肉は腐りかけがうまいと言う。陰に置いておこう。あとは、そうだな。干し肉でも作るか」
「あれ? じゃあ肉を食べないのか?」
軽く頷く。あ、あれ? 芋虫を食わないですむのか?
「ガッツポーズをしてるところ悪い。赤身は食べないが、もっとうまそうなものを食べるぞ」
「……赤身は?」
芋虫から取れたものといえば、肉と骨と皮……と内臓。
「じゃあなにを……ってまさか!」
「うむ、今日は内蔵を焼いて食らう!」
笑顔のおっさんが疎ましく思った。
本日の料理。芋虫のホルモン焼き。
……本当に大丈夫か。そもそも芋虫の内臓って食べれるのか?
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さて、住処に戻った訳だが、もう日が暮れ始めている。
急いで調理を始めなければならない。
ホルモンは鮮度と下処理が命である。
そのまま食べると腹を下して、酷い思いをする羽目になる。
「って聞いたことがあるんだが、大丈夫なのか?」
「なに? そうなのか?」
驚いたような顔をするおっさん。
嫌な予感がする。
「そのまま焼けばいいもんじゃないのか……」
「厭な予感がするんだけど。おっさん、料理得意なのか?」
「……正直に言うと経験があまりない。いつも妻に任せていたしな。……まあ二人でやればなんとかなるだろう」
「えぇ……」
それで芋虫を食べたいとか言えたな。
二人で内蔵を見つめる。完全に捨てると思ってた。
料理は好きだがホルモンの下処理なんてしたことがない。
「まずは……どうしよう?」
「お主も知らないのか?」
「……俺がなんでも知ってると思うなよ。この世界の知識は役に立たないのか?」
「……普通のケンタウロスが知ってると思うか?」
「……」
じゃあなんで食おうとする。と突っ込みたかったが、いかんせんお腹が空いてきてなにも言えなかった。
おっさんの顔を見つめると視線がぶつかる。冷や汗が止まらない。
「……とりあえず洗ってみる?」
早くもグダグダしてきた。本当に大丈夫か?
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肉を岩影(おっさんが器用に岩を重ねて作った)に置いた後、再び川へ戻る。
この二度手間三度手間がいかにも料理になれてない男らしくて、大学時代を思い出した。
やはり料理ベタはそういったことが起こりやすい。
そうして、肢体を洗う。肢体といっても内蔵だけど。
「な、なかなか、重労働だな、これは」
おっさんは楽しそうにしているが、かなりきつかった。
管を開いて、内容物を取り除き、臭いがなくなるまで揉み洗った。
腐ったような酸っぱい臭いが辛い。
「意外と、はあ、きついぞ……これ……」
「このあとに……うまいものが、はあ……食えると思えば楽だろう……」
「なんで新宿からこんなところに来てしまったんだ……」
「現実から逃げるな……」
「ああ……お腹すいたああ……」
息を切らしながら冷たい水でもみ洗い続ける。沈みかけた夕日と腹の音がデュエットして泣きそうになった。
「そういえばお主、元の世界で何をしていたのだ?」
「どうしたんだいきなり?」
「虫を食べるのを嫌がったと思ったら蛇や蛙は食べられると言う。肉を捌けてホルモンの知識も少なからずあるようだ。もしかしてお主の世界の常識だったりするのか?」
「常識っていうわけじゃないと思う。皆に蛇や蛙を食べた話をしたら気味悪がられた」
野山を駆け、目に映るものを全て食べつくした幼少時代。我ながら食い意地が張っていたと思う。
「ほお。ではお主は何をしていたんだ。まさかそれが仕事だったのか?」
「うーん。ちょっと違うな。俺はライターだ。フリーの」
「ライター?」
「そう。雑誌の記事を作ってた」
「ザッシ? キジ? なんだそれは?」
言葉の意味が分からないようで首を傾けるおっさん。
改めて考えると、なんだ?
「雑誌っていうのは、その、なんだ。色々な情報を文字にして売る仕事だ。この世界にはないのか?」
「ふーむ。興味深いがよくわからないな。この世界では文字は歴史を綴るためだけにある。それに文字なんて読めないものも多いというのに、一体そんなものが売れるのか?」
「へえ……」
驚いた。この世界は識字率が低いらしい。
文字を読む文化が発展してないなんて、仕事柄少し切ない。
「ライターというものは何なのだ?」
「こう、上の指示に従って、調べて取材して、分かりやすいように要約するって仕事かな」
「なかなかすごいことをしてたのだなお主」
感心したように頷くおっさん。
な、なんだ。久々に誉められてちょっと嬉しいぞ。
「んで主に食レポとかしていた。……ああ、食レポっていうのは、美味しい食べ物やお酒やお店について調べて書くことだ」
「そんな仕事で生活できるのか?」
「ああ、食事代は稼げてたと思う。とにかく仕事量が多くて大変だよ。締め切りに厳しいし、担当も編集長も怖い。ライターなんてなるもんじゃないよ」
ほう、としきりに感心している。異世界の文化は興味深いようだ。
そう考えると、目の前のおっさんの仕事が気になってきた。
「ちなみにおっさんは何してるんだ?」
おっさんの顔が真っ白になった。あ、地雷ふんだ。
「……わしは、わし、は……ここで……自給自足う……を、してる」
最後のほうは小さく絞り出すように呟く。
「いわゆる無職?」
「…………今はそうだ」
言いにくそうに言う。
「「……」」
「……さっき妻が云々とか言っていたけど」
「……。……、……、聞かんでくれ」
寂しそうに言うおっさん(フリーター)。
職を失い、妻に逃げられたのかもしれない。
「……ごめん」
「……気にするなよ」
辺りが薄暗くなったのは、日が沈みかけているだけじゃないだろう。
「そ、そんなに悪いもんでもないぞ! わしにはこんな立派な家がある!」
手を広げて誇るおっさん。しかしそこにあったのは名ばかりの空き地。妙に切ない。
フリーター、家を誇る……? 家というか土地だけど。
「で、お主には嫁はいないのか?」
「……」
沈黙が答え。おっさんは察したように頷いた。
それから黙々と内臓を洗い続ける。
いい年して女のいない男は寂しい。その存在だけで場を凍らせる。