第一話 芋虫に襲われる話
一日一話更新がんばります。
幸福になるための苦しみを放棄すれば豚になる。
だけど俺は、贅沢な豚に憧れる。
●
芋虫。
蝶や蛾の幼生。段々とくびれた体躯に派手な模様がついている、グロテスクなアレだ。
その芋虫が目の前にいた。そんなのは驚くことでもないのかもしれない。
しかし巨大だったのだ。比喩ではなく本当に。
黄土色で段々にくびれた芋虫が顔をこちらに向けている。
ヤツメウナギのように複数の目が横に並び、鋭い牙を動かし、口からは涎が垂れている。
日本にこんな生物がいるわけない。
「モ○ラみてえ」
「ガアアアアアアアアアアアアアァっ!!」
跳びかかってきた
●
もちろん逃げ出した。友好的な関係を築けそうにもない。
木々の間を縫って走るが、ピタリと背に張り付いたように追いかけてきた。
「小○人は!? 小美○は何処だ!!」
「ガアアアアアアアアァッ!!!」
小さい美人の双子は何処にもいない。おかしい、映画なら助けてくれるはずなのに。
「こいつ、○スラじゃないのか!!」
モス○は人を襲わないことを思い出した。
小さい双子が見えないのも当然だ。
「ガアアアアアアアアアアア!!」
芋虫が涎をばら撒きながら追いかけてくる。
牙の音と相まって本気で怖い。
「わかった! バ○ラかダイオ○ウスの方か!」
「ガアアアアアアアアアアア!!」
おかしい、東○でも○谷系統じゃないようだ。
芋虫と社畜のデットヒートはまだまだ続きそうだ。
「もしかしてキャ○ピーか!?」
「ガアアアアアアアアアアア!!!! ガアアアアアア!!!」
「やめてえ!! こないでえええ!!」
●
週七日仕事して、定時に帰れずサビ残を繰り返す生物である俺。
弱肉強食を生き抜いただろう生物である芋虫。
どちらが体力があるかは自明の理だった。当然のように芋虫に軍配が上がる。
俺は木を前に崩れ落ちた。
「はぁひ、ぜひぃ……ごほっ……うぇ」
芋虫が近くにいるのはわかるが、体が動かない。
全力疾走なんていつぶりか?
ふと、電車に乗り遅れそうでダッシュで階段を下りたのを思い出した。
ああ、昨日ぶりだ。思えば結構走ってた。記憶能力も落ちたか。
呼吸が戻らない俺を見下す芋虫。芋虫の目には哀れみの光が映っているように思えた。
「同情……はぁ……すんなぁあ……ごほっ」
息が戻らないのはアレだ。煙草のせいだ。
絶対に年齢は関係ないな。寄る年波には勝てないなんて考えるな。
煙草やめればきっちり元通りだって。
やばい、目の前が白くなってきた。
このままだと食べられるより、過呼吸で気を失う方が早いだろう。
とか考えていたら全身に芋虫の体液が降り注いだ。
南無三。
●
……死んだかと思った。
芋虫の頭が矢で貫かれている。吹き上げた体液で全身がぬれた。温くて気持ち悪い。
状況確認。とりあえず命を救われたのだろうか。
ここで助けてくれるなんて、さてはいるな神。
「何をやってるんだお主は? ワームごときに襲われるなんて」
「助けてくれてありが…」
救いの主は、おっさんだった。下半身が馬で上半身が裸の。
「セントー……?」
「なんだいきなり」
「レミーマル○ンのシンボルマークのやつだ……」
「何を言ってるんだ?」
酒の神バッカスを奉仕するケンタウルスを象ったシンボルマークは佳良な富貴を醸し出していた。
でも、目の前のおっさんは、なんか、こう。
「人と馬の境目が気持ち悪い」
「助けたのに言うことがそれか!!」
垂れ目のおっさんが眉を立てて叫んだ。
U字ハゲで脇しか髪が残っていない頭と、あの美しいシンボルマークを汚すような、だらしなく膨らんだビール腹。
……俺の担当の松岡さんに似ている。
「わ、わるい。良い腹しているな」
「馬鹿にしているよな! こいつ思いっきりバカにしとるよな!!」
俺の襟首を持ち上げて切れだすおっさん。おかしい。場を和ます冗談だったのに。
おっさんに持ち上げられて、視線が高くなって目が白黒した。
馬の目線って意外と高い。というか、馬なのか。それよりなんで裸なのか。服着ろよ服。
そのままポイっと投げ出され、一息。
「どうしてワームなんぞに襲われてんだ?」
「いや、それが、気がついたら目の前にいた」
「はあ? 酔ってるのか、お主」
気の毒そうな顔をしないで欲しい。
「いや、本当なんだって! さっきまで新宿で飲んでて、トイレに入ったら目の前にいたんだよ!」
「やっぱり酔ってるじゃないか……」
「全然酔ってないんだって! ほら! 素面!!」
「そういうやつほど飲んでるんだろう」
「そういうお約束はいいんだって!」
下半身が馬のやつでもこのお約束知ってたのか。
「ってかなんだよここは! 新宿じゃないのかよ!」
「ほら、水飲んで吐け? 少しは楽になるぞ?」
「うるせいやい!」
気を使うおっさんが革袋を差し出してきた。
口を開くと透明な液体が入っていて、それに気づいた瞬間貪るように食らいついた。
「結局飲むのか……」
「だって疲れたし」
ぼやくおっさん。
この人いい人だ。妙にお節介なところが親しみやすい。
「ふうう…… 」
「落ち着いたか?」
「ああ、水といい、芋虫といい、助けてくれてありがとうな」
「普通は初めにそれを言うもんだ」
「さっきは気が動転してな、悪かったよ」
「ふん、まあいいさ。近頃はケンタウルスの姿もめっきり減ったからな。珍しがられるのも仕方がない」
改めておっさんを見る。
上半身はビール腹だし、禿げてるし、おまけに服を着ていない。
下半身がすごい。馬だ。ガッチリと太い脚が4つもある。やっぱり服を着ていない。
何度見ても服を着ていない。
「失礼だと思うんだけど、公然猥褻罪とか大丈夫?」
「なにを言っているんだ、貴様は」
「や、そんな格好していたら捕まらないか? 服着たら?」
「ああ、そういうことか」
おっさんは鼻息を荒く吐き出した。
「以前、このまま街の中に入ったら女子供に悲鳴をあげられて、住民に追われてな。逃げるに逃げてこんな辺境に住む羽目になった」
「駄目じゃん。服を着ろよ、服」
「昔からこの格好をしていたのにな。全く生き難い世界になったよ」
「だから服着ろって」
しんみりし出すおっさん。服を着てないからそうなるんだ。
「お主も街から逃げてきたのか?」
「や、俺は、俺はなんだろう?」
あんまり記憶がはっきりしない。頭を押さえながら答えた。
というか、『お主も』? 同類だと思われてる? 失礼な。
「さっきまで新宿にいたように思う。居酒屋に入って席について。お通しを食べて、ビールを飲んで、トイレに入った……と思う。気がつけば目の前にあの芋虫がいた」
「ふむ……」
「あんまり記憶に自信がないんだ。なんでこんな森の中にいるのかもわからないし、ケンタウルスなんて日本でも、いや、世界でも見たことがない。俺の頭がおかしくなったか、それとも酔った悪夢なのか」
気がつくとおっさんの目に哀れみが写っている。
「お主も可哀想に……」
「いや、本当だって! 飲んでた記憶しかないんだ! 頭がおかしくなった訳ではない! 多分だけど!」
「そうではない。……貴様は多分この世界に召喚されたのだな。それが憐れでな」
頭上でなにかが羽ばたいた。
見上げると大きい恐竜のような生き物が太陽に向かって飛んでいた。
やはり見たことがない。
召喚?
「ねばーえんでいんぐすとーりー?」
「大丈夫かお主?」
昔の映画に掛けて、ヘラヘラ笑った。あまりにも非現実感を感じたとき人は笑って身体の緊張をほぐすらしい。
だってあまりにも突拍子ない話だ。
「ドアの向こうでもないし、ドレッサーの奥でもないし、トイレにも流されてないし、トラックにはねられてないのに召喚てか」
「やっぱりお主、頭がおかしいのか?」
俺は混乱した。
おっさんは哀れんだ。
誤字脱字報告、感想、ブクマおねがいします。