第1話 この学校に入学しなきゃならない
創歴765年。イニティウム王国王都。
王国の中心部であるこの町は、常に行き交う人々で賑わっていた。
石造りの道を歩く人々。
その中に、全身をマントローブで覆った明らかに異質な人間が1人。決してボロボロというわけではないのだが、皆が思い思いの組み合わせの服を着ているというのに、彼はそれのみ。
もちろん、中にはきちんと服を着ているのだが、外からはマントと腰に差している太刀しか見えないのだ。
肩まであるストレートの黒髪。2方向に分けられた前髪は男にしては大きな瞳にほんの少し触れている。
ただでさえ服装のせいで振り向かれると言うのに、彼の凛とした顔立ちがギャップとなり、相対的に強調されていた。
「……ようやく、ここまで来た」
右耳に付けられた雫形のイヤリングが太陽の光を反射する。
ガイア・ユーストゥス。
師匠であるゼロ・フィーニスと別れてから1年、彼は独りで旅を続けてきた。全ては、ゼロが残した言葉のために。
すなわち、王女を守ること。
とはいえ、初めはガイアも戸惑っていた。何せ、彼はおろかゼロさえも王国の王女と接触したことは無かったからだ。
見ず知らずの人物なのに、それを守れと言われても首を傾げるのは当然の反応だろう。
だが、それでもガイアはゼロの言葉に従った。まずは王女を探すことから。そしてようやくたどり着いたのだ。
この国の王女はまだ1度も公の場に出てきたことはなく、そもそも実在するのかどうかさえ議論になっている。
そのため、どれだけ調べても容姿はもちろん名前すらも分からなかった。辛うじて分かったのは、王都にある騎士団養成学校に通っているらしいということだけ。
だから、ガイアはその可能性に賭けてみることにした。
目的の場所はもう少し歩いた場所にある。
「流石に疲れたな。少し休んでいくか」
ガイアは近くのベンチに腰掛ける。すると、人々の流れがより鮮明に見えるようになった。
ここには一般人だけでなく、王国騎士団もいる。出店と出店の間や、狭い路地の近く。様々な場所に重そうな鉄で出来た防具を纏って立っている。
城下町の警備、と言ったところか。
だが、ガイアに声をかけてこないのは警備の怠慢か、それとも彼らの審美眼の優秀さか。
ちなみに、ベンチの後方では若い騎士たちがなにやら慌しく動いていた。辛うじて聞こえてくるのは『変態仮面が出た』という文言のみ。彼らは路地へと消えていく。
「お、王都には変態仮面なんて奴がいるのか……?」
不自然すぎる単語に、少年は首を傾げることしか出来ない。彼は顔を引きつらせながら、呆れたようにため息を吐いた。そこで、別の音が聞こえてくることに気づく。
「ん? 何か聞こえて……ああ、歌か」
人々は、何百年という時間の中で文明を発展させてきた。
今では魔術を応用した通信機器や、情報発信技術も使われている。どちらも誰もが知る技術となっており、町の上空には大きなビジョンが表示されていた。
そこでは王国内のニュースが伝えられたり、娯楽が繰り広げられたりと用途は様々である。
そんな用途の内の1つに、歌があった。
綺麗な女性や、カッコいい男性が画面の中で歌を披露する。一部の歌い手には熱烈なファンもいるらしい。
中でも、老若男女問わず絶大な人気を誇っているのが、現在画面に表示されている女性だ。
ウェーブのかかった紫と白が混じった長い髪。彼女が歌にあわせて体を動かす度に毛先が引き締まった腰に触れる。
ダイヤモンドのような輝きを放つ銀色の瞳。整った顔立ちの中でもそれが最も特徴的だといえよう。
「力強い歌に、哀しい歌……凄いな」
黒を基調としたドレスを纏う抜群のスタイルの彼女は、人々からこう呼ばれている。
――『歌姫』、と。
彼女の歌は、魔術を利用している。
歌のフレーズが詠唱となり、様々な演出が飛び出してくるのだ。それも人気の理由の1つである。
魔術に限らず、魔法も使用するためには人体に潜在するマナというものが必要となる。マナの量の限界値は人によって異なり、端的に言えばそれによってその者の強さが分かる。
当然、マナの不足は技術で補うからそれだけで勝負が決まるとは限らないが。
ところで、歌と言うのは1曲およそ3~4分というのがセオリーだ。となれば、『歌姫』はそれだけの時間持続して魔術を使用していることになる。
彼女のマナの量は一体どれほどなのだろうか。
『歌姫』たる所以は、ただ歌が上手いとか魔術を使いながら歌えるというだけではない。それを実現できるだけのマナ。それが『歌姫』なのである。
「だから、戦ったら負けるとかそういうわけじゃないんだけどな」
『歌姫』の歌を聞いていると、何故か元気が湧いてきた。
数分休んだガイアは、改めて目的地への道を進み始める。段々と、歌も聞こえなくなっていった。
学校に近づくにつれ、道行く人々の色にも変化が訪れる。つまり、大人の数が減りガイアと同年代の男女の姿が増えてきたのだ。
「ん、見えてきたな。あれが……騎士団養成学校」
王国騎士団。
自らの命を、王国の秩序のために費やす者たち。昔は男しかなれなかったが、今では女騎士も珍しくはない。
養成学校とはその名の通り、騎士団を目指す者たちが通う学校である。
入学試験は3年に1度。ちなみに、最近試験が行われたのは1年前だ。
はて、ならばガイアはどうやって王女を探すのだろうか。
「編入試験、この制度があって助かったぜ。試験が終わってたことに気付いた時はどうしようかと……」
王国騎士団は、実力主義。常に強い者を求めている。
そのため、編入試験制度を設けておりいつでも強者を待っているのだ。
だが、その門は狭く毎年編入試験を受ける者はいるのだが、合格できるのは一握り。今期に至っては未だに合格者がいない。
というのも、その内容が現役騎士とのバトルだからだ。
ランダムに選ばれた騎士と戦い、その強さを示せば合格。普通に考えれば、場数の差により互角に戦うことすら難しかろう。
「それでも俺はこの学校に入学しなきゃならない。そうじゃないと、簡単には近づけないからな」
警備は万全。よそ者など入る余地無し。それも売り文句の1つだ。
「師匠、あなたの意志は俺が継ぎます」
ガイアは立ち止まり、耳のイヤリングに触れた。
あれから1年、ゼロの消息は全く分からない。
眼前には、壮大な校舎を構えている広大な敷地。それを守る巨大な門の中に、生徒らしき少年少女たちが入っていく。
白を基調とした制服は、騎士の高潔さを表しているのか。その右胸にはドラゴンが描かれた紋章が付けられている。
「よし、行くか!!」
歩き出す。
マント姿のガイアに、警備をしている騎士たちの視線が集まった。警戒のために自分の武器に手を添える者もいる。
流石に、ここでは警戒も厳重だ。
ガイアは門へと進み、生徒たちが訝しげに見つめる中両手を後ろに組んで立っている初老の男性に話しかけた。
「あの……学校長殿でしょうか」
「いかにも。それを聞いてくるということは、君がガイア・ユーストゥスか」
「はい、その通りです」
顔に浮かぶシワすらも渋さに変えてしまう男。四角い眼鏡の中にある高圧的な目は、見る者たちを動けなくしてしまうだろう。
白いサーコートに、同色のマントをなびかせる彼こそがこの学校の最高責任者。所謂学校長だ。
腰には2本の太刀。自分の後をついてくるよう促した彼は、ガシャガシャと金属が擦れる音を鳴らしながら敷地の中へと進んでいく。
その様子を見ていた生徒たちは口々に編入試験のことを話していた。
どうせ落ちる。結局は入学試験で受からなければこの学校に入るのは無理なのだ。
その言葉は正しかろう。
去年の試験以降、編入試験に挑戦する者は何十人もいたのに、誰も合格できなかったのだから。
況してやあの全身1枚布姿の男が受かるはずなど無い。そう考えられてもなんらおかしくはない。
「アウェーとは少し違う、か。それにしても現役騎士との対戦……流石に不安だ」
だが、これを超えることが出来なければガイアは己が目的を果たすことが出来なくなる。つまり、絶対に落ちるわけにはいかないのだ。
彼の長い眉がぴくりと動く。
「どんな相手だろうと、俺は勝つ。勝って、目的を果たす!」
ガイアは自分の頬を叩いた。
気合を入れなおし、少し大股で学校長の後を歩く。
しばらく行くと、思わず口を開いてしまうほど広い闘技場が見えてきた。人1人などちっぽけで、儚いものだと思わされる。
観客席が闘技場を円形に囲んでおり、その広さは学校の生徒が座ることだけを想定していないことが容易に分かるほどだ。
客席の中心にはこれまた巨大なビジョンが表示されており、そこで戦いの様子などが映し出されるのだろう。客席からは見えづらい細かな動きも、あれならば捉えることが出来るはずだ。
体が震えた。ここが、ガイアの運命を分ける場所。
最初の試練が、幕を開ける。




