第12話 それが僕の名前だよ
その日の夜、1人の女性が路地裏を歩いていた。後方の広場からは王都の夜特有の騒ぎ声が聞こえる。いつもは若干迷惑な音も、今は安心の材料。彼女はウェーブのかかった金髪を揺らしながら速足で道を進む。
普段はこんな道絶対に通らないのだが、今日の彼女には隣町に急ぎの用があった。故に、その場所へショートカットできるこの道を通っているのだ。
変態仮面の噂も、もちろん知っている。だが、所詮あの変態は下着を狙うだけ。いざとなれば自ら差し出せば良い。それ以上の危害を加えられたという話は無いのだから大丈夫だろう。
(大体、もし何かあっても大声で叫べば周りの騎士様が助けてくれますわ!)
当然、全く恐怖心が無いわけではない。だからこそ、こうして自分に言い聞かせている。たとえ襲われても逃げ延びる手段はあるのだ――と。
(それにしても、この路地長く感じますわね……まだ中間ぐらいかしら。んもう、彼が待ってますのに!)
真っ直ぐの一本道。故に、ゴールの場所に浮かぶ隣町の明かりは見えているし、段々近づいているのが実感できる。故に、焦りも積もる。
少しめかしこんだ彼女の足は少しずつ速くなっていく。愛する者の所へ、速く、速く。
だが、突如としてその足は止まった。
否、止まらざるを得なかった。
「くくく、こんな場所で独りじゃぁ危ないですよお嬢さん?」
どこかから降ってきた、人影。隣町の明かりに照らされたその姿は、噂になっていた変態仮面の特徴と類似していた。
タキシードに、目とその周辺のみを隠す仮面。そして背中で1本に纏めてある長い赤髪。
「……貴方が、変態仮面ですの?」
意外と落ち着いている。心の準備をしていたからであろうか。彼女は身構えながらも、目の前の人物に問うた。
「ああ、そうだよ。俺が変態仮面だ」
「本当に出るとは思いませんでしたわ……どうせ下着を奪うのでしょう? 早くしていただけるかしら、私急いでますの。下着くらいくれてあげますわ」
「下着……? くくく、そうか、そうだよな。いつの間にか有名になったもんだよ、変態仮面は……俺よりも」
「は?」
「いや、こっちの話だ。じゃあ、頂戴するとしようか」
「どうぞ、好きにしてくださいまし」
彼女は顔を片手で押さえて笑う変態仮面を前にして、両手を広げた。無警戒だからさっさと取れ、という意思表示なのだろう。長袖のワンピースのスカート部分が風に揺れる。
(やはり、若干恥ずかしいですわね。彼以外の殿方に下着を見られるかもしれないというのは……)
ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる変態仮面を前に、彼女は恥ずかしさから思わず目を閉じた。ギュっと瞑った瞳には、何も映らない。足音のみが変態仮面の存在を知る唯一のもの。
それが、段々と。
遂には、彼女の前で止まった。
荒い息遣いが聞こえてくる。この変態、興奮しているのだろうか。
遂に訪れる、その瞬間――
――彼女の腹部に、強烈な痛みがはしった。
「……え……あ……?」
鋭い痛みに目を開けると、変態仮面は少しかがんで、彼女の腹部に体を寄せていた。彼が離れると、さらに激烈な痛みが。
腹部を見た彼女はようやく自分の状況を理解する。
つまり、
「かはっ、そ……そん、な……」
刺された。
変態仮面が持っている小刀で、腹を。
地面に流れ落ちる血を見て、彼女は膝から地に伏し、蹲って傷口を抑えながら呻き続けた。刺された場所が熱を持っている。焼けつくような痛みに、最早声も出ない。
「くはは、そうだ、この感覚だよ!! これだ、俺が求めていたのはこれなんだ!!」
薄れゆく意識。その中で変態仮面の笑い声だけが響く。
「おい待てよお嬢さん。まだ死んでもらっちゃ困るぜ」
「…………」
変態仮面らしき人物は彼女を足蹴にしてうつ伏せから仰向けへと体勢を変えさせる。
次の瞬間、失われかけていた彼女の意識が一気に現実に引き戻された。理由は、刺された場所に突っ込まれた変態仮面らしき人物の手だ。
「あああああああああああああああああああ、い、いた、いぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「そうだ、もっと愉しませてくれよ。久しぶりの獲物なんだからさぁ!!」
ぐちゅぐちゅと音が鳴る。その音に呼応するように彼女の体が跳ね上がる。まるで、釣り上げられた魚のように。
吹き出す赤黒い液体に汚れていく服。彼女の瞳からは、涙のような液体が流れ出ていた。
「まだだ……ほれ、こいつをどうすると思う?」
傷口から手を抜いた変態仮面は譫言のように何かを呟きながら天を仰ぐ彼女に、小刀を見せつけた。そこには、小さな火が灯っている。彼女は目を見開き、
「も……やめ……」
「あ? 聞こえないね。なんて?」
「や……め……」
「ブッブー、不正解。正解は……こうするんだよ!!」
火を纏った小刀は、彼女の右目に突き刺さった。
「あ……あああ……が……」
叫び声をあげているつもりだろうが、ノイズ混じりの声だ。それが、余計に変態仮面を掻き立てる。
「くはは、悔しいよな? 悲しいよな? 苦しいよなぁ!?」
「た、助け……」
涙に、血が混じる。口からも、大量の血。吐きだされたそれは変態仮面の顔を汚した。
「いいね……いい。いい、いい!! これぞ俺が1年も我慢してきた感覚だ!!」
彼は血を拭わない。それどころか、口の周りに着いたそれを舐めとり、恍惚な表情を浮かべた。
「ああ、楽には死なせないぞ……苦しんで、悲しんで、のたうち回ってから死ね」
片方の瞳に映る殺人鬼。
彼女は後悔の念に駆られた。
何故今日に限ってここを通ったのか。
何故パトロールをしていた王国騎士に声をかけなかったのか。
何故何の武装もしていなかったのか。
何故、何故、何故、何故。
思い返してももう遅い。
今度は肩に痛みが走った。反射的にか細い声が出てしまう。
意識はあれど、最早無いに等しい状態だった。
脳裏に浮かぶは、両親や友人、そして彼らとの思い出。ああ、これが走馬燈というやつなのか。
――事切れる直前、最後に浮かんだのは、自分を待ってくれている男性の顔だった。
変態仮面と直接話した翌朝、早めに寮を出たガイアは職業体験のために、マルクが指定した広場へと向かった。
広場に到着すると、彼は異変に気付く。
「なんでこんなに王国騎士がいるんだ……?」
朝方だというのに、数十人の騎士が広場やその周辺をうろついている。皆、どこか慌てているようだ。
ようやくマルクの姿を見つけたガイアは他の騎士と話している彼の所に駆け寄った。
「ああガイア君か。悪いね、今日の職業体験は中止になりそうだ」
「何があったんですか?」
「……恐れてたことが起こったんだよ」
「恐れてたこと?」
マルクの顔は悔しさを滲ませていた。表情を歪めたまま俯き、彼は低い声でこう告げる。
「変態仮面が人を殺した」
「――っ!? う、嘘でしょ!? だってあいつは人殺しなんて……」
「どうして心変わりしたのかは分からない。でも、この路地裏で女性が殺されたのは事実だ。それに、遺体の近くには仮面が落ちてた。初めての殺しで焦ったのかもしれない」
そんなはずはない。昨日、その変態仮面は言っていたではないか。自分が変態仮面となったのは、殺人鬼から女性たちを遠ざけるためだと。
その彼女が殺人鬼? あり得ない。
だが、それをどうやって説明できようか。
昨日変態仮面とバーで話をした、など信じてもらえるわけがない。
周りをキョロキョロと見まわしてみると、路地裏の入り口付近で泣き崩れている男性がいた。彼は白い布に巻かれている何かを抱きながら叫び続けている。
恐らくあれは――
(くそっ、どうなってんだ! ……あ!!)
その瞬間、ガイアの背後を見知った女性が通り過ぎて行った。何も言われなければ男性と間違うかもしれない赤髪の彼女は、哀しそうな、そして悔しそうな表情を浮かべている。
彼女はこちらを全く振り返ることなく、昨日のバーの方向へと消えていった。
「あいつ……!!」
ガイアはマルクにミライたちに状況を伝えに行くと言い、その場を離れて彼女が向かった方向に駆けだした。
途中、遅れてきたミライたちとすれ違ったが彼はそのことに気づいていない。
「おい、変態仮面!」
ようやく追いついた場所は、バーの裏手であった。この時間は営業していないからか、薄暗いこの場所には全く人気がない。
バーと他の建物に囲まれたこの場所は、まるであの裏路地のようだ。
「……やあ、ガイア・ユーストゥス君」
「なあ、あれってもしかして!」
「確証はないが、そうだろうね。あの殺人鬼が現れ、裏路地を歩いていた女性を殺した」
「そんな……なんでよりにもよって昨日に!」
「……その女性は、フィアンセに会いに行く途中だったらしいよ」
タキシード姿の彼女は、俯いたまま表情を見せようとしない。あまりにも長い赤髪が顔を隠しているのだ。
「心を躍らせていたんだろうね。大好きな彼に会いに行く……そのためにいつもは避けて通る裏路地に入った。その結果……殺されたんだ」
変態仮面は王国騎士たちの会話や、泣き崩れていた被害者のフィアンセの言葉を聞いていたらしい。その時の状況を低いトーンで呟く。
「惨い姿だったようだよ。腹の刺し傷は無理やり広げられていて、片目は焼かれ、右腕は胴体から引き裂かれ……恐らく、死ぬまで弄ばれたんだろう。あの殺人鬼の快楽のために」
段々と、彼女の握りしめた拳に力が入っていくのが分かる。遂には、血が滲み始めた。
ガイアはそんな彼女の言葉をただ聞いていることしか出来ない。
「現場には仮面が捨ててあったらしいね。おかげで僕が犯人扱いだ。王国騎士は本気で僕を探し始めたよ……殺人鬼・変態仮面としてね」
彼女が犯人でないことを、ガイアは知っている。もちろん、彼女自身も。だが、王国騎士はそうはいかない。今まで彼女が人殺しをしていなかったことなど関係ない。
昨日、女性が殺されてその現場に仮面が落ちていた。疑うにはそれだけで十分だ。
「僕が直接無実を訴えても無駄。その場で拘束されるのがオチだろうね。それに、まだ僕は捕まるわけにはいかない」
変態仮面の真の目的。その相手が現れたのだ。彼女がとる行動はただ1つ。
「僕があのクソ野郎を討ち果たす」
「……待てよ。前に戦った時は負けたんだろ!?」
「心配してくれているのかい? ふふ、別に勝つ必要はないさ。ただ、ヤツを殺せればそれでいい。そのためなら、僕の命など安いものだ」
「変態仮面……お前、まさか!」
彼女は殺人鬼を道連れにするつもりだ。
そうすれば、変態仮面と殺人鬼という路地裏の2つの恐怖が同時に取り除かれることになる。
「それでいいのか……お前は殺人鬼として死ぬことになるんだぞ。それどころか、あの殺人鬼が変態仮面と刺し違えてでも戦った英雄になるかもしれない!」
「ああ、それでもいいさ。ヤツを葬れるなら、ね。それに、君が真実を知っている。僕が一体何者だったのか、君が知っている。十分だろう?」
顔を上げて、初めて見せた彼女の表情は微笑みだった。だが、そこに含まれている感情は様々。1つだけ確実に分かるのは、揺るがぬ決意だ。
「変態仮面……」
「ふふ、最後に君に会えて良かったよ」
そう言って、彼女はガイアに背を向ける。あの表情を見たガイアはその場から動くことが出来なかった。
「ああ、そうだ」
ふと、思い出したかのように彼女は顔だけをこちらに振り返らせた。そして、優しい声色で、
「君にだけは僕の名前を覚えておいて欲しい」
「…………」
立ち尽くすガイアに、彼女は自らの本当の名前を告げた。
「――アリシア・“ペルソナ”・メンダシウム。それが僕の名前だよ」
言い、微笑み、彼女は歩き始めた。
視界から消えていくアリシアの華奢な背中を、ガイアはただただ見ていることしか出来ない。
呆然としている彼の背後からミライたちの声が聞こえたのはそれから数分後のことだった。




