第4話 お前には、関係ない
教室を出て、1階へ降りるための階段へと向かう。イカロスが上の階へ行った可能性もあるが、今までの彼の行動から、数値としては低かろう。
1階では何人かの先生とすれ違ったが、イカロスの姿は無い。
「もう外に出たのか……? なんか、ここまで徹底して避けられると相手が男でも傷つくぞ」
その後、学校内を探してみたものの彼は見つからず、遂には帰り始めたクラスメートたちから不思議そうな目を向けられる始末。そろそろ普通の目で見てもらいたいとガイアは切に思った。
「……まさか、寮に戻ったとか?」
学校にいないのならば、思い当たるのはそこくらいか。というより、まだこの町に慣れていないガイアにとって思い当たる場所など限られている。
ガイアは踵を返し、学生寮へと走った。すれ違う可能性もあったので走りながらも周りに視線を向けていたが、彼の姿を確認することは無かった。
数分後、寮にたどり着いたガイアは正門の前で息を整える。門をくぐり、大きな扉を開けて中に入る。まだ誰も帰ってきていないのか、寮内は静寂に包まれていた。
「いるとしたら部屋か……? でも、もし食堂にいてすれ違ったら最悪だな」
一応、部屋に向かう前に階段の隣に位置する食堂を覗いてみた。晩御飯を作っているのか、いい匂いこそすれど人影は皆無。これなら、最悪の事態は回避できるだろう。
「そもそも寮にいないとかだったら無理だが……頼むぜイカロス、ここにいてくれよ」
半ば祈るようにして階段を上る。ガイアの制服には彼の額から落ちる汗が染みていた。真っ白なキャンパスに浮かぶ濡れ跡。あまり快くはない。
2つの階段を踏み進み、眼前に現れた長い廊下を歩く。自分の名前が書かれた札が飾ってある部屋の前に来ると、ガイアは唾を飲み込んだ。そして、恐る恐るドアノブに手をかける。
そこで、異変に気付いた。
「……鍵がかかってる?」
もしや。
流れてくる汗が、明らかに嫌なものに変わる。あまりにも冷たいそれは頬を伝い、床へと落ちた。
ガイアはポケットから部屋の鍵を取り出し、ノブに差し込んで回す。鍵が開く音が廊下に響いたような気がした。
ゆっくりとドアを開ける。そこには――
「いない……おいおいマジかよ。あいつマジで何処に行ったんだ!?」
食堂にもいない、部屋にもいない。ならば、必然的に寮内にはいないということになる。町に行ったのであれば、先述のようにガイアには探す当てが無い。
ドアを開けた格好のまま呆然と立ち尽くすガイア。だがそこで、彼は気付いた。
「まさか、学校か?」
この可能性は1番最初に排除していた。だが、他の選択肢が無くなってしまった今、排除したはずの可能性が最有力。
即ち、学校の上層階。具体的には、自習室若しくは屋上。はたまた、空き教室。もしそこに行っているのならば、これまで姿すら見えなかったのも頷ける。そもそもガイアは彼と反対の方向に進んでいたのだから。
しかし、学校を出てから多少の時間が経過している。イカロスの目的如何によっては、彼は既に学校を去っている可能性もある。
「まあ、行ってみるしかないか。ったく、今日は朝から疲れっぱなしだ」
ドアを閉め、鍵をかける。そして彼は急ぎ足で寮を出た。学校への道を再び駆け抜ける。最早、息は乱れていた。
イカロス・プロディティオー。正直、ただ単に寮の同じ部屋であると言うだけで、ここまで探し回る義理は無い。言ってしまえば、ガイアは寮で待っていればいいのだ。夜になれば彼は必ず帰ってくる。そこで伝えればいいじゃないか。
息を切らしながら走り回る必要がどこにある?
ふと、そんな考えが過ぎった。しかし、すぐにそれ以上の思いが脳内を埋め尽くす。
思い、というより違和感と言った方が正しいかもしれない。
イカロスと、きちんと話さなければ。寮に戻ってからではなく、今。別に長く話す必要は無く、要するに寮以外の場所で。
もし話せなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。そんな違和感が、ガイアの体を動かしている。
学校に戻ると、走るガイアに様々な視線が注がれた。有名人なのだから、仕方無いのだろう。赤いカチューシャをつけた金髪の少女とすれ違い、その際彼女が何か話しかけてきた気がしたが、今の彼にそちらに気を向ける余裕は無い。というか、そもそも気付いていなかったというほうが正解か。
階段を上がる足が重く、辛い。それでもただひたすらに体を動かす。2階、3階。そこまで上がって、遂に。
「はぁ……はぁ……っ!! イカ、ロス……!!」
「お前……どうしたんだ、息を切らして」
制服を変えた方がいいのではないかと思うほどの筋肉を持った大男。赤い単発に、ガイアに負けないほどの眼力。赤い瞳は、彼の意思がどうかはともかく威圧を放っている。
彼がイカロス。駆けずり回ってようやく見つけた、形式上のパートナー。
3階の空き教室のどれかから出てきたであろう彼は、膝に手をついて荒い息を吐くガイアを不思議そうに見つめている。
「げほげほっ……ちょ、ちょっと待ってくれ、息を……整える、から」
数秒。その間イカロスはどこか気まずそうだった。
「ふう……悪い。かなり走り回ったから」
「俺を探してたのか……?」
「ああ、今日言われたことについてな。俺とお前はパートナーだから」
「……職業体験。確か、別の部屋の誰かと組まなければならないんだったな」
「それだ。俺はルカとミライの所と組もうと思ってる。でも、お前の意思を無視するわけには――」
「お前がそれでいいのなら、俺は拒否しない。好きにしてくれ」
「……そうか」
「それを言うためだけに俺を探していたのか? すまないな、感謝する」
そう言って、イカロスは歩き出した。ガイアの横を通り過ぎ、階段へと向かう。まるで、逃げるかのように。
「待てイカロス」
「…………」
無言。階段の1段目に足を乗せたまま、イカロスは動きを止めていた。その姿を見ず、振り返らないままガイアが言葉を継ぐ。
「お前……何か、隠してることは無いか」
「…………」
数秒の間。それが、永遠のようにも感じられた。
イカロスの暗い声が静寂を破る。
「……お前には、関係ない」
「イカロス……」
それ以上の会話は無かった。お互いに顔を合わせぬまま、イカロスが階段を降りていった。
ガイアは大きく息を吸い、ため息を吐く。複雑な感情がこみ上げてきたが、今はこれでいい。少なくとも、違和感はひとまず取り除かれた。
「……折角だから、屋上にでも行くか」
足が痛かったが、何となく空気を吸いたくなった。もちろん、それなら階段を降りて外に向かえば良いのだろうが、今降りるとイカロスに追いついてしまうかもしれない。それは気まずかろう。
ガイアは階段を更に上がる。そして、屋上へと入るボロボロの扉の前へ。よくもまあ壊れないものだ。
「誰か、いる……?」
声が聞こえる。いや、声というより、これは歌だろうか。女性の声の歌が聞こえてくる。それも、どこかで聞いたことのあるものだ。
曲は無い。何も無い状態で歌っているようだ。
ガイアはその場から動けなかった。入ったらマズイとか、そういう話ではない。本当に体が動かなかったのだ。感動なのか、畏怖なのか。
とにかく、ガイアは表情1つ変えることが出来なかった。
頭に浮かぶは、この町に初めて来た時に聞いた歌の記憶。『歌姫』と呼ばれる女性が歌っていた姿。まさか、いや、ここは学校。そんなはずはない。では、一体誰が。
好奇心が芽生える。この歌の主が誰なのか確かめてみたい。聞こえていた歌が終わると、彼の体は勝手に動いていた。ドアノブを回す。ギギギ、という嫌な音と共に未だ青い空が見える。
次に、屋上を囲む柵。
そして、歌の主と思われる人物。
その姿に、彼は思わず声をあげてしまった。
柵の近くで、儚げに空を見つめる制服姿の少女。日に照らされた彼女は、正に女神のようだ。吹く風に、長い黒髪が靡く。
直後、少女は再び歌い始めた。その歌に、ガイアは顔に当たる風以上の衝撃を受けた。
歌は、1分ほど続いた。そして、少女がゆっくりと振り返る。
ここでようやく彼女はガイアの存在に気付いたらしい。彼の顔を見て、少女は飛び跳ねた。顔を朱色に染めて、柵まで後ずさり。大きな瞳をぐるぐると回しながら、口をパクパクと動かしている。
震える指でガイアを指差し、そのまま座り込む。
対して、ガイアも驚愕していた。少女の顔を見た瞬間、彼も開いた口を塞ぐことが出来なかったのだ。
「ル、カ……!?」
「あ、あんた……どうしてここに!?」
2人の間に、静寂が訪れた。




