第1話 お前に、強さを教えてやる
森の中を走る音が複数。逃げる者たちと追う者たち。逃げる者たちの1人が突然振り返り、追っ手に向かって突進。
次の瞬間、鮮血が飛び散った。
話は、数年前に遡る。
創歴755年某日。魔法と魔術が普及している世界、イニティウム王国某所。
男は旅をしていた。町から町へ、とある目的を達成するために。
オールバックの銀髪、見たものを畏怖させてしまいそうに鋭い黒眼。中肉中背の男は黒いマントローブで全身を覆っている。傍から見れば、不審者そのものだ。
もちろんマントの下には服を着ているのだが、今は見えない。
そして、彼の両耳には雫の形をしたイヤリングが。腰の隙間からは、太刀の柄が顔を覗かせている。
名は、ゼロ・フィーニス。
「もうすぐ次の町か。はぁ……そろそろ旅止めようかな。見つかりそうもないし」
全く舗装されていない、荒れた山道。それは、彼の体力を確実に奪っていく。
幸いなのは、生い茂る木々のおかげで太陽の光が全く当たらないということか。
風は心地よく、彼のような格好でも過ごしやすい気温だ。刀とは反対の腰に下げている、食料が入った袋もほんの少しだけ揺れる。
「いい風だ。こんな風に乗れたら気持ちいだろうな……」
流石に休憩しようと思い、近くにあった木の幹に体を預けようとした瞬間、目指そうとしていた町の方向から爆発音が聞こえた。
「――っ!? おいおい、勘弁してくれよ。これから行こうとしてる場所が壊滅とか笑えないぞ!!」
幹を後ろ手で押し、その勢いで音が聞こえた方へと走り出す。
木々の間を駆け抜け、遂に町が俯瞰できる位置にまで来た。
その目に映ったのは――
「何だこれ……?」
悲鳴、怒声。
そして、建ち並ぶ家々から上がる火柱。崩壊しているものもある。ゼロのイヤリングは太陽の光ではないものをも反射していた。
「あれは……山賊か!!」
よく見ると、必死に逃げ出そうとする人々に剣やハンマーなどの武器を向けている者たちがいた。
それぞれがゼロのようにマントを羽織っている。違いは、ゼロのものより小汚いというところか。
「くそっ、この町に戦える奴はいないのかよ!」
そう叫んで、ゼロは山を駆け下りた。太刀を抜き、それを前方に突き出す。
すると、彼の刀が緑色の光を帯びていく。それはまるで風のように渦巻き、遂にはゼロの体を覆った。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
加速。
光に包まれたゼロの体は途端に軽くなり、疾風の如く町へと進む。その間、およそ10秒。
普通に走ると5分はかかりそうな距離を、彼はたったそれだけの時間でたどり着いたのだ。
当然、近くにいた1人の山賊が突如として現れたゼロの方へと視線を向ける。
「なんだお前、どこから出てきた!!」
「……知る必要は無い!」
その目に宿るは、明確な怒り。
彼は見てしまったのだ。すぐ側で、家に押しつぶされて泣き喚く子どもの姿を、そしてどうしていいか分からず子どもの手を必死に握り締めている母親の姿を。
眼前の山賊が、ハンマーを構えた。だが、それで攻撃されるよりも早くゼロの体が動く。
一瞬の出来事。
気付いた時にはゼロの体が山賊の眼前に。
ふわりと長いマントがなびき、太刀を振りぬいた格好のまま止まっているゼロの背中に戻る。
同時に、山賊が大量の血を吹き出しながら倒れた。
「がっ……なっ!?」
その光景に、先ほどの母親が呆気に取られている。彼女に向かって、血を浴びたゼロは振り向き、優しく微笑んだ。
「ちょっと離れてくれないか?」
母親は怪訝に思いながらも、ゆっくりと子どもから手を離し、燃え盛る家から離れた。
「はぁっ!!」
家に向かって太刀を振ると、呼応するように強い風が吹いた。それは大きな家を持ち上げ、誰もいない通りへと吹き飛ばす。
押しつぶすものは無くなった。母親は泣き喚きながら子どもへと駆け寄り、自らの胸に抱き寄せ、歓喜の涙を。子どもも泣き喚いているが、幸い大きな怪我は無い。彼女は子どもに頬を擦りつけながら、思い出したようにゼロに視線を向ける。
「礼はいらない。大丈夫、俺がこの町を守ってやるから」
そう言って、ゼロはその場を離れた。
山の上から確認できた山賊の人数は5人。この惨事を見る限り、最低でも1人は彼と同等の力を持つ者がいるはずだ。
ゼロが扱うのは風の魔法。恐らく、敵は炎。
相性がどうとかいうわけではないが、炎を扱う魔法使いには強い者が多い。
「さっきの戦いの音を聞いて、仲間がこっちに来てくれるとありがたいんだが……」
走りながら、彼は周りを見渡す。だが、山賊らしき影が見当たらない。
既に目的を達成して逃げてしまったのか。そう思った直後、彼は急ブレーキを踏んだ。
「いや、来てくれとは言ったけどよ。全員で来るのはナシだろ」
日の光が照らす前方に、4人。全て男だ。
彼らは事前に示し合わせていたのか、すぐにゼロの周りを囲んだ。そして、ゼロの正面に立ったままの、大剣を持った大男が話しかけてくる。
「貴様1人か」
「……さあな。俺の仲間が皆を助け始めてるかもしれないぜ」
「戯言を。まあいい……どこの誰かは知らんが、ここで死ね」
「いいや、死ぬのはお前らだ」
そこで、会話は途切れた。
後ろ、左、右。3方向からの攻撃。
それぞれ、刀、刀、ハンマーだ。どれも魔法を帯びているものの、その量は極めて微弱である。つまり、ボスは正面の男。
ゼロがとった行動は簡単だ。
太刀を縦に構え、風を纏う。そして、太刀を振り回すような格好で体を360度回転させた。
家を吹き飛ばしたのと同じ風が、彼を中心として円形に広がっていく。
それは襲い掛かってきていた山賊たちの体を浮かし、自由を奪った。
「覚悟しろ、賊ども!」
まるで、瞬間移動。
否、風に乗っての移動と表現するべきか。
地面を強く蹴って跳んだゼロの体は、風に運ばれるように山賊たちへと接近した。
まず左の1人、そして後ろの1人、最後に右の1人。自由を奪われ、もがくことしか出来ない山賊たちを次々と斬りつけていく。
山賊たちが血を吹き出しながら倒れるのとほぼ同時。元の場所に戻った彼の顔やマントには大量の返り血が。
「……まさか、3人同時に倒すとはな」
「おとなしく降伏しろ。お前に勝ち目は無い」
「ふん、従うと思ったのか」
「願わくば」
「残念だ」
「そうか」
山賊の大男が構えた大剣から、禍々しい色の炎が噴出す。その大きさは、他の山賊とは比べ物にならない。
ゼロの太刀を握る手に、力が入る。
数秒、間があった。
そして、お互い同時に走り出す。
金属と金属が激しくぶつかる音が響いた。弾き飛ばされたのはゼロだ。豪炎に頬を少し火傷し、ゼロは袖で顔を拭う。
太刀と大剣。正面からぶつかれば、結果は明白であろう。
吹き飛ばされたゼロに対し、山賊は追撃。立ち上がろうとする彼の真上から、景色を歪ませるほどの炎を纏った大剣を振り下ろす。
横に転がり、直撃は免れたゼロだが山賊の大剣が地面に叩きつけられた瞬間に起こった爆風によって、数メートル先の瓦礫にノーバウンドで叩きつけられた。
「がっ……!」
「来いよヒーロー。この町を救いに来たんだろ?」
瓦礫の中から立ち上がり、風を纏う。だが、このまま正面衝突しては再び弾かれるのみ。
では、どうすればいいのか。
「これならどうだぁぁぁぁぁ!!」
太刀を縦に構え、先ほどと同じように回転する。ゼロの血と共に、風が舞う。放たれた風は山賊へと襲い掛かった。
「これが貴様の答えか。ならば、がっかりだ」
山賊は大剣を盾のように扱い、風を楽々防御。しかし、ゼロの狙いはこの風による攻撃ではない。
風に乗り、山賊の正面から離脱する。
いつの間にか彼は山賊の隣にいた。
「――貴様っ!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
捉えた。
ゼロが振りぬいた太刀は山賊のわき腹を切り裂き、大量の血を吐き出させる。
はずだった。
「舐めるなよ、餓鬼が!!」
間に合っていた。
山賊が咄嗟に振った大剣が、ゼロの太刀を阻んでいる。このまま振り抜かれてしまっては、折角のチャンスが無駄になってしまう。
山賊の炎はさらに強く、かつ激しく。
そこでゼロはさらに力を込めた。それに反応し、纏う風の量が増えていく。
「貴様、このパワーに勝てると本気で思っているのか!!」
今、山賊の体勢は無理矢理大剣を振るったままである。つまりは、踏み込んだ足のバランスが悪い。
少しでも足を動かされれば、彼は最大の力を発揮する体勢になるだろう。だから、この瞬間に決めなければならない。
「吹っ飛べ!!」
太刀が折れるかもしれない。
今は、それすらもどうでもいい。ただ、この山賊を吹き飛ばすことが出来るのならば。
そして、この賭けにゼロは勝った。
山賊の体が浮き上がり、ゼロが太刀を振りぬくとその巨体が後方の壁へと激突する。
瓦礫が砕ける音が響き、周りには土煙が舞う。
だが、すぐに山賊は立ち上がった。壁を蹴り、土煙の向こうで安堵しているであろうゼロを殺すために。
しかし、そこにあったのは。
「さあ、風に乗ろうぜ……」
太刀を鞘に収めず、抜刀するように構えたゼロ。そして、その太刀が空を斬る。
「『疾風斬』!!」
風が、土煙を払う。
疾風を纏ったゼロは、山賊の眼前で太刀を斜めに振った。
刃となった風は山賊の大剣ごと体を切り裂き、後ろの壁をも砕く。
ゼロの目に映るは、両目を大きく見開きながら、穴という穴から鮮血を放出する山賊。大検は砕け、破片が数個ほどゼロに当たった。
巨体が地面に落ちる音、それが勝利のゴング。
「はぁっ、はぁっ……畜生! とにかく町の人たちの救助を!!」
ゼロが山賊を引きつけている間に、救助活動は進んでいた。そのため、彼は途中から加わる形となる。
怪我をしてはいるが、なんとか動ける屈強な男たちと共に子どもを引き上げたり、風の魔法で瓦礫を吹き飛ばしたり。
活動が終わったのが確認されたのは、それから数十分後のことである。
人々から感謝の言葉を大量にぶつけられたゼロは、照れながらも町を後にした。これ以上、自分に出来ることは何も無い。
これからの復旧は、人々、もしくは王国に任せるしかないのだ。
その途中、ようやく鎮火しただの瓦礫と化した一軒の小さな家を見つめ続ける少年が目に入った。
およそ、7歳。着ている服は所々焦げたり、破れたり。彼自身、腕などから出血もしていた。
その頬には大粒の涙が伝い、未熟な拳を握り締めている。
ゼロは何故か、彼から目を離せなかった。故に、ゆっくりと近づいていく。
「おい、町の皆は向こうだぞ」
突然の声にも動じず、少年は震える唇でこう呟いた。
「……欲しい。力が、欲しい! 皆を守れるくらい、強くなりたい!!」
よく見ると、瓦礫の中から誰かの手が伸びている。2本、どちらも右手だということを考えると、2人の人間が手を伸ばしていたのだろう。
ゼロはすぐに、これが少年の両親だということに気付いた。
両親の死を目の当たりにした少年。一体、どれほどの苦しみを味わっているのだろうか。
胸が痛む。
彼はこれからどうやって生きていくのだろうか。否、彼だけではない。この事件で親を失った子どもは他にもいるはずだ。
最低限生きていくのは、町の人々や王国が支援していくことになるが、親という存在はもう2度と戻ってこない。
ゼロは、拳を強く握り締めた。
そして、少年の耳元でこう囁く。
「俺と一緒に来るか。お前に、強さを教えてやる」
もしここで少年が拒否していたら、運命は変わっていただろう。
だが、少年は拒否しなかった。ゆっくりと、自分の中に渦巻く様々な感情を飲み込むように頷いた。
涙を拭い、先行するゼロの後ろを着いていく。
ゼロは先ほどの場所に戻り、少年を連れて行く旨を話した。そこで、ゼロは少年の名前を聞く。
ガイア・ユーストゥス。それが少年の名。
こうして、ゼロはガイアの親代わりとなった。
これはまだきっかけにすぎない。
物語が動き出すのは、まだ先のこと。