気を引き締めて
時間を無駄にしてはいけない。
もはや午後、いくら時間があるとは言え、テトラの宿の都合もある。
僕がいては色々と邪魔だろう。
「じゃ、突然ですがこの辺で失礼します」
道端で、隣を歩くテトラに話しかける。
これ以上、ぐだぐだと引き延ばしてはいけない。そう思った。
出来るだけ気負わせないように、静かに。それでも大事なそれだけは伝えられるよう、ハッキリと口に出す。
「ヘレナさんを社会参加させること、簡単ではないでしょうが頑張ってください」
「……当然よ。今度からはきっちり働いて貰おうかしらね」
テトラは腕まくりをするように、気合いを入れた。
本来であれば、人の社会参加など放っておいてもいい。
小屋にいようが山に籠もろうが好きにすれば良いのだ。他人が口を出すことじゃない。
けれど、ヘレナは脱税という経済犯罪に無自覚だが手を貸していた。
他の街が真面目に税金を供出している中、この街は不当に利益を得ていたのだ。これは、この国の他の街に対する裏切りと言ってもいい。
主犯ではない。だが、大事なポジションだった。
それだけではない。ヘレナは自分の恋物語のために親友を危険に晒した。
だから、責任は取らせなければならない。
馬車馬のように働けなどとは言わない。自らの力量なりでいい。働くべきなのだ彼女は。
連れ出すのをテトラに一任するのは申し訳ないが、他に口を出せる人が恐らくいないのだから仕方が無い。
「すいません。あとは丸投げするようで申し訳ないですが……」
「気にしないでよ。今回も私は何も出来なかったんだから」
笑顔を作り、テトラは続ける。
「それに、いい加減ヘレナにも現実見せないとね。自分の食い扶持ぐらい、自分で稼がせないと」
「ふふ、真っ当な手段でお願いしますね」
言い終わると、少しの間僕らは見つめ合った。
テトラを見つめると、威勢のいい商人達の声が聞こえなくなる。
「では、また」
「ええ。また会いましょう」
そして視線を切り、振り返る。
仰々しい別れの言葉は必要ない。会おうと思えばまたすぐ会えるのだ。
僕らは互いに背を向け、歩き出した。
僕は森へ、テトラは街へ。
ここからは、新しい街の新しい友達が上手くやってくれる。
背中越しに、僕はテトラの成功とヘレナのこれからを祈った。
森を走る。
今日はハクに合せてではないし、街道を走らずショートカットできるため速度が出せる。
一昨日の感じからすると、全力で走れば今日の夜にはイラインに着くはずだ。
……気付けば、一日で四百里を駆けるという前世では考えられないことをしている。
それが当たり前のようになっている自分が、少し可笑しかった。
今回の移動は、取り立てて何を言うほどでも無い。
たまに遭遇する魔物や獣は簡単に追い払えるし、今収集すべき薬草もない。
ほぼ走ることに専念出来るのだ。
陽が沈み、辺りが闇に包まれるころ、僕はイラインへと到着した。
門の逆、東へと振り返り、その先を見る。
クラリセンの辺りは、もう夕焼けも見えないだろう。テトラは宿を取れただろうか。ヘレナの所に泊まっているのかもしれない。夕ご飯は、彼女の分まで用意しているのだろうか。
なんだ、僕はまだ心配しているのか。未練がましいことだ。
僕はその心配を、苦笑して打ち切った。
数日離れていた自宅へ戻ると、いつもの殺風景な部屋が僕を迎えた。
中は木の床に石の壁、それだけだ。
いい加減、家具も増やさなければならない。
この家を手に入れて、まともに使ったのは一週間程度。そして一日のうち大半が探索のために留守になっている。
そのため中はまだがらんどうで、薬草や本などの荷物と、寝るときに使っている毛布が一枚、隅に丸まっているだけだった。
ここから何か揃えるとしたら何がいるだろうか。
僕は頭の中でいくつか候補を挙げていく。
机と椅子? いや、別に物を置くなら床で構わない。誰かを招くわけでもないのだから、談笑するスペースを作る意味など無いだろう。
本棚? 本が増えれば必要だろうが、僕の手元には治療師の聖典と、あといくつかの本草学の本があるだけだ。整理するほどはない。
ベッド? 毛布一枚あれば良い。それだけで、森の中で暮らすよりも大分上等だ。
衣装ケース? 衣服など、同じサイズ同じ色のカッターシャツとズボンのセットが何枚かあるだけだ。隅に畳んでおけば良い。
物干し? 乾燥など、魔法で事足りる。
……困った。必要な家具が、無い。
普通の人の部屋はどうなっているんだろうか。そもそも、そんなに家具が必要なのだろうか。
僕は頭を悩ませながら、殺風景な部屋を見回す。
そして、腹は決まった。
疲れている頭で考えても無駄だろう。
必要になったら考えれば良い。必要になったら、買おう。
そう、早々に考えを打ち切って、僕は毛布に包まった。
部屋の中へ差し込んでくる光で目が醒める。
小さな鳥の鳴き声が、部屋の中まで響く。外ではもう人が活動しているらしく、何処か遠くで人の声がしていた。
僕は欠伸を繰り返しながら、今日の朝ご飯について考える。
いつものように、虫か魚でも捕ってこようか。いや、干し肉が何処かに入っていたかも知れない。そう思い、荷物を漁ると紙に包まれた掌大の干し肉が二枚見つかった。
これでいいや。
もそもそと干し肉を囓ると、固い繊維が口の中で引き千切られ、肉の旨味が沸いてくる。
だが、汁っ気が足りない。口の中の水分も全部持って行かれる気がする。
肉を飲み込み、水筒の水を一口含むと、寝起きの口の中が初めて潤った気がした。
……しかし、なんだろう。何か、味気ない気がする。
美味しいんだけど、何か物足りない。
溜め息が零れる。
これは、あれだ。この二日間ちょっとで、クラリセンの料理に慣れてしまっているのか。
もう一度溜め息が出る。
やれやれ。これで散財を始めないように、自制しないといけないなぁ。
今日ぐらい休もうかと頭に浮かぶが、そうも言っていられない。
というかそれで休むと、へたに蓄えがある分、そのままずるずると休み続けてしまう気がする。
自分を叱咤し、無理矢理立ち上がる。
そして小屋を出て、街を歩き始めればいつも通りやる気になっていた。
この気分が消えないうちに、何か依頼を受けてこようかな。
簡単な奴でいいや。
「カラス様、連絡事項がございます」
手軽に終わる薬草採取の依頼箋を手に受付へ向かうと、受付嬢からそう声がかかった。
「はい、何ですか?」
何だろう。というか、誰だろう。知り合いの少ない僕に連絡するというのは限られている。
石ころ屋の人ならニクスキーさんが直接来るだろうし、他は……。
「ギルドからでございますが、フルシールの剥製が完成しました。一週間後の公開競売にかけられる予定となりましたので、よろしくお願いします」
「あ、ああ、はい。よろしくお願いします」
なんだ、狐の件か。僕はぺこりと頭を下げながら、内心苦笑した。
「カラス様は、出品者の一人として参加することが可能です。こちらの証書をお持ち頂いて、提示頂ければ入場出来ます。強制ではありませんので、どうぞご随意に」
差し出された茶色い金属の薄片には、いくつかの印と番号が書かれていた。まるでキャッシュカードのようだ。
僕はそれを受け取り、鞄の中に差し込んだ。
「ありがとうございます。ちなみに、他に出品されるものとかはどういった物がありますか?」
「そうですね。通常ですと、絵画や彫刻、それに同じく魔物の素材やそれを使った作品などが多いでしょうか。それでも、このフルシールは今回の目玉になりますが」
「……そうですか……」
僕に欲しいものが何かあるだろうか。それこそ家具とか出てくれれば、今回揃えても……。
いや、駄目だ。そんなに高価な物を使って贅沢してどうする。
そもそも要らないんだから、買うべきではない。
頭を振って、その考えを打ち消した。
「連絡事項は以上です。では、こちらの依頼の受け付けをさせて頂きますね」
「お願いします」
ギルドから出て、依頼に取りかかる。
銀貨二枚程度の依頼だが、すぐに終わる分面倒が無くて良い。
その日は夕方前には、家へ帰ることが出来た。




