明日の約束と今夜の食事
しんと静まった小屋の前で、レイトンが一つ息を吐き、宣言する。
「では、ヘドロン嬢にカラス君、ここからもう解散でいいよね。ちなみにあの宿は明日の朝まで取ってあるから、自由に使っていいよ。以上、お疲れさま」
「え、ちょっと」
慌てて止めるテトラに、レイトンは首を傾げた。
「何? もう用事はないよね?」
「いや、も、もっとこう、何かあるでしょ!?」
「ぼくとカラス君がやることはもう無いよ。あとはキミが、ヘレナ嬢を正しく街の活動に参加させるんだね。それが出来れば、もう本当にこの街でやることはない」
ヘレナを生かしておく理由は、確かにそうだったはずだ。
今まで街の活動に参加していなかった彼女に働いて貰えば、多くのリターンが望める。そういう話だったはずだ。
「たしかにその辺は、テトラさんに頑張って貰うしかなさそうですね」
彼女、他の人の話とか聞くんだろうか。テトラの話すら聞かない気がする。
「いやいやいやいや、あんたたち、あの子あんだけいたぶっといて、それしかないの?」
「ぼくはただ事実を言っただけだよ。カラス君に到っては、キミのことを慮って今の気持ちを尋ねただけさ」
「だって、ねえ? 慰めるのとかは違いますし……」
次の恋を探そう、とか言えるような雰囲気じゃなかったし。
それにしても。
「テトラさんだって、あんまり深刻そうに見えませんが?」
「いや、まあ、何というか……途中から、ちょっと冷めた目で見ちゃったというか……」
目を逸らしながら、テトラはもごもごと言う。
「悪い男に引っかかっただけだってわかったら、なんか助ける気もあんまり……」
「他人の色恋沙汰なんてつまらないもんだもんね」
ケラケラとレイトンは笑い、そして、ニッと笑った。
「じゃあこれで、邪魔者は消えるよ。もう敵はいないし、仕事もない。ヘレナ嬢もしばらく出てこないんだから、ヘドロン嬢は暇だろ? カラス君に、街を案内してあげたらどうだい?」
突然、レイトンはそんなことを言いだした。
街の案内、ねえ。観光も中途半端だったし、ちょうど良いかもしれない。
「いいですねぇ」
僕がそう言うと、テトラはぴょこんと跳ねるように反応した。
「じゃ、じゃあ……」
「あ、でももう日も暮れますし、明日でも……」
日没も近い。どうせ観光するのなら、日中に回って楽しみたい。
そう思い、明日頼もうかと思うと、テトラの顔が固まった。
「……そうよね! じゃあ明日……」
「だと、もうヘレナ嬢とお話し出来る機会が持てるんじゃないかな」
レイトンがそう口を挟むと、テトラが肩を落としたように見えた。
「いやいや、それぐらいで諦めないでよ。もっと食い下がればいいじゃん。 理由なら、夕飯の食べ歩きとか夜の楽しみとかいくらでもあるし。明日誘う分だってね」
「あんたに助言されるのもなんか腹立つわ……!」
しかしレイトンの言葉にいきり立ち、テトラは地団駄を踏んだ。
仲よさそうで羨ましい。
「まあ、その辺も別にぼくは関知しないよ。もう自由時間なんだ。好きにやってくれ」
「レイトンさんは、どうするんですか?」
「ぼくはしばらくこの街をうろついたら、ゆっくりイラインへ帰るよ」
「じゃあ、またイラインで会うかもしれませんね」
僕も適当にイラインへ帰ろう。やはり僕の帰る街は、あそこだ。
帰って自分の家でゆっくり寝たい。
「ヒヒヒ。次に会うのがイラインだと良いけどね」
「……なんですか、また」
仕事は終わりと何度も言っておいて、今度は何だろうか。
「なんでも無いよ。じゃあ、また」
そしてまた僕の疑問には答えず、踵を返した。
しかし二三歩歩いてから、もう一度レイトンは振り返る。
「ああ、そうそう。ハクは適当に帰しておくから」
「あれ、勝手に帰れるんですか?」
「それなりに戦える騎獣だからね。特定の合図で貸し馬車屋に戻るのさ」
「便利ですね」
片道だけ使うということも出来るのか。なるほど、返しに行かなくても済むのは簡単で良い。
そう僕が感心していると、もう本当に用事は終わりらしい。短い挨拶をしてレイトンは姿を消した。
二人残された小屋の前、レイトンとの別れの挨拶中に黙っていたテトラが、意を決したように口を開いた。
「あの!」
「え、ああ、はい」
僕は面くらい、少し身構えてテトラの方を向く。
テトラは服の裾を握りながら、そして目を逸らしながら言った。
「明日! 街を案内してあげるから、宿屋の前で待ってなさい!」
「ええと、わかりました。ありがとうございます」
先程の話の続きか。
明日明るいところを案内してくれると言うのであれば、ありがたい。僕は深く考えずに了承した。
だが。
「どうせ同じ宿に泊まりますので、待ち合わせとか必要ないんじゃないですか?」
「雰囲気が違うのよ!」
それを言うと何故か怒られたが、不快な感じはしない。何故か笑いが込み上げてきた。
しかし派手に笑うとまた怒られそうなので我慢だ。
どうせなら、先程のレイトンの言葉も一考しよう。
「じゃああと、今から夕ご飯一緒しましょうよ。まだ、僕食べてないの一杯あるんですよ」
食べ歩きは中途半端に終わったのだ。
まだいくつか、具体的には温めた牛乳のような匂いのドロッとした飲み物とか、パリパリとしてそうな薄焼きのパンだとか、色々と食べたかった物が残っている。
「し、仕方ないわね。付き合うわよ」
それを出来るだけ多く食べたい。出来るだけ多くの種類を。
快く了承してくれて、何よりだ。
「げ、限界……。もう無理、無理……」
「ええー? まだいけますって」
深夜に近付く頃、僕らは終わり際の屋台街にいた。
もう看板を仕舞っている店も多く、人ももう帰ってしまっている。
だが、まだ食べられる店はある。
二十程度並ぶ屋台を端から食べていって、まだ一番端まで到達していないのだ。ここで終わるのは中途半端だろう。
「あんたとお腹の容量を一緒にしないで……」
「まだ僕はもうちょっと入るんですけどね」
色々な種類を食べたいと、テトラと分け合いつつ食べてきたが、男性と女性の胃の内容量を考えていなかった。その結果が、これだ。
テトラは少し青い顔をして、時たまお腹をさすっている。
まあ、これで満腹ならば仕方が無いだろう。
「あと四店舗……どうするかなぁ……」
「やめときなさいって……。あたしと同じくらい細いのに何処に入ってんのよ……」
どうしようか悩んだが、これ以上テトラを付き合わせる訳にはいかない。
忠告通り、今日はこれでやめておこうかな。
宿屋へ向かう道中は、月もなく暗闇だった。
「うぅ……気持ち悪い……」
「なんか、すいません」
付き合わせた僕のせいだが、テトラの体調が絶不調になっている。
時折立ち止まり、俯く彼女の背中をさすりながら、僕らは宿へ歩き続けた。
「食べ過ぎに効く薬草とか持ってれば良かったんですが、あいにく持ち合わせがないんですよ」
「そこまで用意してたら、さすがに怒ってたわ……」
凄むテトラの上目遣いも、力が無かった。
歩いていると、意外な人物と行き違う。
「あ」
「……何?」
僕が思わず上げた声に反応して周囲を窺うテトラを引き寄せ、民家の壁まで押しやる。
「ふぇえええ、ああああんた、何を!?」
「黙って。ヘレナさんが歩いてきてます」
僕の腕の中で文句の叫びを上げながらも、力なく固まるテトラを黙らせる。
道の奥、視力を強化しないと顔が見えない距離の所を、ヘレナが歩いている。曲がり角を曲がれば、町長の邸宅に向かう道となる。
「外に出たのね?」
「町長宅の方へ向かっていますね。レイトンさんの言葉を信じなかったのか、それとも確かめに行くのか……」
どちらにせよ、これから町長の死を知るだろう。そこからが、テトラの仕事の始まりだ。
彼女を励まし、街のために働かせる。方法については任せるが、きっと何とかなるだろう。
「明日から、よろしくお願いしますね」
「……頑張るわ。そうじゃなきゃ、あいつに殺されちゃうかもしれないしね」
そう、それはヘレナ自身の命を守るためでもある。
彼女が正しい判断をするのを望む。レイトンの言葉はそういうことだろう。
そこで僕の思考が一瞬止まる。
そうだ。そうじゃなかったらどうなるのだろう。
彼女が正しい判断をしなかったのなら、どうなるのだろうか。
「……え、ええっと……」
咳払いをするように、腕の中のテトラが存在を主張する。
そういえば、抱き寄せたような格好のままだった。
「あ、すいません。もうよかったですね。失礼しました」
「……あ……」
僕が腕を放し離れると、テトラは短く声を上げて軽く手を動かした。
文句でも言いたいけど言えない、そんな感じだろうか。気を遣わなくても良いのに。
「そういえば、気分、どうですか?」
「……今は平気」
一言そう言って、テトラはそそくさと歩き出す。
そしてそこから宿に帰るまで、会話らしい会話もしなかった。
気を悪くさせただろうか。申し訳ない。




