お祝いしよう
「はーん、お前がねぇ……」
「あ、お前馬鹿にしてんな?」
三人の少年たちが並んで座り、それぞれ前にある椀を匙で掬う。
汁の中、野菜と共に浮かぶのは、小麦の皮で包んだ饅頭。彼ら労働者にとって、豪華ではないが少しばかり『張り込んだ』食事だ。
エッセン王国副都イラインの五番街。工房街であるその街の食堂は、昼飯時になれば大抵混む。
今彼らがいる食堂もその通りで、昼飯時には工房で働く職人たちにとっていくらか贅沢な食事を提供していた。
リコとハイロ、そしてモスク。その三人は今日たまたま五番街で行き会った。
そしてたまには一緒にご飯を、ということでリコが誘い、ハイロも珍しく乗ってきたというわけだ。
食事中、彼らが話すことは何も物珍しいものではない。
同じくこのイラインに住居を構える三人ではあるが、しかし職場はそれぞれ違う。ならばその近況を報告し合うのが常であり、平たくいえば『最近どうよ?』というごく簡単な話になる。
リコもモスクもほとんど変わりはない。
リコは仕立屋。既にその中堅どころ。彼女の勤める工房『麗人の家』では既に彼女個人に発注がかかる職人となっており、しかしそれ故に変わったことなどはない。毎日いつものように針仕事だ。大抵は規格化された下着などを縫い、依頼を受ければそのように意匠を考えた服や装飾品を作る。最近は宝石の加工にも手を出し始めたが、まだまだ熟練とはほど遠い。
建築職人であるモスクも同様だ。
あと数年もすれば副都ミールマンで店を開こうと考えてはいる上、開けるだけの軍資金も貯まり人脈も築きつつある。
だがそれ故に、世話になった工場の建て直しと協力に勤める日々にたいした発展はない。
実直な二人。何かしらの事件などそうそう起きることはなく、平坦な日々だ。
故に、何かしらが起きるのは、彼ら三人のうちでは一人、ハイロだけ。
少し前、今にも戦争が始まるという中、ハイロは騒ぎを起こした。
起こしたのは乱闘騒ぎ。
彼自身参加していた、いくつかの工房や職場における新人や新米たちの相互扶助の場で、喧嘩をしたというもの。
彼の業種は曖昧だ。今はここにいないカラスに聞けば、『御用聞き』という分類になるだろう。契約している工房や商店の間を一日飛び回り、商品や資材を確保し流通させる。
ある工場で釘が足りないとなればどこかの鍛冶師に働きかけ、また野菜などの仕入れに不足があると相談されれば別の店や農家からかき集める。
それに加えて、手紙のやりとりといった郵便事業や、料理店や宿の予約などの簡単な雑用まで。
物資や情報の流通を担う彼の仕事は、彼の店の親方が独自に考え出したもの。
それ故にまだ、名前のない仕事であった。
そして物資や情報の流通を担う仕事だからこそ、彼のような者にはとにかく信用が必要だ。
喧嘩をして、更に別の店の店子に怪我させるなどありえない。
更に、貧民街の者と付き合いをしているなど以ての外。
だが彼はそれをやってしまった。
酒の席で喧嘩をし、後々まで残る怪我をさせ、更に貧民街出身であるカラスと関係があることを周囲に示した。
故に懲罰を受けていたのだ、彼は。
彼の店の親方から直々に。
ほとぼりが冷めるまで人前に出さないことを兼ねて、事務的な内勤をさせ、更にそこで『字』というものを学ばされた。
それも既に半年以上。ハイロにとっては辛く苦しい日々だった。
この国の識字率は高くない。瓦版や街頭に張り出された官報を代わりに読み上げる、代読屋。もしくは文章を代わりに書く代筆屋という職業が存在出来る程度には。
そんな中で、自他共に頭の程度が悪いと思われている彼にとって、とても苦しい日々だった。
彼にとって、字など絵に等しい。
表音文字であるエッセンの文字は数こそ百には満たないものの、端がくるりと丸まっているだけで発音が変わったり、続く文字や前の文字によって発音が変化することもある。
無論、この国で暮らし、普通に会話が出来る以上、文法については問題がない。言語学者ほど厳密には分類出来ないが、その程度ならば。そんな有利はあったものの、しかし生来の物覚えの悪さは筆無しと同僚にも馬鹿にされるほどで、やはり苦しいことには変わりない。
職場内の雑用をこなしつつ、また書類などの分別を手伝いつつ、先輩に文字を習う日々。
ハイロに文字を教えていた先輩すらも嫌気が差す程度の長い時間をかけて。
それでも最近それは成った。
ようやく先輩、それに親方に出された試験に合格し、もうすぐ外回りに戻れる日々がやってくるのだ。
「外回りは九番街辺りになるから、しばらく仕事中に会うことはないかもな」
「ふうん」
興味なくリコは椀から匙を口に運ぶ。
食堂の料理の味は、いつもは外の屋台で売りに出されている貝焼きや茹で牡蠣などで済ませている彼女らにとっては、やはり慣れないものだ。
少し俯いて、耳の横に落ちた栗色の髪の毛を耳にかける。うざったい、もう切ってしまおうか。
「じゃ、お祝いになんか奢りましょうか?」
モスクは椅子から少しだけ仰け反るようにして、壁に貼られていた献立に目を向ける。
そこには今日出せる献立が短冊に書かれていくつか。職人街であり、昼食の時間も限られている以上あまり手の込んだものはないが、しかしいつもは彼らが食べない品目が並んでいた。
モスクの言葉にハイロは短く息を吐いて笑う。
「おいおい、この程度でお祝いかよ。まあありがたくもらっておくか」
「好きなの言ってくださいよ」
「いいねそれ」
リコがモスクの意図に気がつく。そもそもからかう気などは無いが。
そして気がつかなかったハイロは、並ぶ文字を見て僅か首を傾げた。
大量に並ぶ文字。大量に並んだ、絵。
「で、どれっすか?」
「えーと……あの、右から二番目のやつ」
「だから読めよ」
「……。……小牛の煮込み」
「豚だよばか」
リコの訂正にモスクはケタケタと笑う。
ハイロは赤面しつつ、『これだから利口な奴らは』と唇を尖らせた。
料理の湯気で眼鏡を曇らせながら、モスクは口の中のものを飲み込んで顔を上げる。
「そういえば、会えないっていうと、俺たちしばらくこの街からいなくなりますんで」
「俺たち?」
「あ、俺も。そういえば……お前は聞いてないんだよね」
モスクの言葉に、リコは自分の頭の中から『その事』について抜け落ちていたことに気がついた。
『彼』が知らせを送ってくるということは、当然自分とモスク、それにハイロにもと思ってしまっていた。
「カラス君、結婚式挙げるっていうからさ。ちょっとお呼ばれしてて」
「……はぁ!? 結婚!?」
ハイロの声が食堂に響く。両脇に座る二人の友人は、知っていた様子で落ち着き払っていることにまた動揺して。
「え、いつの話?」
「一月後かな。俺たちの往復分の旅費とか道中の護衛まで手配してくれるって手紙が来てて」
「結婚に関しては戦争の後に聞いてました」
は? と動揺したまま、戸惑いにハイロは両脇に視線を行き来させる。
聞いていなかった。もちろん、『そういうこと』は向こうから言ってくることもないだろうと覚悟していたのだが。
「お前は……まあ、来れないっていうか、合わせる顔がないだろうけど……」
「うんまあ、それは」
そしてリコの言葉に視線が泳ぐ。
もちろん、向こうからそういうことを言われることはないと覚悟はしている。
しかし少しばかり精神的に動揺はしていた。
カラスを狙った暗殺者に、リコが大怪我を負わされた件。あのとき自分が怯え一歩退かなければ、自分にもその知らせは来ていただろうにと罪悪感を覚えつつ。
「……そうかぁ……はは、……」
「……何か手紙でも書く? 持ってってやろうか?」
「いや、まあ、いいよ」
うん、と無意味に頷きながら、リコの申し出をハイロは固持する。
祝ってやりたい気持ちはある。
だがこちらから絶交を申し出た相手だ。今更こちらから謝って関係を修復するのは何となく気恥ずかしい。だからといって、向こうから言わせるのも違うとははっきりわかっているのだが。
「いっそ付いてきますか?」
モスクは招待状を思い返す。
明らかにカラスが書いた文字ではない綺麗な文字で。定型句のようなものが書かれた招待状。
きっと、少しばかり客が増えてもあの男は気にしないだろう。
その文末にあった違う字体。『どなたもどうかお越しください。けっしてご遠慮はありません』の意味は、きっとそのようなものではないだろうか。……カラスの字はもっと汚かったはずではあるが。
「…………」
ハイロは首を横に振ろうとし、振りかねて黙る。魅力的ではあった。
めでたいその席で、直接顔を合わせる。謝って許してもらえるとも思えないが、しかし自分自身を謝らせるのにはちょうどよい強制力。
その結果また怒らせたとしても、それはそれで納得のいく機会。
リコはまた一口饅頭を口の中で噛み砕く。
「俺はどっちでもいいけど。決めるなら早くしてね」
「……いつ出るんだ?」
「十一日後の予定」
旅程も考え、その程度のはずだ。
道中はカラスが手配した信頼出来る探索者が警護してくれるそうで、その上で急がず彼のいう『旅行』とやらを楽しみつつ向かう手筈。
モスクも頷く。
「まあ、準備もあるんで、行くなら早めに言ってくれると助かります」
「……おう」
急かされるように重ねられた言葉。
それに悩む時間を稼ぐように、行儀悪くハイロは椀に直接口をつけて汁を啜った。
工房に戻ったリコは、自分の席に戻ると同時に声をかけられた。
「ちょっと」
自分の姿を認めると同時にこちらに歩いてきた様子。ならば、待っていたのか、と内心罪悪感を覚えつつも、いいかしら、と声をかけてきた親方を見返した。
「はい」
見上げる長身。座ったままではあるからリコが見上げるのは当然なのだが、しかしそれ以上に男性としても高い背。その上で細身で、手足や指がすらりと長いのはきっと彼の美観の点で優れているところだろう。
「リコちゃんの休みの申請、この工房の中の仕事はさっき調整出来たから受理はするんだけどね」
親方は持っていた書類の束を捲る。書類に絡みつくような長細い指。爪に塗られた白い塗料は艶やかで、埋め込まれるように固められたごく小さな飾り玉は彼自身と同じく飾り気に満ちている。
紫の混じる赤い口紅が塗られた唇を開く。
「それまでに大丈夫? 貴方個人の仕事ぎっちぎちになってるんだけど」
「やっぱり……ですよね?」
はは、とリコは苦笑して机の上の糸屑を払い落とす。
リコもそれは知っていた。
彼女は今、この工房の稼ぎ頭の一人だ。一番街の貴族から、また他の副都から、はたまた今現在立ち入り禁止になっている王都から、仕事の注文が度々来ていたほどの。
注文元がこのイラインや近隣の街であれば、リコ本人が出向いて採寸して相談して一着を作る。遠方の貴族たちからは、彼らの等身大の簡易な木像を送りつけられ、その木像にあう大きさの服を注文の通りに意匠を考え作り上げる。
工房でとりあえず作られる量産品ではない。当然のように値段は跳ね上がり、量産品の下着が一着銅貨一枚ならば、注文品は銀貨、下手すれば金貨が数枚飛び交うことになる。
そしてそれをいくつも既に受けていた、というのが問題の話。
とりあえずすぐにかからなければいけないのが三件の貴族から。今朝一着納品を終えたことで気が緩んでいたが、依頼された服や手袋などは他にもまだまだ存在する。
場合にもよるが、彼女は型紙と生地さえあれば礼服一着程度二日で仕上げる。だが残り十一日で残りの仕事全てを仕上げるとしたら、いくつも同時並行で済まさなければいけない。
それに、もう一つ。
「靴は諦めたら?」
「一番諦めたくないやつです」
貴族や豪商からの仕事。それも重要だが、また一つ重要なものがある。
カラスへの結婚祝いの品。何にするか悩んだのだけれども。
通常は花や食物にするらしい。もしくは親しい間柄ならば、お祝いの言葉だけでも充分なのだろうが。
「大丈夫です。俺結構慣れてきたので」
けれどもリコは決めている。カラスへの結婚祝いは、新しい靴だ。
革靴。予備の、ではない。以前彼から受けた仕事で作った靴よりも、もっと良いものを。履き替えられる良いものを。
自分が彼にしてあげられることは、きっとそれくらいなのだから。
貴族たちからの依頼は多く、手が回らない。
けれども回さなければいけない。それを最優先で。
そして、最優先は他にも。
「じゃ、花嫁衣装のほうくらいは今からでも断っちゃいなさいよ」
「いえいえ。それくらいは」
かからなければいけない一つは、まさにそのカラスからの依頼だ。
『花嫁衣装を作ってほしい』。出来ればというが、ならば自分が断らないことは知っているだろうに。
人生の門出に。二人のこれからの幸せな日々を願う式で、カラスは自分の作った衣装を使いたいのだという。カラスの相手は貴族の令嬢と聞くが、しかしその御用職人を差し置いてまで。
そのような名誉を、人に譲るわけにはいかない。
以前から受けていた貴族たちからの依頼。
それに友人への贈り物。
少なくとも前者は出立前に仕上げなければいけない。どのみち最後の調整が必要な後者は未完成のまま別の便で送るのだからまだしも、前者を出先で作るのには丁寧には出来ない。
だから、これから忙しくなることはリコにはわかっていた。
大変だろうと自分でも思う。
けれども、嫌ではない。ほんの僅かに自然と笑みが浮かぶ程度には。
ふう、と親方はリコのその様子に溜息をつく。
話して聞く子ではないと彼も知っていた。少なくとも、『友人たち』に関しては。
「ま、体壊さない程度に頑張るのね。発注した生地は届いてるわよ。手が空いてたら裁断と裏地くらいは手伝ってあげるから言いなさいな」
「ありがとうございます」
その程度ならば、リコの手ではないと注文元にもバレないだろう。
もっとも、その裁縫の妙までも読み取る洒落者などそうはいないのだが、と親方は内心呟く。
さあてしばらく徹夜だぞ、とリコは指を鳴らし、自分の席に戻る親方を見送った。




