小さな秘密
問い質すように、真っ直ぐにレイトンを捕らえるヘレナの視線。
その視線を楽しそうに受け流しながら、レイトンは静かに言う。
「この街の周囲に出没していた魔物に、彼は丸呑みにされていたよ」
「嘘、そんなことあるはずがないじゃない。嘘、嘘よ」
自分に言い聞かせるかのように、ヘレナは呟く。かさかさした唇が流暢に動いていた。
「そ、そもそも、誰よ、貴方! いきなり来て、何なの?」
「覚えてないかな? 朝来たんだけど」
「朝、私と一緒に来た探索者よ。私が依頼」
紹介しようとするテトラの言葉を遮り、大きな声でレイトンは自己紹介の言葉を口にした。
「レイトンというんだ。朝、キミに事情を聞きたいと思ってヘドロン嬢に案内を頼んだ探索者だよ」
「た、探索者。なら、あの魔物を始末するなんて依頼は受けないはずよ!?」
「へえ、それはどうしてかな?」
「……!」
切り返したレイトンの言葉に、ヘレナは言葉を詰まらせた。
「探索者が受けられない依頼、そんなものは無い。受けない依頼ならばあるよ。嫌いな相手から出された依頼、そして割に合わない依頼。厳しい条件にも関わらず、旨味の少ない依頼は皆受けたがらないね」
目を細めながら、レイトンは続ける。問い詰めるように、口を挟ませないように滔々と続ける。
「じゃあ、もう一度聞こうか。キミは何故、トレンチワーム退治の依頼を受けないなんて、断言出来るのかな?」
「そ、それは……」
気おじするヘレナに、レイトンは畳みかけた。
「キミは知っていたんだよ。探索者ギルドへは、町長の手が回っていたって。残念だったね。先程町長は死に、そして魔物も死んだ。キミらの秘密のお遊戯はお終いだ。これからは、真っ当に人と関わって生きるんだね」
「え、偉そうに、な、なんなのこの人、ねえ、テトラ!」
「……私からも説明が欲しいわね。秘密のお遊戯ってのは、どういうことよ?」
ヘレナに向けられたテトラの視線。その視線に恐怖を感じたのだろう。
逃走の姿勢を取り始めた。
「し、知らない、何のことかわからないわ」
そう言いながら、ヘレナは後退り、小屋の中へ戻ろうとした。まるでカタツムリが殻に入っていくように、扉を閉めて身を守ろうとしていた。
しかし、それは駄目だ。
この事件で、レイトンしか知らないこと。それを言わせるためには、きっとこの場にヘレナがいなければならない。
そう思った僕は、先回りし扉を閉める。パタンと閉じられた扉に、ヘレナは背中をぶつけた。
「なな、何するの!?」
「すいませんが、僕らも事情を知りたいんですよ。テトラさんも、僕も。だから、貴方を逃がすわけにはいかない」
そう僕が言うと、睨み付けていたはずのヘレナは目を逸らした。
「ヘレナさんからの説明は望めなさそうですし、レイトンさん、説明をお願い出来ますか」
「いらない! いらない! あの人が、シガン様が死ぬなんてあり得ないもの! きっと、こいつは頭がおかしいんだわ! ねえ、テトラ、何とか言ってよ! こいつらをどっかやってよ!」
レイトンに向けられたヘレナの非難。それを笑い飛ばすように、レイトンは笑った。
「クヒヒ、自分にとって認めたくないことは、嘘。キミの世界観は簡単で良いね。ひょっとするとキミは、本気でキミにシガンが好意を持っていたとか思ってる?」
「え?」
「は?」
僕とテトラの声が重なる。僕らの時間だけ、止まった気がする。
「ああ当たり前じゃない! シガン様と私は、本気で愛し合ってたのよ!」
「ね、ねえ、ちょっと、ヘレナ? それはいったい……」
涙を薄く浮かべながら叫ぶヘレナに、テトラは小さく呼びかけた。しかしそんなものは聞こえていないようで、ヘレナは言葉を紡ぎ続けた。
「毎日手紙をお届けしたし、たまに顔が見えれば手を振ってくれたし、私のことを好きだって、頼りにしてるって言ってくれた!」
「その手紙に、返事が返ってきたことは?」
「忙しくてそんな暇なんて無いんだわ! あんたたちみたいな得体の知れない暇人と違って、街の運営なんて大事なお仕事をしているんですもの!」
「……その手紙って、もしかして、護衛の人たちに渡していましたか?」
僕がそう口を挟むと、怒りの矛先は僕にも向くようで、荒々しい口調でヘレナは答えた。
「ああの人は、忙しいのよ! も、もちろんそうに決まってるじゃない! 」
「ああ、はい……」
僕は何も言えなかった。
僕が殺した男達の部屋に積まれていた、未開封の便せん。それが恐らく、彼女からの手紙だろう。
怒りが収まらないらしく、俯き、唇を震わせるヘレナ。それを無視して、レイトンは僕とテトラの方を向いた。
「とまあ、そういうことだ。何のことは無い。ヘレナ嬢にとってこの事件は、片思いの男性と共有した秘密、という甘美な夢だったんだよ。出会ったのは父親の葬式辺りだろうね」
「いきなり、規模が小さくなった気がしますね……」
規模は小さいが、しかしはた迷惑な夢だ。
その夢のために親友のテトラが命を狙われ、何人もの人が死んだ。
彼女はそれをなんとも思わないのだろうか。
そこは、僕からも聞いてみたい。
「……では、ヘレナさん。テトラさんが町長に命を狙われていたのは知っていますか?」
「そ、そんなわけないわよ。シガン様はそんなことする人じゃ無いわ」
即座にそれを否定される。では、その証拠を見せればどうだろうか。
僕はテトラの横に歩み寄り、その腕を握った。
「ひゃ!?」
「失礼します」
そして、その袖を捲り、ヘレナに見せつける。その腕に巻かれた包帯には、まだ少し赤い血が滲んでいる。
「この怪我は、そのシガン様の部下に負わされたものです。ひどい内傷でしたよ」
魔法使いが負った内傷は、そんなにすぐ治る物じゃない。エンバーのような高位の者から受ければ別だが、通常なら例え法術を使おうとも、何日か何週間かは確実に残ってしまう。
テトラの腕にも、森で暗殺者から受けた内傷がまだ残っていた。
「だから、そんな嘘を吐いたって……テトラ?」
またもや即座に否定しようとしたヘレナだったが、やはり流石に親友の顔色は気にするらしい。言葉を止めて、テトラに確認した。
「え、あ、いや、……そうよ、本当よ」
少しどもり、一拍遅れてテトラも同意する。痛いのだろうか、僕が握った腕をチラチラと見ていた。
申し訳なくなり、僕は腕を放す。
「すいません、まだ痛かったですかね」
「そ、そうじゃないけど」
少し頭を下げると、テトラは黙った。
「て、テトラまで嘘吐いて、何よ。そもそも、私の魔物がシガン様を襲うわけが無いじゃない! デタラメ言って、何がしたいのよ!?」
「まあ、認めないならそれでも良いさ。今日の夜、町長邸で真実を知ると良い。もっとも今街中に行った方が簡単だけどね。なんせ、町長の死体が転がってるんだから」
「こいつ、まだ……!」
食い下がろうとするヘレナを、レイトンは視線で黙らせる。もはや、笑みはなかった。
「認めたくない、信じない、ならば何で証拠を見せないのさ。ただ『そんなわけない』『そんなことするはずがない』と喚いたところで、ただ滑稽なだけなのに」
「そっ、……」
「ぼくからキミへの話はこれでおしまいだ。ここからどう行動するかは自由だけど、石ころ屋としては正しい判断を望むよ」
そしてまた柔和な雰囲気に戻り、続けて僕たちに言った。
「ここでやる仕事もおしまいだ。疑問は解けたかな? カラス君」
「え、ええ……」
ヘレナが悲しむこと、それは想い人が、自分の魔物の被害に遭って死ぬということだった。
確かにもう避けようのないことで、そして町長による今後の脱税の防止にはこれ以上無い処置だ。
僕の疑問はたしかに解けた。少し苦い気持ちを残して。
そして、硬直していたヘレナが再起動する。
「わかんないわかんない! もう、あんた達みたいな頭のおかしい奴らに構ってると、私まで頭がおかしくなるわ! もう帰って! 街から出て行って!」
そう叫びながら、鍵のかかっていないはずの扉をこじ開けるように開いた。
「言われなくても、もう帰るよ」
「帰れ!」
そして、一際大きな声で叫ぶと、勢いよく扉が閉められる。
中から閂の締まる音がした。きっともう、しばらくは出てこないだろう。
先程までけたたましかった小屋の前が、突然静まりかえってしまった。
どうするんだろう、この空気。




