会いたい
無気力にだらんと力を抜いて、エウリューケは僕からも視線を外して首を逸らす。
見えるのは僕の足くらいだろうが。もはや指一本にも力を入れずに、まるで死体のように転がった。
「違うよ」
そして呆然としたように、口元すら動かさずにエウリューケは答えた。
「…………」
「ちゃうねん」
「……そうですか」
僕からしたら随分と自信ある説だったのだが。
しかし、そういうなら仕方ない。僕が納得するように言うと、逆にエウリューケは顔を中心に集めるように顰めた。
「いやそうなんだけどね」
「何で嘘ついたんですか」
そして逆に肯定する。
とても、とても嫌そうに。
ひゅうと流れる風の音に沈黙が紛れる。
そして髪の毛を散らばらせたまま、口元を歪めた。くるくる変わる表情。
「……んだよ。よくわかったじゃん」
「自分に関係しないことは、わりと考えられるらしいんですよ、僕にも」
「ケケケッ、ま、みんなそうよね」
表情は僅かに楽しげに歪めながら、それでも次の瞬間には、エウリューケは目元を引き締める。
誰にとも知れないなんとなくの憎悪を感じて、僕はエウリューケの言葉を待った。
「…………あたしはね、生まれてすぐに人を殺したんだよ」
「……?」
「殺した相手はあたしの母親。あたしは物心つくまで、じゃないや、物心ついてからもしばらく知らなかったけど、あたしを生んだせいで、お母さんは死んだ」
「……原因は?」
「知らない。聞いたところで答えてくれる親じゃなかったし、どうせ知らないよあの親父は」
……出産後の妊産婦の死因。とすると、産科出血が一番多かったっけ。日本ではほとんど起きなくなっていたし、そもそも妊産婦死亡率もほとんどないくらいに下がってたと思うけれども。
もしくは子宮により圧迫された血管から血栓が飛んでどこか閉塞したか、育児に疲れたことによる自殺とか。自殺はこの口ぶりだとなさそうか。
「お前が悪いんだ、ってあの親父には散々痛めつけられたね。ご飯だってちゃんともらえなかったし、寝るのなんてずっと外。火箸の火傷が痛くて痛くて、それもちゃんと寝られなかったなぁ……。さすがのあたしもちょっと辛かったよ」
憎しみの目はどこかへ向いたままで。
その父親に向けたものだろうか。そう思ったが、なんとなく違うと思った。その口が、自嘲に歪んでいるように見えたから。
「でもね、一番辛かったのは、みんなが家に帰ればいるはずの人が、一人いないこと」
まるで操り人形を吊った糸を引いて、起き上がらせたように。
そんな動きでエウリューケは不自然なままに腹筋だけで起き上がった。
もうこちらに顔を見せないように。埃だらけの編んだ髪を晒して。
「なんか羨ましかったんだよね。小さな街だったけど、他の子供にはみんなお母さんがいたんだ」
足を投げ出して、エウリューケは後ろ手に身体を支えた。その向こうには夕日になりつつある太陽が見える。
「カラス君さ、あたしのこと、変な人だなって思わない?」
「……どうですかね。変わった人だとは思いますよ。嫌な意味ではなく」
「うぃひひ。そう言えるのは、カラス君も変わってるからだよね」
ひひひひ、と忍び笑いを繰り返してから、エウリューケはぱたぱたと足を揺らした。
「みんなにはいたんだ。子供が泥だらけになって帰れば戸口で叱って、それでも笑って家に入れてくれるお母さんが。それで、ある日、あたしは羨ましくなって、やってみた」
「何をですか?」
「泥だらけになって帰ってみた」
「…………」
一瞬意味がわからなかったが、ああ、と僕は内心呟いて、その意味を理解した。
「もちろん親父にぶん殴られて、その日は家にも入れてもらえなかったけど。でもあたしは諦めなかった。冬の川に飛び込んで、森の中で猛獣を探して、服を変な色に塗って、みんなを落とし穴に落としたり、草を縛って足を引っかけたり、色々やって」
エウリューケは太陽から視線を外し、空を見上げた。
「そうすれば、いつか会ったこともないお母さんが『こらっ』って叱りに来てくれるんじゃないかなって思ってたんだよ」
「…………」
「もちろんそんなことしてもお母さんは来てくれなくて、代わりに怒鳴りつける親父の折檻は酷くなって、……そんであたしは、『変な人』が身についてた。やめられなくなってた」
ふう、とまた一息ついて、エウリューケは空に向かって息を吐く。
息が煙のように白く青空に消えてゆく。
「これが、あたしの身の上話。そんでもって、次が、……あたしが、やりたかったこと」
「研究の開始ですか」
「それはまだ先だけど、それはそうかも。あたしが聖教会に入ったときには、まだそんなこと考えてなかったんだけどね。そうね、そうね、どうしてお母さんが死ななきゃならなかったのか、わかんなくてね」
エウリューケが広げて伸ばした両手をひらひらと動かすと、そのたびに紙の束がどさどさと地面に落ちる。
どこからか転移させてきているのか、それとも今適当に複製したのか。
拾い上げたところ、少なくとも後者ではないらしい。闘気に触れても消えない普通の材質の紙で、どれも細かい字で何かしらの文章が書いてある。
これは、聖教会の論文か。それも見た感じ、妊娠もしくは出産に関するもの。
「まずは基本を勉強して-、そんでもって自由に研究出来るようになったら色々調べてみてー、なんてやって愕然としたよ。その論文見てみ? 『よくわかりませんでした』って書くだけで何枚紙使ってんだよバーカ」
「まあ……」
まとめればずっしりと重い何冊もの論文。
パラパラと捲れば、一応調べてはいる。産科出血らしきものや、中風……これは脳梗塞だろうか、そのような妊婦に起こるかもしれない重篤な疾患について。
だがたしかに、予防法もないし、出血は止めるだけ。まあそれは止めれば充分だが。生まれた子供の体重と妊婦の体重についての相関は、データだけ取って考察はほとんど無し。取っただけマシか。
「あたしは知りたかった。なんでお母さんは死んだんだろうって。人間社会ってさ、人間が作るもんじゃない? んでもって、人間が人間を生んで作ってるもんじゃない? 生き物が子供を作るなんて当然で、そんでもって一番大事なことじゃない? なのになんでそれで死ぬ奴がいて、それでなんで死ぬか誰もちゃんと調べてないわけ?」
風で散らばりつつあった論文の束を、僕は念動力で集める。
手に集まった紙は、日に焼けずに白いままだ。
「だから、じゃああたしがって思った。あたしが作るしかないんだ、って思った。誰も死なない方法。お母さんが身体を壊さないで、子供もちゃんと健康で生まれてくる最高の方法を、あたしが」
胸の前で掲げたエウリューケの掌の上で、うねうねと粘土のようなものが出現する。
いくつもの細かいもの。それぞれ形を変えていったそれは、内臓の形を取り、血管の形を取り、骨の形を取り、精巧に組み合わさって、最後に皮膚のようなものを被り人間の形になる。
「人体の構造は完璧に覚えた。どこがどんな機能で、どんな風に成長して、なんて、最初の二年か三年で理解したよ。さっきカラス君が言った人体の部品の製作も、それからしばらくして順々に出来ていった」
言って、でも、と粘土細工が握りつぶされる。
「でも、ばらばらの部品を組み立てて、繋ぎ合わせても動かないの。あたしが作った部品の質が悪かったのかなって思って、普通の死体でもいい感じのところを合わせてやってみたよ。でも、動かねーの。他の生き物を参考にしようかな、とか、何か他に足りない部品がないのかな、って人の身体を調べ直してやってみて、でもでも、ううう動かねーの!!」
泣きそうな声になって、ぐす、と鼻を鳴らしたが、泣き真似だろう。
「どんどん、人体の再現ばっか上手くなってったよ。でも出来なくて……それで、カラス君が誘ってくれた勇者召喚陣の解析をして、それで、ようやくあたしに足りないものがわかったんだ」
「それは?」
「『魂』の理解」
もう一度、ぐす、と鼻を鳴らした。
ふと、きらりと涙が見えて、それで僕もエウリューケが実際に泣いているのだと間違いに気がついた。
「あたしが作ったのはどれも肉の塊、肉人形。生きてなんかいない。構成してるものも構造も、栄養まで全部注入して再現しても、人間なんか一向に作れなかった。あの勇者召喚陣は簡単に『人間』を作り出している。あたしと同じように身体を作って、命を入れて、魂を吹き込んで心を書き込んで……」
一瞬黙り、エウリューケは多分強がるように笑みを浮かべた。僕からは背を向けたまま。
「心は魂にある。そしてその魂を、今のあたしじゃ理解出来なかった!」
「……それが、行き詰まりですか」
そして僕の問いには、素直に頷いた。
「この大天才美少女エウリューケちゃんにも、理解出来ないことがある。だから、また一から考え直そうと思ってさ。せっかくだからみんなにも……じゃなくて、みんなに考える頭があるか見てみよっかなと思って、あたしゃ研究成果をばらまいたよ」
「それがこの大惨事、ですか」
「そ。でもぜーんぜん駄目。聖教会はあたしが離れる前となーんにも変わってない! 聖典に書かれているとかいう真理とやらにこだわって、目の前にある事実から目を背け続けてる!」
跳ね起きるように立ち上がって、三歩前に進み、エウリューケは夕日に向かって屋根の縁に足をかける。
「神様なんていねーんだ! この街がこんなになっても、神様なんて出てこねーんだ! この目の前の『考えること』の山を見て見ぬふりをして、ぜーんぶ焼いて終わらせようとしてんだあの馬鹿たちは!!」
叫び声はどこかに届いているだろうか。近くの治療院か、もしくは病床に倒れている誰かに。
「みんな健康で笑っていてほしいだろーが! 病気治せるなら全部治してやりてえだろーが! 歯ないなら不便だろーが! ……生き返ってほしいやつだっているだろーが!!!!」
呼びかけているのは治療師、だろうか。それとも他の誰かだろうか。自分だろうか。僕にはやっぱりわからないけれども。
「何のために勉強してんだよ! 神様は何にもしてくれねえのに! 何がしてえんだ馬鹿野郎どもがよ!!」
……本当に、ぼくにはやっぱりわからないけれども。
叫びを終えて、ハァハァ、とエウリューケは息を整える。
そしてその後ろ姿を見つめていた僕に向けて、また口を開いた。
「……ねえ、カラス君」
「何ですか?」
「あたしたちで子供作らない?」
……。
僕はその言葉に動きを止める。
また言葉の意図を考えるのに時間がかかった。それから、これはきっと冗談の類いではないと思いつつも笑い飛ばそうとして、しかし出来ずに笑みだけをなんとか作った。
「実をいうと、あたしは他の人のものを観察したことがあっても、まだ自分のお腹で子供作ったことないんだよね。でも、きっと子供は作れるよ。身体も命もあって、心を書き込む魂が吹き込まれた子供を。実感すれば、観察すれば、あたしにもわかるかも」
「魂の存在が、ですか」
「どう? 協力してよ。あたしの一番弟子」
「…………」
自棄にでもなっているのか。
そう諌めようとしたが、きっとこれはそういうものではない。
口をついて出そうになった言葉をどうにかして止めて、僕は言葉を選ぶ。
「すみませんが、妻を裏切りたくないので」
「即答かよー!」
一番の理由はそれ。
そもそも浮気というものを僕はしたことがないつもりだが、ルルがそれを許してくれるとも思えない。きっとルルの知らない余所で子供を作るという行為は、浮気の最たるものだろう。僕もしたくない。彼女を悲しませるようなことは。
そして、それと共に。
「それともう一つ。まだきっと望みは消えていないから、ですね」
「望み?」
「さっきからエウリューケさんの話を聞いていて、『ちょっと違うな』と思ってたことが一つあって」
「どゆことよ?」
エウリューケが振り返る。
涙目もなくなり、真面目な顔も消え、なんとなく先ほどまでの天真爛漫さが見え隠れする顔で。
ふと蘇った好奇心、というものを見せるような顔で。
「子供、いいですよ。もうエウリューケさんが全部出来ることをやり尽くして、望みが消えたら。僕はエウリューケさんが好きですし、最後の手段でしたら協力してもいいかもしれません。でも、まだ消えていないと思います」
僕はエウリューケから視線を外し、振り返る。
王都の王城近くにある第一治療院。そこで先ほど僕が見てきたことを思い返しつつ。
「言ったでしょう? 先ほど『増殖人面疽』の意図を人体の再現だと推測したのは、僕ではないと」
ぽかん、と口を開けてエウリューケが僕の言葉の続きを待つ。
僕は小さく笑う。
今ここに関しては、きっと、エウリューケと僕は同じ場所にいるのだ。




