聞き逃せない言葉
驚き呻くギルド職員はそれでも職務を全うしようと、よろよろと立ち上がり、またトレンチワームに手をついた。
「こちらの犠牲者は……」
「あー、不幸な事故だったね。ぼくが見たときに何か食べた直後みたいだったけど……人間かぁ」
レイトンは素知らぬ顔でそう答える。
その顔には一切の憐憫も無く、ただ微笑みを湛えていた。
「誰か…治療師を……」
「無駄だよ。もう死んでいる」
思わず呟いた僕の言葉を、レイトンは遮った。
確かに、もう飲まれてから大分経過している。仮に僕が蘇生処置を施しても無理だろう。
では、どうするのか。ギルド職員に向かい、僕は尋ねた。
「こういった場合、どうなるんでしょう?」
「……とりあえず、犠牲者の遺族の方に連絡……でしょうか。遺体が収集物から出てくることはあまりないので、指針が存在せず……」
そう言いながら、ギルド職員は死体の顔がよく見えるように仰向けに転がした。
所々、頭皮まで剥がれ爛れている顔だが、形はまだわかる。
周囲を見回すと、流石に直視出来るほど肝の据わっている者はあまりいないらしく、皆遠巻きにして目を背けている。
しかし、一部の人の腹が決まったのだろう。何人か顔を確認したらしい。声が上がった。
「これ、町長じゃねえか?」
「だ、だよな、シガン町長か、かも」
「え?」
僕は驚き、振り向いてその顔を確認した。
本人を見たことが無いのでわからないが、こいつがヘレナを使い脱税をしていた、犯人。
生きているときは肌つやもよくふくよかな体をしていたようで、腹部にくびれの無い体をしている。
顔も張りがあり、やや下ぶくれのようだ。短く刈られた金髪が、痛々しく乱れていた。
左手を見ると、その指も細い芋虫のように膨らんでいて、鍛えていないことがよくわかる。
腕の先、もう一方の手に目を向けると、消化されてしまったのかそちらは欠損していた。
あまり美丈夫とは言えない顔だが、それなりに愛嬌はあったのだろう。そう思った。
しかし、シガン。何処かで聞いたことがある名前だ。
いや違う、見たことがあるのだ!
町長宅で傭兵を殺害したときに、部屋にその宛名の便せんが大量にあったのを僕は思い出した。
そうだ、ではあれは全て町長に向けた手紙だったのか。だがほぼ未開封だったのは気のせいだろうか……?
「で、ぼくたちはもう良いかな?」
思考していると、レイトンは唐突にギルド職員に話しかける。
そして依頼箋をギルド職員に見せながら、言い放つ。
「討伐完了の記名をして欲しいんだけど。これで、トレンチワームは死んだよね?」
「え、あ、はい! で、ですが、ただいま中から遺体が……」
「ぼくらはこの死体を寄付した。その時点で、これはもうギルドのものだ。そこから何が出てこようともぼくらは知らない。そうだろう?」
職員はきっと、見つかった遺体の実況見分をしたかったのだろう。だが言い募ろうとする職員を言いくるめるように、レイトンは続けた。
「それとも何かな? その遺体も含めて、死体の所有権がぼくらに戻っているのかな? 一旦引き取った物に傷を付けた上で返却するなんて、まさかギルドはしないよねぇ?」
喉の傷に目を向けながら、レイトンは言う。
しかし、他にも大量の傷がついているのだ。これぐらい殆ど変わらない気もするのだが。
しかしレイトンの言葉を聞いて、職員は少し目線を下げて悩んだ素振りをしたあとポツリと言う。一応は一考に値する意見だったらしい。
「……参りました。では、……『胃の内容物に人間が入っていた』ということで」
「ヒヒヒ、任せたよ。じゃあね」
渋々といった感じで、職員は依頼箋にサインをした。
レイトンは僕に目配せをして、人集りを割りながら歩き始める。
レイトンとそれを慌てて追う僕を、囲んでいた群衆は戸惑う目で見送った。
「で、どういうことだったんでしょうか」
やや前を歩くレイトンに並びながら、僕は尋ねる。
大体わかってはいるが、一応答え合わせといこうか。
「ん? ああ、町長は事故に遭ったのさ。不幸にも、何年も街の周囲をうろついていた魔物に遭遇し、頭から囓られた」
「それは本当に、不幸な事故なんですかね」
そう尋ねると、レイトンは楽しそうに笑って口を閉ざした。
探索者ギルドまで戻り、受付に声をかけると、もう依頼については伝わっているようだった。
いや、恐らく違う。電話も何もないこの世界だ。イラインから四百里(約二百キロメートル)も離れたこの街に、一時間もかからず伝わるのはあり得ない。
やはり先程は依頼について伏せられていたのだろう。
「はい。確かに達成されました。こちら、報酬の金貨でございます」
「ありがとう」
しかしそんなことは両者おくびにも出さずに、粛々と依頼達成報告は終わった。
なんだか拍子抜けだった。
「さて、ギルドの手数料を省いた報酬に関しては、ヘドロン嬢に返しても良いんだけど……」
そう言って、レイトンは金貨を三枚ほど空中に放り投げ、また手の中に落とした。
「彼女は、ヘレナ嬢の所かな?」
「はい。先程、ヘレナさんの小屋に向かいました」
そういえば、彼女が悲しむというのはどういうことだろうか。
もうこれで大体は終わりのはずだ。
これから何かする、ということであれば対策も取れる。
「あとは何かすることとかありますかね?」
「いや、特にないよ。あとはヘドロン嬢に任せて街を出ても良いくらいだね」
「では、最後に一つ」
何も無いらしい。では、あの言葉はどういう意味だろうか。そう思い尋ねようとした言葉はまたレイトンに遮られた。
「ヘレナ嬢の行動に関してなら、それは恐らく今日中に、遅くとも今夜起こることだ。キミに出来ることはないし、もう対策も取れないだろう。だから、気にしないで良いよ」
「いったい、何が起きると……」
「ヘレナ嬢についてキミに出来ることがあるとすれば、今回の魔物殺しについてテトラ嬢の口を塞ぎ、そして自らの口を閉ざすぐらいだ」
そう、無表情に睨むように言ったあと、一転して笑顔でレイトンは言った。
「勘違いしないようにね。これは善意の忠告だ。そうすれば、傷は最小限で済む、僕もその方が都合がいい」
「……今夜、というとヘレナさんが町長宅へ報酬を受け取りにいくときでしょうか」
「そうだね。もっとも、ヘレナ嬢が怠惰で無ければすぐにでも起きることなんだけど」
「いい加減……、ハッキリ言って貰えませんか」
僕の言葉に棘が混ざるのが、自分にもわかった。
僕に考えさせるのが目的らしいその話し方は遠回り過ぎて、ハッキリ言って不愉快だ。
しかしその怒りも、レイトンには柔和な笑みで受け流された。
「わかった。と言っても、これはぼくの口からいうよりも実際の姿を見せた方がいい。待てないというのなら、今からヘレナ嬢の所へ行こう。時計の針を進めようじゃないか」
「今から起こる事態を防ぐ、ということは無いんですね」
「それはまあ仕方ないさ。それがぼくの目的でもあるし、そもそも避けようのない事態だ」
早足で、ヘレナの小屋へ歩を進めながら、レイトンは語り続ける。
これから何をするのかということは、やはり語らずに。
「テトラさーん! いらっしゃったら出てきてくださーい!」
ヘレナの小屋の外から、僕はテトラに呼びかける。入れてくれと言っても、ヘレナは小屋に入れてはくれないだろう。連絡を取るのならば、テトラを通じてするしか無い。
呼びかけると、中からドタドタと音が響き、程なくしてテトラが姿を現した。
「あんたたち……、二人揃ってるってことは、終わったの?」
「はい。先程、魔物は死にました」
僕がそう言うと、横のレイトンが口を開いた。
「キミからの報酬を返しに来たよ」
出された手に釣られ、反射的に出されたテトラの手に金貨が落とされる。
それを複雑な感情の目で、テトラは見つめた。
「……それはどうも。で、あと何かすることは?」
「あとは無いよ。ただ、ヘレナ嬢に伝えなくちゃいけないことがあるんだ。多分、ここから声は聞こえてるよね?」
「ええ」
では、とレイトンは少し声を張り上げて言った。
「シガン・シェフィールドが、魔物に食われて死んだよ。どうするのかな? ヘレナ嬢!」
レイトンの言葉に、僕は首を傾げる。
それを知ったところで、ヘレナが何かするとは……。
そう僕が考え始めたのを打ち切るように、中から女性が駆けだしてきた。
誰だ、と思わずとも誰だかわかる。
白いボサボサの金髪に、染み一つ無い白い肌。細い手足に背の低い彼女。
小屋から出てきたのだ。間違いなく、彼女がヘレナだ。
駆けだしてきた彼女は、小屋から出た途端に足が縺れたように崩れ落ちた。
「ど、どういうこと!? どうして、あの人が!?」
ヘレナは萎えた四肢で起き上がる。しかしその視線は強く、レイトンの方を見ていた。




