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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
いつか魔法使いになる君へ

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いい人の研究




 僕がソラリックに依頼したエウリューケの研究に関しての調査は、六日程度かかったようだ。

 今回は資料などはない。その分薄い封筒で、だが中の紙には数多くの論文の題名が記されていた。


「随分といっぱいありますけど、それ、多いんですか?」


 居間で読んでいると、編み物を中断して覗き込んできたルルがそう尋ねてきた。

 僕は紙に目を戻し、「ううん」と唸る。

「どうだろう。聖教会の中のことはあんまりわからないから」

 そして首を横に振ったが、ルルの感想は間違っていないと思う。


 数多くの論文の題名。一人の人間で出せる量、というものなのかどうか。

 出せるといったら僕には疑問符がつく。


 ……。

 …………。

『産後の回復を促進するための本草学の利用』

『雷療法の可能性とその応用』

『母乳育児の推奨』

『滋養不足による病気の予防と治療』

『助産術の改良とその効果』

『土着薬を用いた労咳の治療効果に関する研究』

『出産時の痛みを軽減するための鍼灸利用の可能性』

『雷針による中風患者の褥瘡防止に関して』

『産後気鬱の予防と治療に関する研究』

『子宮内での人体発達の経過における研究』

『新生児黄疸の診断と治療』

『新しい診断法としての尿検査の発展』

『産褥熱の予防と治療に関する研究』

『蒸気による抗瘴気の導入、出産環境の構築』

『蒸気による抗瘴気の導入、金創術の術後管理』

『悪性腫瘍への温熱療法の効果とその根拠』

『染料を用いた皮膚病治療の新しい方法』

『妊娠中の食事管理と母子の健康、発達』

『妊娠中の運動とその影響に関する研究』

『新しい包帯材料の開発とその効果』

『伝染病の予防における隔離の効果』

 …………。

 ……。


 列挙されている一部だけでもこれだ。

 しかも時系列はだいたいわかるものの、当時から発表が却下されているものも多いためこれだけではないのは確定しているらしい。


「何でこんなものを?」

 ふうん、と感心しながら眺めていた僕だったが、ルルはそれが不思議らしい。

 まあ僕としてもそんなに何かわかると思ったわけではない。けれども、やはり。

「……前にも言ったけど、僕はエウリューケさんをすごい人だと思っていたんだ」

「はい」

「でも、エウリューケさんがすごい人だとは思っていたんですが、……その上で僕は『どうすごいのか』を知らないな、と思ったから」


 内傷と化した僕の腕を治した技量。伝説の魔術を軽やかに扱い、神器とも呼べるものをいとも簡単に作成できる叡智。

 そういうことを、僕はきっとすごいと思っていた。

 だが彼女がどういう人間か、どういうことをしてきた人間なのか僕はほとんど知らなかった。

 たしか、歯を治して追放された、とは聞いたのだが。


 異端者で追放されているともなれば、まともな論文は残っていまい。だから曖昧な聞き方になってしまったが、ソラリックは特等治療師を動かして問い合わせてくれたらしい。

 そして見れば、意外とというのは失礼だが、意外と真面目な研究ばかりだった。中身はわからないし、その実際の信憑性もわからないけれども、しかしきっと実際に研究として素晴らしいものだったのだろう、と思うのは僕の贔屓目だろう。

 勿論中にはふざけた……ではないが、そういうものもある。


『不老不死の母、永遠の妊娠を可能にする薬剤の開発』

『母体と胎児の融合。一体化する新しい生命の形』


 この辺りは押収されたものであって、発表する気がなかったらしいが。

 そして、今回の事件に関するようなものといえば……。


「『人工的な腫瘍の作成試験における環境要因と社会的影響』」


 僕が無意識に読み上げると、ルルもそこに目を向け、そして首を傾げた。

 内容が想像できない、ということだろうか。僕もわからないけれども。


「『疱瘡の集団免疫効果と都市構造の関係』、『破傷風の地域別発生率と農業活動の関連性。また感染性への変化に対する考察』、…………」


 疫学的なアプローチも行っていたのだろうか。それを他の人間も行っていたのか、それとも彼女が独自に行っていたのかもわからないけれども。やっぱりソラリックに他の人間の論文も頼むべきだっただろうか。


 しかし、まあ。

「ちょっと」

「?」

「読んでみたかったなぁ」


 僕は呟く。

 多分そう思うこと自体不謹慎だし、僕が読んで理解出来るとは言い切れないが、面白そうな研究ではあると思う。

 発表されなかった研究に、『人工物による人体の部分的再現の可能性について』というものがある。これが義肢のようなものなのか、それとも内臓系のものなのかはわからないが、内容は少しだけ気になった。いや、少しだけではない、大分気になった。

 そして、更に今回の件に関係しそうなものといえば。


 『人体の結合、または分離。変質過程における瘴気利用の可能性』


 これか。



 境界融解症という病が今回の件で確認されている。その病は皮膚を含めた上皮の可塑性を引き上げて、自身の体内や他者までも癒着させるものだ。

 もしかしたら、この研究で生まれたものかもしれない。その病は人体を結合させるために生まれたもの。そう一度思ってしまえば、そうとしか思えない。


 この論文は全て二十年以上前に書かれたもの。

 ならば、彼女はこの『こと』を成すのに、それだけ昔から計画していたというのだろうか。

 そう思えば、……少しだけ気分が楽になるのは複雑だけれど。



「私には難しそうなものばかりですね」

 ルルは笑う。優しい笑顔で。

「まあ物語のものじゃないし」

 僕は取りなすように言う。ここにあるのは研究論文だ。ルルは本が好きだとはいえ、読むのは物語のあるものが主。活字中毒というわけでもないし、仕方ないだろう。

 それに興味がなければ本というものは読むのも難しい。ルルと同じく本が好きな僕とてそう思う。理解できない文章を読むのは苦痛の一言だろう。

 結論は出た。

「やっぱり、僕たちには理解出来ないようなことを考えられる凄い人だった、ということで」

 

 伝手がないから無理だが、きっと魔術ギルドで問い合わせても同じようなことになるだろう。

 やはり彼女は僕にとっては『凄い人』だ。

 奇想天外な発想をして周囲を驚かせたと思えば、論文の題名的には地道で堅実な彼女の様子が見える。中はわからないから推測だけれど、きっと当時から他の人間は思いもつかない何かを書き連ねていたのだろう。

 比べる気はないけれども、きっと僕とは違う人種だった。


 どれだけ彼女が僕に気安く接してくれようとも。僕がどれだけ彼女に気を許していても。



「カラス様は、エウリューケさん? とは仲良くなかったんですか?」

「どうだったんだろう。何故か最初から馴れ馴れしかった気がするけど」


 彼女とは、初対面から『知らない人』だった期間がない気がする。気安くつきあってくれて、僕が話しかければむしろグスタフさんやレイトンなんかよりも親身になってくれて、頼みを聞いてくれた。

 頼れる大人……だったのだろうか。そういう単語を思い浮かべると、最初にレシッド辺りが浮かぶから違う気もするが。

 いろいろと世話になったこともあるだろう。彼女がいなければ僕は不当に捕まった牢屋から正規の手段で出ることは出来なかったろうし、クロードに折られて僕が悪化させた腕を簡単に治してくれたのも彼女だ。

 それに。

 最初から最後まで馴れ馴れしかった。グスタフさんが死んで、僕が人間たちを遠ざけても。

「いい人だとは思えるくらいの付き合いはあったよ。なんでこんなことをしたのかわからないくらいに」

 だから、やはり信じられない。だから信じなくていいと思う。

 彼女がこの騒動を引き起こした証拠はない。ならば、僕は彼女を犯人だと思わなくても。





「じゃあなんですか、やっぱり、心配なんじゃないですか」


 ルルが、ふふ、と笑いながら得意げに僕に言う。

 ほうらみろ、と僕に勝ち誇る顔。夫婦喧嘩ではないが、どちらかが勘違いして起きた口論に似た何かが終わったとき、それが僕の勘違いだと結論づいて僕が謝ったときのような顔。最近それがそういう顔だと気づいたけど。

「心配?」

「カラス様はそのエウリューケさんが心配なんですよ。だから何が起きたのか知りたくてこんな中途半端に」


 言いながらルルが目を向けたのは、ソラリックからの手紙。

「聞けばいいじゃないですか。その犯人にエウリューケさんが浮かんでないかとか、彼女は違うのか、とか」

「……それは逆に、彼女に疑いの目を向ける結果になるのでは」

「…………。たしかに、それもそうですね」

 悩ましげに楽しげに、ルルは拳を口元に持っていって手紙を見つめる。

「でもそれも今更じゃないですか? こんな手紙で彼女のことを聞いたりしたら、どうしたって関連するって思いますよ」

「まあ」


 僕は口ごもる。

 ルルが生き生きとしだした気がする。こういうこともたまにあるのだが。

 こういうときは頭の回転で負けてしまう。正直、手を出すようなものでもない限り、夫婦喧嘩では勝てないと思う。更に僕は絶対に手を出す気はないので、つまり勝てない。


 そして、まあ。


「……僕は、彼女のことを心配してたんですかね」

「そうだと思ってましたよ。私は最初から」


 ルルの一言で、色々と気づかされる。なるほど、僕はエウリューケのことを。

「いい人だったんですよね?」

「だと思うけど」

「カラス様が言うんですから、私もいい人だと思います。それに、いい人かどうかはわかりませんけど、……きっと優しい人です」

 改めてルルは目を細めて手紙を見た。

 今度は眺めるだけではなく、読んでいる。エウリューケの論文の一覧を。


「多分、『凄い人』じゃないんです。多分きっと、優しい人だと私は思いますよ」

 机の向こうで笑いかけてくるルルは、貴方と同じくらいに、と小声で付け足した。

「だから……本当にその人がやってないかどうか確かめたかったら、何でかわからないんだったら、本人に聞くしかないじゃないですか?」


 拳を胸の前で握りつつ、真剣な顔でルルが力説する。

 彼女のそういう声音を聞くと、なるほど、と思えてしまうから困る。


「そうだね」


 僕は頷いて肩の力を抜く。

 エウリューケがやったと思いたくはない。

 だが出来るとしたら彼女で、もしもやったとしたら。

 止める気はない。病気が蔓延しているのはあのエッセンで、救いたいとしたらルルの母を含めても数人だけだ。

 だから、僕が考えることがあるとしたら。

 それはきっと、彼女の理由。

 一番望ましいのは、彼女は何も関わっていない、ということだけど。



 僕は感謝を向けてルルを見る。こんなにも僕は支えてもらっているのだ、と再確認して。

 そして僕が支えてほしいのは彼女だけだ、とも再度確認して。

「で、……ですね!」

 視線を向けた先、拳を机の上に置いて、ルルが少しだけ大きな声を出す。

「……何?」

「だから私も、本人に直接聞くんですけど、……」

 それでも言いづらそうに。顔を赤くして一度顔を伏せて、また僕を見た。真正面から。

「……カラス様は私のこと、好きですか?」

「好きだよ」

「女性としてですよね?」

「うん」


 僕は素直にそう答える。

 こういうことは僕から言えたらと思うけど。でも言う機会がないから仕方がない、というのはきっと単なる僕の先延ばしだろう。

 

「エウリューケさんのことは?」

「人間的には嫌いじゃないし、……あ、と」


 そして、ルルが何故突然そんなことを言い出したのか、と気づいて申し訳なくなる。

 いや、申し訳なくなる以前に、僕はきっと喜ぶべきだろうけれども。

 僕は努めてはっきりと声を出すため、口を大きく開ける。


「そういう意味で好きってわけじゃない。僕が好きなのは、ルルだけ」


 心配をかけた、のか。

 それともそんなに僕は最近様子がおかしかったのか。それはわからないけど、彼女には本当に申し訳ない。

 じ、とルルは僕を見つめて、それから安心したかのように露骨に表情を緩めた。


「…………なら、私は止めませんから」

「うん」


 気恥ずかしくなって僕は手元の手紙の束をまとめにかかる。

 手紙の返事をまず書かねば。しばらくは送られても返信できないと付け加えて。

 そんな慌てるように動き出した僕の耳に、「私も好きです」と囁くような小さな声が聞こえた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 信じられます? 妻に安心して好きなのは君だけだよ、と言う普通の掛け合いするのに、生まれ変わって2回人生経験必要だったんですよ? 笑 最高の主人公、僕らの主人公。
[一言] しばらく読み貯めてたから甘さの洪水が凄い。 ラッブラブやなぁ!!
[良い点] 遠くから手紙で推理を繰り広げるのが、 子供の頃に読んでいた推理小説を思い出して、懐かしい気持ちになりました。 2人の関係も、いい感じ! [気になる点] どういう落とし所になるのか続き…
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