好きと嫌い
しゅじん……こう……??
僕がその手紙を受け取ったのは、リドニックでのことだった。
『預かった手紙があるから』という鵲が持ってきた手紙に対し、受け取る場所に最寄りの探索ギルドを指定した。その二日後に、リドニック王都スニッグの探索ギルドで受け取った手紙は手紙という範疇になく、大判の一冊の本のような分厚いもはや荷物と呼べる紙の束だった。
「誰からですか?」
「ソラ……コルネア・ソラリックという治療師」
内容もろくに説明されずに渡された荷物。僕は王都で借りた仮住まいの家屋に戻り、包みを開いた。
革で保護された布の包みの中はやはりというべきで、貴重なはずの綺麗な紙が分厚い束となり一端に開けられた穴に紐が通され綴じられていた。
ソラリックの名前を出しても、ルルはぴんとこないようでほとんど無反応だった。
僕は説明を重ねる。
「この前の戦争中に、僕に帯同してくれた治療師の一人」
「そんな治療師が、カラス様に何を?」
「僕もまだわからないんだけど……」
綴じられた紙の束の他に、三枚ほどの便箋が入っていた。
部外秘とも言われてないし、別に一緒に読んでもかまわないだろう。ルルと共に開いた紙を覗き込む。白い紙には、きっと彼女の文字だろう、小さな文字が点々と並んでいた。
……。
…………。
「助けてくれ、ね」
簡単に読み終わり、僕はその内容を一言でまとめた。ルルはまだゆっくりと文字を目で追っていて、読み終わった後にまた一枚目から目を通し始めた。
曰く、王都で原因不明の病が複数同時に発生しているらしい。
処刑され落とされた首が喋る。粉を吹くように乾燥した指先から崩れてゆく。皮膚が容易く別の皮膚と癒合する。その他諸々。
ソラリックが関わっている病としては、『増殖人面疽』と正式に名付けられたもの。体表面に形作られた腫瘍が、膨れあがって人間の形になる。やがて『出来上がった』人体は患部から自然と脱落し、その周囲が抉れた跡として残る。たとえば膝に一つで終わった者は、それ以上ない。けれども腹部などの重要な場所や、身体のどこかに二つ、三つ、と作られている者もいるようで、そういった者は……。
「酷い……」
ルルが呟く。ソラリックの手紙に添えられた紙の束は全て病の資料のようで、確認されている病の素描が入っている。中でも、末期患者の素描はどの病でも悲惨なものだった。
増殖人面疽の末期患者は、全身が腫瘍の材料と使われるようで次々と抉れてゆく。腹部が完全に『赤ん坊』の材料として消費されてしまった者は内臓なども奪い取られているようで、残った穿孔部からは空っぽの腹腔が見えるようだ。
また複数の肉腫に冒された者は、複数の赤子が群がるようにまとまった物体のように描かれていた。その『中心』が患者なのだろう。最後に残るのは、食い荒らされたかのような絞りかす。骨と伸びた皮だけを残して。
確認されている病は現在十三種類。
病ではないと思うのだが、『不死の首』と同様の異変として登録された『死体の再構築』が最後だという。
これは簡単に言えば、腐っていなかった死体。というよりも、棺の中の白骨からどうやってか肉体が再生していたらしい。以前から確認されていた事象だったが、今回改めていくつかを掘り起こして確認してみて、それがいたずらか間違いなどではなく異変だとようやく認定されたのだ。
再構築された死体は、遺体の本人の外見はまったく反映されない。
最も再構築が進んだ遺体の顔を親族に確認させたところ、まったくの別人だったとか。
添えられていた資料を読めば、そのようなことが大量に長ったらしく遠回しに書かれている。
学者の論文ということだろう。それも、形式の統一されていない。
ソラリックが僕に求めているのは、この病の未知の部分。
たとえば人面疽の成長を止める方法。たとえば人体の崩壊、もしくは癒合を止める方法。
また、何か知っていることがあれば教えてほしい、とのことで……。
「知らない病気だから頼られてもなぁ……」
僕は頭を掻きながら呟く。
これが知っている病気ならば応じたかもしれない。今の僕は聖教会からしても異端扱いなど出来ない人間。ならば助言に躊躇いはなく、それに別にもったいぶる気もない。聞かれたら答えるし、聞かれないなら答えない。至極簡単な話だ。
けれども、これは知らない病。そもそもソラリックたちからして未知の病なのだ。本職が存在すら知らない病に対し、僕に何が出来るというのだろうか。
資料をパラパラと覗けば、現在は対症療法でどうにかしているようだ。
人面疽や癒合は切り離す。人体の崩壊は水分を補給し軟膏で保護することでどうにかして和らげる。表皮内部に植物が育つ病は、見える範囲を摘出する。
しかしそれも姑息的治療に過ぎない。人面疽の成長速度に人体の方が追いつかず、やがて衰弱してもしくは重要臓器を失って死に至る。癒合できなかった皮膚はやがて溶けるように崩れていき、患者は人の形を失う。崩壊も同様、いずれは全身が。
更にいくつかの正気を失う病はどうにか出来ない。
たとえば渇望症と名付けられた無限の飢餓感は、満たされないでいると目につく者を襲い始める。道ばたの草や畑の野菜、犬や猫、人間など、食べられそうなものを片っ端から襲い食うのだ。そういった者は抑制をかけて放置するしかない。最終的には、自らの肉を食らい始めるため、口枷をつけないと頬や唇の肉が皆なくなっていったらしいが。
「出来るとしたら……なんだろうね」
また適当に僕は資料を開く。何が出来るわけでもない。
ここに送られてきた資料の写しはそれなりに膨大だが、しかし現地ではそれ以上に多くの情報があるだろう。新しく得られた知見に加え、実物がそこにあるのだから。
しかしそんな情報を持つはずの彼らがどうにも出来ていない。
人面疽の箇所を見ても、ソラリックたちが努力しているのはわかる。対症療法を続けながら根本的な治療法を探し続け、しかしほとんどが失敗に終わっていた。人面疽に関しては、腫瘍に作られた消化管内に貝母の種子を投与することで成長を一時止められることがわかっているそうだが、それだけでもきっと称えるべきことなのだろう。
それでもやはり。
うん、と頷くようにして声に出さずに、ルルは資料から目を外して僕を見る。
彼女もこの問題に関しては門外漢だ。だがわかってはくれるだろうと思う。僕がなかなか手出ししようがない問題だということは。
まあとりあえず、僕が出来ることと言ったら、なんだろう、彼女らにない視点を持つ、程度だろう。
僕はまた適当に資料を眺めるが、どの病も原因が特定できていない。
食べたもの、過ごしていた場所、性別年齢など、共通点があるにはあるが、その他大勢との共通点も多くあるために確信には至っていない。
……それもソラリックはやはり優秀なのだろうか。幾人かを見ての発見から、人面疽の発症箇所には必ず傷口があると推定している。接触感染か、血液感染か、そういうものなのだろうと思う。
流し見からの印象ではあるが、その他の病も感染症な気がする。たとえば鉱毒や植物毒などの感じはしない。
いや、一つあった。既に分析されているようだが、突然発狂するように凶暴化する心神喪失症は、同じ井戸の水が原因ではないかと。これは、毒……かな?
そして。
では、他のものの原因は……とその情報に絞って読み始めた僕は、最後から二番目に到り絶句することになる。
「……どうしたんですか?」
ルルの問いを無視するように固まってしまう。
問題なのは、『不死の首』。処刑場で切り落とされた首が生きていたというもの。
これに関しては、誰かの命に関わるものではないため、『治療』に力を入れてはいないようだ。それよりも多いのは、どの首がどのように不死身なのか、どのような性質を持つのか。
そして、原因は。
『青い髪の女性』。
処刑の四日前に、罪人の前にその女性が現れ、何かしらの薬品を振りかけて彼を不死にしていったのだという。
罪人は気を失い、次の日の朝から半信半疑で自らの身体を使って実験してみたのだという。切り傷はどうなるのか、擦り傷ならばどうなるのか。どうせ死ぬのだからと舌を噛み切ってみたり、独房で首を吊ってみたり……。
しかし、罪人は死ななかった。二日かけて確信を得た罪人は、その日から悠々と死刑執行の日を待ったのだという。
馬鹿げた話だ。
人体というものは構造上の限界がある。闘気使いとて舌を噛み切れば筋肉の収縮による気道の閉塞は免れない。頸椎の骨折や脊髄損傷、また窒息は耐えられない。
死なない人間はいないのだ。魔力使いとて限界はあるし、僕が知る中で最も不死身の肉体を持つ魔法使いスヴェンとて、アリエル様の印象からすれば身体を解体することで死ぬらしい。
人の耐久力には限界がある。しかもその限界値に近い耐久力を、魔力使いでもなく闘気使いでもない一般人が発揮するなど。
そうは思いつつも。
なるほど。
人間の耐久力には限界があり、そしてその耐久力を持つに足る理由が必要だ。
魔力使いは自らの身体を変質させて、闘気使いは強化し続ける。それもなしに、人間の耐久力がそんな簡単に向上するわけがない。
なるほど。きっとそれが僕の常識で。
だがそんな僕のちっぽけな常識を、軽々と超える人間を僕は一人知っている。
まさか、とも思うけれども。
「……エウリューケさん……」
彼女ならば出来る。
でも、なんで?
資料を見返す。今度は細かな文章をきちんと追うように。
見れば見るほど、その感触がする。きっと錯覚だろうと思いながらも、だがもはや反論できないくらいに。
病気の端々に、彼女の足跡を感じる。こんな奇病を作るという無茶なことを、彼女ならばやるだろう、出来るだろうと思ってしまう。
「カラス様」
何故気づかなかったのだろう。
身体が粉になる、もしくは液状化する。その現象は見たことがあった。昔石ころ屋が襲撃されたときに、そうなってしまった探索者を見たことがあるのに。
そこで関連を思いついてもよかった。……そこまで僕は。
肩を強く叩かれ、僕は振り返る。
少しだけ無表情に、少しだけ緊張している顔で、最愛の妻がそこにいて。
「エウリューケさんって、誰です?」
「……僕の、知り合いです」
とにかく、ソラリックへの手紙の一枚目を急がなければ。
これは人為的なものだと伝えなければ。彼女ならば、きっと時間をかければもっと酷いことが出来る。不味いことが出来る。
エウリューケが何故こんなことをしたのかもわからないし、そもそも彼女がやったという証拠もどこにもないのだけれども。
しかし、もしも彼女ならば。
エッセン王都で何かしらの騒動が起きていて、それに彼女が関わっているのであれば。
……関わっているのであれば?
あれ? と僕は自らの考えに戸惑い、呆然とするように机に両手をついた。




