おもちゃ箱
人によっては? グロ? 注意?
人の構成要素。命と身体と心と魂。
人が生命活動を停止したとき命は霧散し、魂は心と共に神の御許に送られる。
それを聖教会は『死』と呼び忌避しながらも、神の定めた運命とし、尊いものとして扱ってきた。
死に際し、どうしても死者は地上に一つのものを残す。
それが身体。死体、遺体とも呼ばれるかつて生者だったものの存在証明は、残された者たちにとっての拠り所だ。
だがその拠り所は容易く瘴気を呼び、更には健康に被害はなくともその朽ちてゆく見た目や悪臭が生理的な不快感を催し、生者を脅かすものとなる。
故に宗教的な儀式というものは大抵の場合、遺体の比較的清潔な処理を核として発祥するものであり、聖教会もその例に漏れない。
身体を大地へと返却する儀式の端緒を、聖教会では殯の儀と呼ぶ。
死者を棺に閉じ込めて、土に埋め、数年間遺体の腐敗を待つ儀式。腐敗し肉が落ちた遺体はやがて骨だけとなり、つまりそれが大地へと還ったということ。
そして大地へと還った肉体の残りを記憶の拠り所として加工する。
つまり骨を掘り出し、焼くというのがその次の儀式だ。
大きな頭巾を被り顔を覆面で隠した二人の人夫が、静かに向かい合って、定められた用地を共に掘る。
木で作られた円匙が、かつん、と固い何かを叩く。一人がそれを聞いてもう一人へと顔を向けて問いかけ、向けられた一人は穴の外の治療師に目を向けた。
治療師は、うん、と頷く。
ならばもう一息だ。人夫たちは、埋められた棺の外周を掻き出すようにして掘り進め、ついにはその全貌が見える程度にまで掘り出し、縄をかけた。
穴は腰ほどの深さ。
棺の上端と下端、それぞれに一本ずつかけられた縄を、外に出た二人の人夫は思い切り引く。棺は浮き上がり、やがてずるりと地上へと這い出してくる。
土中で水分を吸い、傷んだ棺の表面がギイギイと鳴る。
この王都の墓地に勤める人夫たちにとっては慣れたものだ。
毎日のように棺を掘り出し、そして決まった手順を踏んで始末する。聖なる儀式ではあるものの、携わる者たちにとってはもはや無感情な作業でしかない。
そして慣れているからこそ、少しばかりの違和感も見逃せる。
いつもより重い棺。それは、棺が雨水を吸っているからだ、と。
今日掘り出す棺は三つだけ。
死者も生者も多い王都ではあるが、外れの場所にあるこの墓地では、やはりその程度のものだ。棺ごと台車に乗せて運ばれた遺体たちが、焼却炉の前で集う。
既に炉は大量の薪が並べられ、火が点けられる時を待っていた。
並べられた棺の上に、治療師が一掴みの灰を撒く。
それから灰に塗れた手を組んで、そこに額をつけるように俯いた。
「主よ、貴方の元へ還るこの魂をお迎え下さい。土の中の孤独を終えて、彼らはこれより貴方の愛の中で、永遠の家族を見出すでしょう」
声に出すのは決まり切った文句。けれども、聖職者たる治療師は、そこに心を込めて贈る。
これから死者が赴く、神の御許へ向けた言葉。
生者たる治療師が、死者たちに出来る最後の力添え。せめてもの最後の。
殯の儀を行う治療師とは違い、葬送の治療師は、そこにいる死者の素性をほとんど知らない。
知っているのは性別と名前、そして何歳で没したか、程度。
どのような性格か、どのような経歴か、何を好み何を嫌い、誰に愛され誰を傷つけてきたのかもわからない。どのような者か、知ることはない。
だがそれでも彼らの今後を治療師は祈る。
死者は神の御許で平等だ。神はその全てを見通す眼を以て、彼らを平等に、公平に扱ってくれるだろう。尊い身ならば尊く、卑しい身ならば卑しく。人の定めた尺度ではなく、きっと完全たるその律を以て。
ならばこそ任せられる。
人の身たるこの身はただ、その意に沿うように送るだけだ。
「彼の足跡は我らの中に刻まれ、彼の笑みや言葉、優しさは私たちの中で生き続けます」
優しい者だったかはわからない。よく笑うのか、喋るのか、そんなことは治療師には。
だが、どんな人間にも優しさはある。どんな人間でも笑い、喋ることはあるだろう。
それを無いと断ずることから、断絶というものは始まる。
その治療師はそう思っており、それは聖教会の教えの一つだ。
「我らは今、彼らを貴方の手に委ねます」
裁くのも許すのも、ただ神の名の下に。
「彼の魂が安息に満ち、新たな旅を始めるその日まで」
どうか彼らがこれより素晴らしい体験が出来ますように。
そう祈り、治療師は聖句を唱える。
彼らの祈りには濁りも澱みもない。
神はいるのだ。何の根拠もなく、彼らはそれを信じている。
ならば神はいる。彼らがそれを信じているのだから。
祈りを終えて、治療師は目を開ける。
神はきっと応えてくれただろう。きっと今、神は私に微笑んでくれただろう。
治療の秘儀の時と同じ。神の像が心の中で結ばれた。それを感じた治療師は、自信を持って力強く頷く。
「お願いします」
命ずるのは人夫に向けて。
儀式はあと一息だ。あとは骨を焼き、焼いた骨の灰を瓶に収めるだけ。
だが炉に入れる前に、一つやらなければいけないことがある。作業的、だが儀式として。
棺を開けて中を覗く。人の卑しい肉が、大地に還っているかを見届けるために。
打ち付けられた蓋の釘を、人夫たちが抜く。その釘の回収が目当てで始まったこの作業だが、それは長い歴史の間に消えた些細なものだ。
少々の木片ごと釘を引きはがし、破損した蓋に人夫たちは手をかけた。濡れて腐っていたのか、少しだけ湿り気のあるような蓋に。
ふと、人夫が覆面越しに悪臭を感じた。
いつも感じていた『死臭』のような黴のような臭いではない。
これは、もっと新しく、そして鮮烈な……。
「…………うぁっ!?」
蓋を開けた人夫が飛び退く。
同時に起き上がるのは、棺の中にいた腐乱死体。
頬は破け、中から黄色い液体が染み出している。
髪の毛は縮れて抜け落ちて、血の気を感じない肌はぶよぶよと膨らむ。
起き上がった遺体は、何かの液体に固まった服をばりばりと鳴らして震えるようにして背筋を正す。
そして開いた眼球の色は、真っ白に固まっていた。
王都の外れにある処刑場は、その日も人が集まる娯楽会場だった。
処刑というものは、特段面白いことではない。ただ人が死ぬだけだ。犯罪を行い、死すべきだと裁かれた者たちが、首を落とされ死ぬだけだ。
一部の者は眉を顰めるだろう。この国を去った妖精や、それに戦いに携わる者たちにとっては、死というものは忌避する現象だ。
けれども、それを面白いと楽しむ者たちも多い。
なにせ、人が死ぬのだ。
この安穏とした日々。もちろん、血が出る、怪我をする、程度ならば誰しもが経験をする。
しかし普段の日常では見ることの出来ない現象、死。
それは鮮烈で、非日常的な体験だ。いつも通り寝起きし、いつも通りの労働をし、いつも通り一日を終えるこの退屈な日々に、時たま現れる新鮮な刺激。
血が見たい、というわけではない。
人が死ぬのが面白い、というわけでもない。
だがそんな刺激に飢えてしまう、というのも人間としての悲しい性だろう。
数十人が疎らに集まる処刑場の中央には、断頭台が置かれていた。
今日の処刑人は上半身をはだけた人気者の大柄な男。眉目にも優れているともっぱらの噂だ。彼が処刑を行うとき、それを見に来る女性も多い。
もっとも、美男子なのは噂も噂。その処刑人はいつも仮面をつけているために、その素顔を見た者は少ないのだが。
既に二人の首が落とされ、その死体は片付けられている。
次の罪人が来るまで、大きな斧に似た大刀を携え、処刑人は時を待つ。
処刑というものは、大きな儀式も華々しい演出もない。ただ置かれた首を切る。黄色い声が飛ぼうとも、それだけだと処刑人は自らを戒めていた。
やがて処刑場の隅から、一人の罪人が刑吏に囲まれて引っ立てられてくる。
両手は縛られ、腰にも縄が打たれ、およそ逃げられようはずもない。
けれども、処刑人はその罪人の顔に眉を顰めた。
その罪人は、抵抗する様子を見せない。刑吏が引きずるよう力を込めることもなく、ただ普通に歩いてくる。
それ自体はままあることだ。
罪の意識に心潰され、懺悔の気持ちで胸を満たした者。または、取り調べや刑吏の拷問に疲れ果て、抵抗する気力を無くした者。
しかしそういった者たちは、大抵の場合もっと沈痛な面持ちだ。もしくは、ようやく終わるという安堵の表情か。
今回の罪人はどちらでもない。
ただ、へらへらと笑い、得意げに周囲を見渡している。これが自分の晴れ舞台だと胸を張るように。
……もしや、逃げられるとでも思っているのだろうか。
処刑人は一瞬そう考えた。
事実、腕の立つ者ならば可能だろう。たとえばこの国一番の猛者とされる第一位聖騎士団長をあのように捕縛しようとも、彼ならば瞬きの間に周囲の人間全員を殺害し逃げることが出来る。
だが、今回の罪人にそこまでの腕はないと聞く。
たしかに半端な腕ではないだろう。酒に酔い、道を歩いている最中、肩のぶつかった通行人と口論になり相手の首をへし折ったのが最初の罪。その後逃走しその最中に潜伏した家屋の一家を殺害。更には追ってきた衛兵三名を殺害した。
それでも、今この場では逃げられない。刑吏たちとて腕が立つ。武装した刑吏七人を相手に、丸腰で拘束された状態で敵うとは思えない。
それに、逃がさない。自分がいる限り。
鋼線入りの縄を巻かれた罪人が、断頭台の階段を上る。
自分の前に立とうともへらへらとしているその態度に処刑人は腹が立ったが、しかし職務には関係が無いと自らを律した。
罪人が、拭かれようとも血飛沫がまだ残る断頭台に固定されるのを待つ。
やがて自らの首を差し出すように固定された罪人。
その首筋を見つめて、処刑人は大刀を持つ手に力を込めた。
「この者はぁ! …………」
処刑人の隣に立つ担当官が、書状を広げて罪人の名前と罪状を読み上げる。
だが誰もそのようなことを耳に入れてはいない。
処刑人は罪人を殺すのが役目で、罪人はただ首を切られるという役目がある。
周囲を囲む見物人も、ただ首が切られる瞬間が見たいのだ。証明のために処刑人が掲げる生首が見たいだけなのだ。
そう誰もが知っていながらも、儀式のようにその口上は続き、そして終わる。
後に残るのは一瞬の静寂。
今か今かと待つ見物人たち。
では、と大刀を担ぎ上げた処刑人。
しかしそんな空間に、一つ場違いな音が響いた。
クツクツと忍び笑うような声。
どこから響いているのか、と誰しも一瞬思い、そして次の瞬間に哄笑へと変わった笑いに、その声が罪人から響いているのだと知った。
「……黙りなさい!」
担当官が叱るが、罪人は笑うのを止めない。ただ固定された首元を懸命に動かして周囲を見た。
「なあなあ! 何でここに! 俺が! 大人しく来てやったかわかるか!?」
「黙れ!!」
焦るようにまた担当官は声を荒らげる。
その光景に、処刑人はそれよりも何かの違和感を覚えていた。
「何で抵抗しないかって、誰も思わねえの!? 馬鹿?」
罪人の言葉が、発音がおかしい。どこか呂律が回っていないように。もしくは、舌が回っていないように。
へへん、と鼻を高くするように周囲を鼻で笑い、それから罪人は処刑人に顔を向ける。
「やってみろよ! 俺はどうせ死なねえからよ!!」
そして、べ、と出された舌に、処刑人は違和感の正体を悟った。
罪人の舌が半分千切れている。まるで噛み千切ったかのように。
そしてもう一つ気がつく。仕事柄の観察力というもので、首筋の色の変化に。
何か布状のもので頚部を圧迫したような痕。
まるで、どこかで首を一度吊ったかのように。
男の狂ったような哄笑が響く。
処刑人が担当官を見れば、仕方ない、と溜め息をつきながら首元を指で掻く。
首を切れ、ということだろう。その指示を受け取った処刑人は、覚えた二つの違和感を無視するように大刀を構えた。
「はは……!」
哄笑は首を落とされることにより止まる。
ゴトン、と首が転がり落ちる。頭蓋骨が木の床にぶつかり、処刑人の革靴に振動を伝えた。
悲鳴じみた歓声が響く。見物人の熱狂がじんわりと満ちるように。
遅れて血が噴き出す。ビクンビクンと痙攣する身体がまだ生きているようで、忌々しく処刑人は視界の端でそれを捉えていた。
いつもの風景。いつもの処刑。
あとは転がった頭を拾い掲げて、それを証明すれば終わりだ。
義務的に処刑人はそれを遂行しようとする。革の手袋と肌の間にある血の感触に辟易しながらも、前に転がり落ちた首の髪を掴んだ。
持ち上げる瞬間、処刑人は考えを巡らせた。
罪人の、『自分は死なない』という思考、その根拠について。
髪がぷちぷちと抜ける感触をいくらか発しつつ、残ったものが重量を支えて首を持ち上げる。
そこでまた、見物人が悲鳴じみた声を上げた。
処刑人の頭に浮かぶのは、先ほどの二つの違和感。
千切れかけた舌。頚部の痕。
付け加えるのは、罪人の発した『自分は死なない』という言葉。
まさかな、と思いながら、首を高く掲げようとする。
首元から血が滴り、雨のように抜けてゆく。
断頭台から見下ろす見物人が、驚愕の目を自分に向けているのが気になった。
何を……?
……まさか。
そんなわけがない、と思いつつも、処刑人はいつものようにその首を係に引き渡そうとする。
そしてその折、手元の動きでくるりと回転した首が、こちらを向いた。
「な? 死なないだろ?」
罪人の首が笑う。
その処刑人が半狂乱で首を取り落としたのは、後にも先にもその一度のことだった。




