決断は宙に浮いて
馬車は、二台続いている。
商品を載せる馬車、それともう一つ、商人の乗る馬車だ。
商人の乗る馬車には、商人以外にも人が乗っている。商人や金に余裕のある者は、聖領に関わる移動の際に案内人を雇うらしい。
彼ら案内人は参道師と呼ばれている。詳しくはわからないが、聖領を探索し狩り場とする探索者と違い、聖領で生活を営み、通る者の護衛や補助を行う者たちだ。
探索者がこれを兼ねることも多いと聞いた。
もっともこの村は聖領の端にあるため、この村に来るために雇う必要性は薄い。彼らのすることも、あまり多くは無いだろう。
今回の商品も酒と薬、それに煙草が主だった。この村はほぼ完全に自給自足が出来ているため、食料などはほとんど買うことが無い。
作物を商人に渡し、商品を受け取る。たまに余剰分を貨幣で補っているようだが、物々交換で成り立っている。
姿を隠したまま、遠くから取引をじっと見つめる。
またデンアやイコのような猟師に見つかっては困る。今まで、彼らがこの商人たちと会うことはあまりなかった。心配ないとは思うが正直すごく怖い。
朝から昼までの商品の取引が終わり、他の町に商人が出立する。
彼らは、どこに行くかも決めていないこの旅の、いい指針になるだろう。
警戒しながら、追跡を始めた。
馬車を引くのは、正確には馬ではない。ハクという動物らしい。一見、白い馬のようではあるが、角があり、脚は猫科の動物のような形だった。参道師の中では、これに乗っていると剣に関わる災難が起きづらいという言い伝えがあるらしく、人気だとか。
というのは、商人と参道師の会話でさっき知った。
商人はキリアという恰幅のいい中年男性だ。彼が今回雇った参道師はキサンという若手の参道師で、初めてキリアに雇われたそうだ。
そして、世間話の一環としてかそういった話をし始めたのだ。
正直僕も興味津々だ。今までも行商に来ていた時にハクは見ていたが、村人にとっては『いつも見ている動物』という扱いで、村人は誰も興味を示さなかった。だから村人たちは誰もこの動物の話をしないし、質問も出来ない。僕は、この動物の名前も生態も、ずっと知らなかったのだ。
それに、言い伝えやらの話は参道師の中での話であって、キリアも知らなかったそうだ。ただ、そこそこ戦えて長距離移動に使い勝手がいいので使っていただけだとか。
参道師のコミュニティだけの話。違うコミュニティの文化は、触れるだけでとても楽しい。
貴重な話が聞けた。村から出てすぐにこういう体験が出来るとは、幸先のいいことだ。
村を出て何時間か経つ。
森の中のわずかな平地を抜けて、馬車は行く。
ガタゴトガタゴト、所々の木の根を踏んで、馬車が揺れる。飛んでいる僕には関係の無いことだが。
ふと後ろを振り返る。
地平線よりまだ遠く。そこには、空に繋がる大きな木が立っていた。聖領ネルグ、その根の森はまだ続いている。しかし、地面の根はだいぶ密度が薄くなったようだ。
もうすぐ小さな町がある。
生まれて初めて入る、村以外の町だ。
どんな所だろうか。少しワクワクした。
結論から言うと、あまり村と変わらなかった。
それはそうだ。この町も、比率は低いがネルグの恩恵に与っているのだ。牧畜や農業に頼る分が少し増えるだけで、あとはほとんど変わりが無い。
ただ、少し人口は多いようで、土地は広く、見かける人の数も多かったと思う。
拍子抜けはしたが、それでも知らない町だ。
見たこと無い風景は、それだけで楽しい物だった。
キリアが町で商売を終えると、またすぐに出立する。それに便乗して、僕も続く。少し疲れたので、馬車の上に座って休憩をした。ハクには申し訳ないが、少しの間だけ許してほしい。
幌の上で、今後について考える。
議題は、どこで降りようか、ということだ。
当て所ない旅だ。別に、目的地など無い。どこで降りようと構わない。
今度は、普通に姿を見せて生きていこうと思う。いつまでも、隠れていることなど出来はしないのだ。そうすると、広いところが良い。大きな、街がいい。森の中でもいいが、出来るなら、今までと違う生活がしたい。嫌ならば、また戻れば良いのだ。
だったら、このまま馬車の終点まで行くべきか。僕はそう考える。商人であるキリアの拠点であれば、きっと大きな街だろう。根拠も無いのにそう思えた。
馬車は行く。幌の上で、僕は気持ちいい風を受けている。
しかし、気付いた。あまり気持ちよくない気配がする。参道師は気付いていないらしい。
咄嗟に魔力を広げて確認する。
見つけた。
林の奥のほうで、こちらを窺っている。
いつもの犬だろうかと思ったが、違うようだ。形を探ろうとしても、まるで押しのけられるように魔力が通らない。キーチたちのような、闘気とも違う反応だ。
まさか。そう考えて納得する。シウムの講義にあった、闘気もしくは魔力を操る獣。
それは、僕が初めて遭遇する魔物だった。
どうしようかと悩む。狩るべきだろうか。しかし、あまり害意は感じない。まだこちらを窺っているだけだ。
通り過ぎていけるのならば、それでいいだろう。危なくなったら逃げてもいいのだ。そう一人で納得して放っておくことにした。
夜になると、野営となる。予定していたよりも遅い移動だったらしい。本当ならば、夕方には次の街に着いていたそうだったが、このまま進むと深夜に着くことになってしまう。
こういった野外での行動をする際、警戒するのも参道師の仕事だ。キサンは、手早く焚き火を起こしていた。
「いやあ、申し訳ない。本当なら宿を取る予定だったのですが」
「ははは、構いませんよ。こういうのも私たちの仕事ですからね」
馬車の中から、予備の食料を取りだしつつ煮炊きの準備をする。
白い米のような穀物を水に浸し、火にかける。沸いたらそこに、薬草だろう葉っぱを千切ったものと、干し肉をこれまた千切って混ぜる。数分もすると、良い匂いがしてきた。
「良い匂いですね」
キリアが、微笑みながら鍋を覗きこむ。
「いや、いつもでしたら、もっと冷えて、こう硬いお肉とかそういったものが入った食事だったもので。こういうものは新鮮ですな」
二人の従者も、口々に褒め称えた。
「ああ、まあ。本来は、聖領だとこんなに匂いは立てないのですが。ここならば大丈夫でしょう」
どうやら、美味しそうな食事はキサンのサービスらしい。
本当に美味しそうだ。少し余らないだろうか。そうすれば、僕もどさくさに紛れてありつけるのだが。
その願いも空しく、その粥はすぐに無くなった。本当に美味しかったらしい。キリアは、おかわりまでして平らげていた。
皆が寝静まる夜。パチパチと、焚き火の音が響く。明るい炎に、周囲の景色が揺らいで見えた。
キリアたち商人は、馬車の中で悠々と寝ている。中にある寝具は商品ではないという話だ。フカフカの良い匂いのする布団にくるまり、安らかな寝息を立てていた。
キサンも寝てしまったらしい。寝ているハクにもたれかかり、手にはハクの手綱が結ばれている。すぐに持ち出せるように、手元に置いてある袋は緊急時のための物だろう。
僕も寝よう。そう思い、木の上に登り、寝られそうな場所を探す。
ようやく手頃な場所を見つけられたと思い、目を閉じた矢先に違和感があった。
聞こえている音が、多いのだ。
先程までは、焚き火の音、それに四人と二匹の寝息、あとは葉っぱの擦れる音しかしていなかったはずだった。
息遣いが一つ多い。
音の出所を探し、そこを見た。
暗闇の中に、赤く光る目が二つあった。
「っ!!」
反射的に、飛び退いて違う木に飛び移る。向こうは、こちらに気付いていないようだった。
視線を追うと、その先に馬車がある。馬車を狙っているのだろうか。
ゆっくりと、焚き火の明かりに姿を現す。はじめ僕はそれを、大きな犬だと思った。しかし、次の瞬間違うと悟る。
頭部は犬だ。大きく痩せた白い犬。しかし、その体高は、大人の背丈よりまだ大きい。そしてその足下には、左右に三本ずつ、合計六本の足が生えている。
ゾッとした。この世界に来て、初めて遭遇した、奇怪な獣。他の動物は、どれもどこかで見たことがあるものだった。ハクだって、知っている獣の組み合わせだ。しかし、今回はそうではない。
誰も、目を覚まさない。本来ならば一番に気付かなければいけないキサンも、ただ眠りこけている。
その姿を見て、多少の嫌悪感が浮かぶ。
まただ。そう思った。
ここで、僕が何もしなければ、おそらくこの大犬は馬車を襲う。キサンは戦えるのだろうか。それはわからないが、戦うとしても商品に損害が出てからの話だろう。
キサンはまだ参道師としての経験が浅いらしい。今日この大犬に対処できずに損害を出したとして、それは良い勉強になるのではないか。
脳裏にある選択肢では、見捨てるというのが最有力だ。さすがに、馬車に手を出されれば目を覚ますだろう。その後の対処にも興味がある。
しかし、違う展開もありえる。まず大犬は、表に出ているキサンとハクを襲う。現にもう数歩の位置まで近づいているのだ。このまま、パクりと頭を囓ればそれでお終いだ。その後、戦う力の小さい商人達を食べるか追い払うかして、あとは悠々と馬車を漁れば良い。
それは少し、気分が悪い。僕は彼らを嫌いなわけではないのだ。大きな街に着くまでは、順調に歩んでほしいとも思っている。
この大犬の出方がわからない以上、排除しておいた方が無難だ。そう考えをまとめる。
魔力を展開し、大犬を覆う。大犬の魔力に僕の魔力が押しのけられるとしても、その犬の魔力ごと覆うことは出来る。そうして、防音の魔法を施す。
「ジュウウウウ、ジュウウウウウウ!!」
異変に気付いた大犬が、叫び声を上げる。しかし、その声も土を蹴る音も、もう誰にも聞こえない。
そのまま、念動力で持ち上げる。かなり重たく、宙を蹴る力も強い。
額に汗が浮かぶ。おそらく一トンは超えるのではないだろうか。初めてこんな重たい物を持ち上げた。
持ち上げた大犬を、商隊から離していく。その間も、大犬は暴れっぱなしだ。
もう100m以上は離れただろうか。焚き火の灯りが遠くに見える。適当な場所に、犬を降ろす。逃げて帰ってくれることを期待して。
しかし、思い通りには行かなかった。地につけた瞬間、今度は商隊に向かい走り出した。妨害している者がいることに気がついたのだ。そして、それを振り切れば、簡単に腹を満たせると思ったのだろうか。
「ジュウジュウ! ジュウ!」
鳴き声を上げながら、木々を抜け大犬は走る。
もう躊躇いは無かった。
風の刃で足を切り飛ばす。
猪や鳥と違い、魔力で覆われてるからかやはり硬い。しかし、切れないほどではない。次の瞬間には、足が六本、鮮血に染まって落ちていた。
戸惑いもがく大犬を多少気の毒には思うが、もう容赦はしない。
首を切り落とす。断末魔の声は、聞こえなかった。
朝になって、キサン達は目を覚ました。もう消えている焚き火をつけ直し、朝食の準備を始める。
周囲の偵察などはしないらしい。少しありがたい。処理の跡を見つけられても困る。
昨日の大犬は流石に処理が大変だった。僕には捌くことが出来ないので。腿の辺りの食べられそうな場所だけ切り取り、あとはぶつ切りにして地面に埋めておいた。正直、勿体ないなとは思う。しかし、全て食べることなど量的に難しいことではあるし、ゆっくり保存食を作る時間も材料も無い。
腿は、焼いて食べた。味は淡泊で、脂肪の少ない鶏肉に似た味だ。あんまり好きじゃない。
キリア達の朝食も終わったようで、すぐに出立する。午前中に、次の街に着きたいそうだ。
話を聞いていると、そこがキリアの拠点らしい。ならば、次はそこで生活するのだ。
その街はどんなところだろうか。
もう、ネルグの森も抜ける。きっと新しい体験があるのだろう。
僕はワクワクして馬車を追った。