追憶:飛ぶ妖精
千九百年代初頭、英国。
その片田舎で。
「そうよ、私たち友達になれないかしら?」
「あんた、正気?」
くるくると巻かれた長い髪を揺らす少女が、手の中に笑いかける。けれどその笑顔に、手の中に握りしめられていた羽虫のような少女は、苦笑いで応えた。
お気に入りの大きな白いリボンで結ばれたツインテールが跳ねる。どう考えようとも肯定とはとれない答えに、その大きな――といっても九才という年齢なりだが――少女は満足げに頷いた。
「妖精さん、何して遊ぶ? いいえ、まずは自己紹介ね。私、フランシス。フランかフランシス様って呼んでね?」
「話を聞きなさいよ」
「妖精さん、お名前は?」
妖精と呼ばれた小さな少女は、フランシスの手の中で溜め息を吐く。
今まさに初対面、それに、人間と妖精という別種族。
なのに、その強引さはどうしたものだろう。
今まで自分のことを見た人間たちは、最初はその珍奇さに、恐れおののくか好奇の目で見ていたというのに。
目の前の少女の輝く瞳は、そのどちらでもなく。
戸惑い黙るアリエルに、フランシスが焦れる。
フランシスのその手の力が強まって、また更に息が吐き出された。
「ぐぇぇ……」
「あ、ごめんね?」
堪らず呻くと、そこで初めて気がついたかのようにフランシスが手の力を抜く。それでもしっかりと捕まえられている手の中から、両手を使ってやっとの思いで妖精は抜け出した。
「……まったく……。……私は、アリエル」
「アリエル! わかったわ。貴方はアリエルね? 今日から友達よ」
しぶしぶ自己紹介を返したアリエルは、手の汗でべっとりと濡れたガウンを払い、空気を含ませる。
緑の森の中、草の匂いが肌に触れた。
「勝手なこと言わないでよ。初対面で自分をわしづかみにする奴と友達になんかなれるわけないじゃない」
鼻で笑いながらアリエルはフランシスから目を背ける。掴まれたことと湿気でくしゃくしゃに丸まった羽を広げるが、その羽は思うように動かなかった。痛みはないが、不快だった。
「それより、ここどこ? まだ西ライディング?」
「ここ? ここはコッティングレイ村よ」
「あたし、ウェールズのほうに行きたいんだけど、どっちいけばいい?」
「ウェールズ? まだずっと西の方だよ?」
「……そ、邪魔したわ」
パタパタとまだ動きの悪い羽を無理矢理動かしながら、アリエルは背を向ける。ここに長居は無用だ。そう思った。
しかし、それは彼女だけの意見だ。フランシスはそうは思わず、アリエルの背で動く羽を摘まむと、その動きを止めた。
「ぐえっ!?」
まるでトンボを捕まえるかのように。もう少し力を入れる方向を変えれば千切れてしまうような。幼い子供の力加減は、残酷さを知らない。
「どこへ行くのよ。 ねえ、遊びましょうよ。アリエル。追いかけっこがいいかしら?」
「だからあたしは遊びなんかしないって……」
「せっかくお友達になれたんですもの。もったいないわ?」
子供の強引さは美徳ともいえる。
その力強い笑みにもう反論する気もおきずに、アリエルは唇を結ぶ。心底嫌だということは表情に出してはいるが、フランシスはそれをまだ読み取る年齢ではない。
仕方ない。しばらく遊んであげれば気も済むだろう。
アリエルはまだ皺の残る羽を広げ、腕を組む。
「……少しだけよ」
「じゃあ、アリエルが鬼ね?」
フランシスはそれだけ言って駆け出す。
コイントスもせずに決めるなど。アリエルはそう文句を言いたかったが、既に離れた木の根元まで行ってしまった彼女に言いたければ、捕まえるしかない。
「待ちなさい!」
「やだー?」
ケラケラと笑いながら、フランシスは逃げていく。白いワンピースが泥だらけになるのも構わず。
二人の追いかけっこは一進一退。結局勝負はつかずに、夕暮れまで遊び続けるのだった。




