夢のまた夢
「よっす」
「団長、何か御用でしょうか」
トリステによるミールマン襲撃の翌日。
警備の休憩時間、復興作業の手伝いをしていたウェイトは、エーミールに呼び出されて現場を離れた。
襲撃を受けた翌日だ。当然やることは限りなくあった。崩れた建物の瓦礫の片付け、遺体の回収に運搬、また戻ってきた住民たちの住居などの確保。人手など足りることはなく、故に休憩中の衛兵や騎士なども住民たちに混じり働くのが当然だった。
その中でも、聖騎士、つまりは貴族という身分にかかわらず従事していたウェイトに戦々恐々としていた住民たちは、それを見送りほっとしたものだ。
「どちらへ?」
行き先も示されずに着いてこいと言われても。そう抗議しないまでも、ただ歩くエーミールに向けてウェイトはその目的を再度尋ねる。相変わらず黒眼鏡の奥は見えず。
「大通陽口」
「あの街の中央にある……ですか?」
「そ」
ここミールマンは石積みの街だ。故に全ての地面が石畳になっており、汚れなども目立つ。
そして歩く大通りは、昨日多くの人間が逃げ惑った場所だ。
猫車に乗せられて運ばれる瓦礫。それを避けて二人は歩く。
足下には既に乾いた赤黒い染みが広がる。まだ臭いすら立つようなそれを見て、ウェイトは顔を顰めた。
視界の中でピョンピョンとはしゃぐように動く物体も、その不快感に拍車をかける。
瓦礫の上で跳ねる泡のようなもの。
気付いている人夫がいるらしい。それを見た二人は、その横を通り過ぎる。
ふと見回して探せば、まだ近くをちょろちょろと走り回っている透き通った兎のような生物がいくつもいた。
「そう睨むなって」
「好意的に見られる、といえば嘘になりましょう」
走り回っている石鹸の泡のような質感の生物は、実際は生物ではない。
精霊使いクロエ・ゴーティエの使役している精霊。その分裂した姿である。
彼らは街を走り回り、瓦礫などに埋もれた死体を発見するとその上で飛び跳ねて周囲に示す。一応は生存者も探しているが、それはついぞ見つかってはいない。
「あの女のせいで、何人もの犠牲者が出ている。団長の指示とはいえ」
じと、と睨む視線をウェイトはエーミールにも向けた。あの襲撃の最中、民間人への被害を顧みない攻撃を行ったクロエを、ウェイトは酷く嫌っている。だがそもそも、その女をこの街へと呼んだのは第三位聖騎士団長エーミールだ。
糾弾して然るべき。立場上出来ないが、それでも。
しかしそんなウェイトの視線を、まったく受け止めもせず口笛を吹くようにエーミールは受け流す。
民間人を巻き込んだクロエの攻撃方法を、エーミールは襲撃が終わった後に知った。だからというわけではないが。
「たしかにクロエの攻撃で被害者は出たが、俺はその判断が間違いだとは思わん」
クロエを呼んで、攻撃を指示したのはエーミールだ。けれども、民間人を守る指示ならそれより前に出している。
「あの怪物どもが減ったおかげで避難民の犠牲者も少なくなった。あれをやんなきゃ、もしくは手加減してたら、もしかしたら逃げる間もなく何千人か死んだかもな?」
今回のクロエの攻撃により死んだ人間の数はわからないが、けれども数千人ということはないだろう。
「しかし……!」
「お前は予言者か?」
「……?」
大きな声を出しかけて、しかしエーミールの言葉にどこか重みを感じ、ウェイトは立ち止まる。叱られているわけでもないただの質問が、叱られているように感じた。
「俺は、未来なんざわからねえ。だから起こりそうなことを全部予想して、準備して、実際起きたらどれが一番正しいか考えて、それでどうにかこうにかやってきてる。だから俺は、今が一番マシだったんだと思ってる」
丸い黒眼鏡の上、エーミールの細い眉毛が歪む。むくれるように。
「この方針は間違ったことがねえ、と俺は思ってる。お前は違うらしいけどな?」
「いえ、そうではなく……」
「んだよ、違うってはっきり言えよ」
てい、とエーミールはウェイトの頭を軽く手刀で小突く。
ウェイトはその手刀がやけに痛かった。じんじんと。
「それが悪いわけじゃねえし。お前はお前でクロエへの要請で何百人と助けてんだ。別の班でも助かったってさ。つまり、俺もお前も正しいと思うことをして助けて、これが限界だった」
溜息をついて、エーミールは目の前の街を見渡す。犠牲者が埋まる瓦礫の山。働く人夫。親兄弟子供を亡くして捜し歩く民衆たち。
「いつもこんなんだよ。やってらんないよな」
戦争などの有事。いつものように目にする光景だ。
エーミールがどんな方策を取っても、どのような戦術をとっても、戦略をとっても、何かしらの犠牲者は必ず出る。完勝でも圧勝でも、死人が出ないことはあっても、怪我人が出ないということなどはほぼあり得ない。
だから、麻痺しないように、と有事が終わればエーミールはいつも犠牲者や負傷者を自分の目で確認することにしている。
次はもっと上手くやれるように。次はもっと少なく出来るように。
「とまあ、俺はこの程度だ。お前がもっと上手くやれるってんなら、早くもっと偉くなってくれ。俺も任せたいしな」
「……努めます」
ウェイトはそう言うだけで、精一杯だった。
そういや、とエーミールは口を開く。
「昨日お前が保護したガキども、なんか道場に紹介したらしいな」
「ああ、あいつらですか」
目も合わせずに口にされたエーミールの言葉に、ウェイトは頷く。
「復興が終わり次第ですが、道場の下働きとして世話をさせるよう連れていきました。……それまで大人しくしているとよいのですが」
ここミールマンにある水天流の道場は、ほとんど施設の損壊などはなかった。けれども、それでも周囲には壊れた場所もあり、そして建物が密なこの街では『ご近所付き合い』はとても重要だ。それこそこの有事、水天流の門下生たちは街のために働きづめで他人の面倒を見る暇などないだろう。
つまり今ならば抜け出すことも容易。
あの四人の子供が『それ』を選べば、また自分は愚民たちに失望することになるだろう。
水天流の道場の下働き。
ごく簡単にいえば、それは僅かな駄賃と衣食住を報酬とする住み込みの仕事に等しい。業務内容は道場生たちの衣服の洗濯や、食事の準備、また道場の掃除。それに望めば、水天流の稽古を師範がつけることもある。
つまりは日の当たる道なのだ。
盗みや引ったくりなどしなくてもよい。真面目に働いていれば、真面目に働いていさえすれば、食事の心配も野垂れ死ぬ心配もしなくて済むだろう。
だが、つまりは真面目に働かなくてはいけないのだ。
朝早くに目を覚まし、冷たい水に手を浸し、誰かに頭を下げて叱られれば反省する。
孤児たちは、どれも今までしたことがないだろう。そうウェイトは思う。
だから、どうせ少しの間だけだ、と思う。
もしかしたら最初の内は真面目に働くのかもしれないが、しかしいずれは手を抜き始めるだろう。手を抜き、怠り、そしていつか逃げ出して消える。
孤児たちだ。今まで犯罪と共に生きてきて、暗い道しか知らない存在だ。
どうせそうなる。不真面目で、堕落したあの子供たちは。
「たまには見に行ってやれよ。お前には責任があるからな」
「それはもちろん。古巣に迷惑をかけるわけにはいきませんから」
だから、一月と開けず見に行かなければいけないだろう、とウェイトは思う。
人は簡単に堕落する。簡単に悪の道に走る。
信用も出来ず信頼も出来ない。特にあのような子供は。
ふう、とエーミールは溜息をつく。
要らん世話だった、と思った。
ウェイトがあの子供たちを信じるわけがない。まだ。
……だが、いつかは。
辿り着いた大通陽口は、昨日と何も変わらないままだった。
一応の点検は必要だろうが、けれども緊急ではないと誰も入っていない。
「それで、何故ここに?」
「ん?」
四角い大きな穴の四辺の内側にある階段に、二人は足を踏み入れる。
だがそもそもウェイトは理解していなかった。何故ここに来たのだろう。それに何故ここに呼ばれたのだろう。
「団には周知させただろ。ここの底にトリステをぶちこんだって」
「それは、そうですが」
「それでトリステが死んだって……思えなくね?」
苦笑いを見せてエーミールは言う。トリステに会っていないウェイトはそれに同意しかねたが、けれども団長がそう言うのならばそうなのだろう、と納得しようとした。
それでも。
「ですが、それ以降怪物の出現もなく、……それにあれから幾度か噴気は上がっております。ここ通陽口で生存出来るとは思えませんが」
「魔法使いだろ。生きててもおかしくないじゃん」
むしろ、それで生きているのが魔法使いで、トリステだ。
エーミールはこの目で見ている。一度その熱を受けても無傷で生きていたトリステの姿を。
「この目で見ておきたいし、一応の護衛として休憩中だったお前? 的な?」
「はあ」
なるほど、とまた思いつつ、ウェイトはエーミールの後について行く。
革靴の音が反響して、またその後ろを誰かが着いてくるように思った。
果たして底に着いた二人は、また不可思議なものを目にすることになる。
「それで、これは……どういう?」
「わからん。なーんもわからん」
地面は冷えることのない乾いた土。壁は長年高熱に晒されたことにより硝子質に変化し、土共々光を強く弾く。
だが手持ちの灯火に火を点し、温かな光で照らしてもその部屋の全容を知ることは出来ない。
四方を石の壁に囲まれた真四角の部屋のようなそこは、一辺が三十歩以上の広さがある。
その部屋の一角に、一つの見慣れぬものがあった。
硬質で巨大な硝子質の透明な結晶が、隅にこびり付くように残っている。その中には、人がいる。
見えたのは壁にもたれ掛かる少女。
少女はトリステだろう。エーミールはそう思ったが、けれども何か違和感があった。昨日見た、戦った彼女とその容貌がまるで違う。目の下の隈もなく、傷んだ髪もなく、痩けた頬もないその顔は、別人と言っても信じただろう。
あどけなく、気持ちよさそうに眠る二人は、起こすことも憚られるようで。
「こちらは?」
「だからわからんって」
ウェイトは灯火をトリステの横に近づける。ちらちらと動く火が照らしているのは、一人の少年。
トリステと同年代だろう、十歳程度の。
二人は手を繋ぎ、寝間着姿で寄り添うように眠っている。
良い夢でも見ているのだろうか。幸せそうに。
結晶の中、息も出来ず、その生死は明らかなように。
「……立ち入り禁止を厳命するべきだな、こりゃ」
だが、死んではない。それもエーミールたちは知っている。
先ほど、結晶は壊れるのか、と端に小さな金槌を近づけた瞬間、その金槌が折れた。起こさないでくれと、言わんばかりに。明らかな何かの干渉で。
「それは、いつまで」
「知らね。このお姫様の気が済むまでじゃね?」
ふう、と溜め息をついてエーミールは立ち上がる。
暗い中で目を凝らしているのは疲れるものだ。そう思いつつ、黒眼鏡をずらして目を擦った。
何もわからないことだらけだ。
唯一わかっているのは、しばらくはこの彼らに手出しを出来ないということ。
それがいつまでかはわからない。数日か、数月か、もしくは数年。あるいは、永久に。
「や、つーかあの女も何なんだよ!? ああああもう!! 報告書になんて書きゃいいんだくそぁ!!」
これは討伐ではない。
敗北ではないが、しかし実際は撃退したわけでもないだろう。
まあ永遠に眠っていてくれるのならば、それでいいのではないだろうか。
叫びつつもエーミールはそう考え、それ以上を考えるのが面倒になった。




